捧げ華～濁りの君よ～【完】

第51話

返す言葉をなくした桜子に構わず千鶴子はくるりと表情を変え、「見せびらかしてくるわ！」と浴衣を抱えて去って行った。

一人残された桜子はしばらく呆然としたまま、聞いた言葉を繰り返す。

(……怪我？あの人が？)

自分を自動車で轢きかけたくせに覚えていないという、桜子の中で『最低』のつく男。

それなのに、どうしてこんなにも後味の悪さが残るのだろう。

「桜子様」

どれほどそうしていたのか、背後から聞こえた白木の声に桜子ははっと我に返った。

慌てて振り返り、向こうからやってくる白木の表情に焦りがあることに気がつく。

「申し訳ありません。ローレンシアンを見ませんでしたか？」

「ローレンシアンですか？見ていませんけれど……」

「そうでございますか……」

心なしか肩を落とす白木の様子に嫌な予感がした。

「もしかして……いなくなってしまったのですか……？」

普段滅多に表情を変えずにこやかな白木が焦っている。

嫌な展開を想像すれば案の定、白木は恥じ入るように俯いた。

「お恥ずかしながら、少し目を離した隙に姿が見えなくなって……」

恐縮する白木の顔には焦りの色が濃い。

一度逃がした猫を再び逃がしてしまったなどと、執事としては面目丸潰れだろう。

幸い千鶴子は温厚な性格で、使用人たちにも無理難題を言わない。

だから前回の時も誰の首も飛ばすに済んだのだが、今回見つからなければ厄介なことになるのは目に見えている。

咄嗟に桜子は声をあげた。

「私も探します！」

「ですが、桜子様はお客様で……」

そう拒絶を表すも、白木の瞳は「助けてくれ」と訴えている。

桜子は微笑んだ。

「いいえ。探させてください。奥様の大切な猫ですから、必ず見つけなければ」

千鶴子には感謝している。

身分の隔たりを感じさせず接してくれた。

それが何よりも嬉しかったのだ。

いつの間にか本当の母親のように大切に思っていた。

だから、悲しませたくない。