第65話
刑務所を脱走した政治犯が建物に人質を取り、何を思ってか決死の立て籠り。
その捕獲に零の率いる部隊が駆り出されたのは良いものの、捨て鉢になって刃物を振り回す犯人から部下を庇ってこの様だ。
犯人は捕らえて然るべき場所へ突き出したゆえ問題はないのだが、零は肩に傷を負った。
傷はそこまで深くなかったが、しばらく放置していたためか傷が塞がった今も腕を動かす度に鈍く痛む。
大した痛みではないため医者にも言っていないが、背筋に響くような痛みにはやはり顔が歪む。
その痛みに耐えているうちに、不覚にも意識を失った日のことまで思い出した。
『私が貴方を運びます』
おまけに女の分際で、生意気にもそう言った女の顔までも思い出す。
零の常識からは遥かにかけ離れた、平民の女学生。
(くそ……)
苛々する。
胸の内で何度目になるかわからない悪態をついた時、不意に詞季子が零の腕を引いた。
「零様。あの……」
「零ー」
戸惑いとも何ともつかない詞季子の声に被せるように、少女のような甲高く清んだ声が聞こえた。
「母上……」
侯爵夫人とは思えないような無邪気な笑みを浮かべた千鶴子は、零たちの傍にやって来ると不思議そうに首を傾げた。
「貴方も来ていたのね、零。夜会嫌いの貴方が珍しいこと。でも具合が悪いってお仕事を休んでいたのに、こんな場所に来て大丈夫?」
隣で詞季子が固まるのを感じた。
……母は、決して嫌味を言っているわけではない。
ただ、思ったことをそのまま素直に口にしているだけだ。
それが聞く側には嫌味に聞こえる場合がある。
まったく、我が母親ながら良い性格をしている。
思わず唇の端がひきつるのがわかった。
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