第63話

逃げ出したいと思うも、流石に走っている自動車から飛び降りる勇気など備わっていない。




「今夜の夜会はね、わたくしの古いお友達、鈴ヶ森子爵が主催なの」




扇を揺らめかせながら語る千鶴子の話を聞きながら、桜子はひたすら吐き気を堪えていた。




自動車酔いもあるが、それ以上にこの状況に対しての不安と恐れが計りしれない。




(だ、誰か……っ)




華やかな夜会服に身を包んでいるにも関わらず、桜子にはそれを楽しむ余裕はまったくと言っていいほどなかった。




平民が華族の夜会に参加する―――それがどんなことを意味するのか。




さすがの桜子も恐しく、それ以上考えたくなかった。












―――生憎、娘に恵まれなかった千鶴子が桜子を着せ替え人形にし、そのついでとばかりに夜会への参加を強制決行していたその頃。




零は零で、この集まりに辟易していた。




「おぉ、藤ノ宮様。ご活躍はかねがね」



「千条院様もお久しゅうに」



「今宵はお二人でのご参加か。仲のよろしいことだ」




振り撒かれる愛想と上辺だけの会話。




それらを遠目に零は視線を傍らに落とす。




見た目で言うのなら完璧な笑顔で答える詞季子と目が合い、咄嗟に視線を逸らす。




「嬉しいですわ、零様。貴方様とこうやって夜会を楽しめるなんて」




楽しんでいるのはお前だけだ―――そう言わなかったのは人目と相手が少将の娘ということを鑑みてのことだ。

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