第86話

「あんたが軍人だろうが藤ノ宮だろうが、悪いものは悪いわ!人を危険に晒して涼しい顔しているなんて、そうは問屋が卸すもんですか!」




佳世の血の気の多さと喧嘩っ早さは理解しているつもりだ。




見た目にそぐわない粗暴な行動の多い佳世だが、女学校では秘かに人気があるし、女だと言って馬鹿にする輩には躊躇なく蹴りを入れるような子だ。




そんな親友のことを理解し、尊敬もしている。




……けれど、今回は状況が悪かった。




何しろ、相手は名門華族の軍人将校、藤ノ宮零。




屋敷に出入りしていれば、藤ノ宮家がどれほどの権威を持っているのか嫌でも理解出来る。




自分も人のことを言えないけれど、さすがにやりすぎだ。




真っ青になった桜子が佳世の口を塞ごうと手を伸ばした瞬間、佳世の身体が視界から消えた。




「へっ?」という間抜けな佳世の声に被さるように平淡な声が響く。




「秋霖出版でよろしかったでしょうか」




そう言うのは、こんな状況でも相変わらず無表情な東雲だった。




佳世の肩を掴み、片手で桜子の持つ原稿を取り上げる。




「あ……」




目を丸くして、思わず原稿に手を伸ばす。




しかし、東雲は平然と言った。




「こちらのお嬢さんと原稿は先に出版社に届けておきますので、どうぞごゆっくり。……ああ、大尉。訊きたいことはさっさとお訊きになった方がよろしいかと。では失礼します」




口を挟む隙もなく、東雲が佳世の背中を押して去って行く。




「ちょっと!?離しなさいよ!!」




佳世の叫び声が晴れた空に虚しく響き、やがて聞こえなくなる。




その後ろ姿を呆気に取られて見送っていた桜子は、はっと今の状況を思い出し青くなった。

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