第69話

「ああ……いた」




男の声だった。




何事かと振り返るよりも先に、突然背後から抱き締められる。




「……っ!?」




ぞわりと全身が粟立った。




何が起こったのか理解するよりも前に、耳元に男の声が落ちる。




「見つけた。……探したんだよ?」




見知らぬ若い男の声。




両肩を抱くように拘束され、身動きが取れない。




ぞっとするような熱さに桜子の思考は霧散する。




相手は固まる桜子を抱きしめ、嬉しげな声で言う。




「ようやく逢えた、僕の愛しい人。一体どれほどの間、逢えなかったのかな?逢おうにも記者たちが煩くてね……すまない、寂しい思いをさせた」




そんなことを言われても、桜子には何のことだかさっぱりわからない。




叫ぼうにも喉が塞がったように声が出ず、混乱する頭が現実に追いつかない。




その間も男は滔々と語り出す。




「今夜の夜会だって人目を忍んでようやく来られたんだよ。……そりゃ、貴女は伯爵夫人で僕は男爵。世の中の物差しで言えば釣り合わないことなど百も承知しているさ。まったく、別にいいじゃないか……恋愛くらい」




溜め息まじりの言葉に桜子ははっとする。




この人は何を言っているのだろう?




自分は伯爵夫人ではないし、男爵の知り合いもいない。




そう考えれば、単に人違いをしているに限る。




慌てて身体を拘束する腕をほどいてそれを教えようとしたが、伯爵夫人と浮気をしているらしい男には周りが見えていなかったらしい。

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