第62話

桜子が千鶴子に選んだのは、淡い紅色に蝶の刺繍が施された夜会服だった。




細身で可憐な千鶴子にはよく似合い、桜子も一目見て気に入った。




しかし今、それを着ているのは千鶴子ではなく、何故か桜子だった。




千鶴子とは背格好も似ているため大きさはぴったりだ。




長い髪を結い上げ、薄く化粧を施した顔はまるで別人のようで、桜子は姿見の中の自分を呆然と見つめ返す。




「まぁ、よく似合うこと!そうだわ、桜子さん。このまま一緒に夜会へ行きましょう」



「はいっ!?」




自身は鮮やかな青の詰襟の服を着た千鶴子は嬉しげに手を叩いた。




その言葉に絶句し、桜子は全力で首を横に振る。




結い上げた髪が崩れそうだったが、それどころではない。




「む、無理です!遠慮します!私は平民ですし、夜会にだなんて行ったことな……」



「あら、でもせっかく着飾ったのに誰にも見せないなんてもったいないわ。どうせ型苦しいことはなしの夜会ですし、心配することなど何なくってよ?」




……千鶴子はどこまでも自由な人であった。




桜子に反論を許さず、楽しげに「娘と催し物に行くことが夢だったのよー」と手を引っ張って行く。




「ちょっ、奥様……っ!!」




抵抗しようにも長い裾に足を取られ、気がそぞろになる。




その隙に桜子は玄関に連れ出され、外に待たせておいたらしい自動車に乗せられてしまった。




「さぁ、参りましょう!」




千鶴子の楽しげな声に、桜子はこれでもかというくらい青ざめた。

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