第81話

「静かに!」




小声で叫び、注目する人々から逃れるように道の端へと移動する。




肩で息をする佳世の背中を撫で、桜子は首を横に振った。




「この前のことを忘れたわけではないわ。でもね、悪い人たちではないのよ。奥様はとても優しくしてくださるし、とても良くしてもらっているの」




確かに轢かれかけたことは事実だが、だからと言って千鶴子たちのことを悪く言われたくはなかった。




自分とは身分から価値観において、すべてが違う。




最初はそのことに戸惑ったし、恐怖すら覚えた。




だけど、普通に生きていたならば決して重なりはしない道が今、少しだけ重なっている。




それは不思議で、ある意味奇跡に近いこと。




別に華族に憧れているとか、元の身分に戻りたいとか、そんなことを言っているわけではない。




でも、ふと思ったのだ。




桜子の脳裏に一人の男の姿が現れる。




綺麗だけど冷たくて、触れることを躊躇わせるような鋭さを持った男。




相変わらず好きにはなれない人だけれど、その人が一体何を見ているのか―――それを少し、知りたいと思ってしまったから。




「奥様たちには責任はないし、私ももう気にしていないわ。だから平気よ、安心して」




そう言って、桜子は微笑む。




……この時、桜子は本気でそう思っていた。




しかし、これが愚かな思い込みだったのだ。




上流階級の人間が平民を人間として見ていないということを、この時の桜子はわかっていなかった。




それを彼女が理解するのは、もう少し後のこと。

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