25:人魚とアヒルの海原 [残酷・暴力描写あり]

 ――バカなことばっかりだ。


 昼時だというのに、俺らの食堂には閑古鳥が鳴いていた。

 戦争で荒れ果てた港町。終戦しても人や船は戻ってこない。

 海風が、夏の湿気とともに割れ窓から吹き込む。


「船長」


 言ってから『しまった』と思う。

 船を失ったというのに、昔の呼び方がまだ染みついている。

 キッチンから間延びした声。またラジオでも聞いているのか。


「もう船長じゃねぇよぉ」

「はいはい、店長」

「なんだ?」

「今日もお客、来そうにないですよ。早めに閉めます?」

「まだ昼時だろうが」


 ぶつぶつ言いながらも、早じまいの算段をしているようだ。

 店は赤字続き。軍属への見舞金も、じわじわと減っている。

 なのに働く気が起きない。戦争が、船と一緒に俺らのやる気も壊しちまったか?


「バカなことばっかりだよなぁ」


 客のいない店と街、失われた船――大漁を夢見ていた我らが漁船、ボンボヤージュ号。

 ラジオが漏れ聞こえた。


 ――平和の証として、かつての敵国より王族の来訪がありました。

 ――今、祝いのため我が国の各地を巡っています。


 けっと口を曲げ、キッチンを睨む。

 もともとは、このバカ船長のせいだ。


     ◆


 ――今この時をもって、あなた方は船員ではなく『艇員』である!


 訓示と共に俺ら漁船乗りは徴用された。

 戦争が始まっていた。

 海を挟んで隣の国で、王族が寝首をかかれ、実権を軍人に奪われた。残された王族は赤ん坊だった末王子だけ。

 軍人らが王族殺しの罪を俺らの国になすりつけ、おまけに領土問題も抱えていたせいで、あっさりと戦争が始まり――泥沼化した。

 こっちに軍艦の用意はあれど、最初の奇襲で壊滅してしまう。

 残った船は漁船ばかり。

 そして数少ない港から、俺らが徴用された。


 そりゃ、最初は誇らしかったさ。


 任務を知るまでは。

 役目は、無線機を積んで遠洋に浮かび、敵の飛行機が通るのを陸地に通報すること。

 ただ、飛行機がそんな漁船を見逃すはずもない。

 飛行機の発見、通報、そして撃沈されるための存在――いわば捨て駒として、貧乏漁船達は徴用されたんだ。

 船長は『アヒル組』と呼んだ。旧型の軍艦に率いられて遠洋に向かう俺達は、確かにアヒルの子供達に見えた。

 そのままでも、十分、死ぬ危険はある。

 さらには、船長のバカだ。


「誰か、泳いでるぞ!」


 ばかいえ、遠洋で泳ぐなんて、人魚かそいつは。

 あの時、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。

 陸地から190海里の遠洋で、確かに波間を誰かが泳いでいる。警戒に慣れた目でなければ見逃していただろう。


「遭難者発見、救助に向かう!」


 無線機にそう怒鳴ってエンジンを回す。

 空には飛行機も見えた。細い形のプロペラ機は、なにかを探すように洋上を旋回している。

 これはまずいと思ったが――船長は叫びやがる。


「人を助けずに何が海の男だぁ!」


 飛行機の真下を通るにもかかわらず、結局、俺らはそいつを助けた。

 驚いたことに、女だった。少女といってもいい。

 飛行機は、当然ボンボヤージュ号を猛然と襲ってくる。無線機が謎の応答をした。


 ――少女を捨てて、任務に戻れ。


「今更戻れるかぁ!」


 船長が叫び返し、ひいひい言いながら陸地へ戻る。飛行機が途中で引き返したのが幸いした。

 やはり海域で何かを探していたのか、それとも燃料が不安だったのか。

 ただ、これはほんのケチのつき始め。

 陸地に戻った俺達は、なぜか官憲に踏み込まれ『助けた少女を出せ』と凄まれた。


 これは、俺もアホだった。


 不自然な剣幕。

 とはいえよせばいいのに、少女をそっと逃がしてしまう。

 敵前逃亡と、官憲への協力拒否の罪で、営巣にぶちこまれて以後は危険地帯に送られた。

 愛する船が沈められたのは、終戦の1週間前だった。


     ◆


 後で知ったが、終戦理由は敵国の王族に生き残りがいたためらしい。

 クーデーターで根絶やしになったと思われたが、王女が国内に隠れており、決死の覚悟で脱出。

 ラジオでクーデーターの顛末と、王族として平和を望む旨をつらつらと述べ、敵国の戦意を挫いた。厭戦は、向こうも同じだったらしい。

 ただ戦争を望む連中は、敵国にもこっち側にもいて、そいつらは王女を探して殺そうと躍起になっていたらしいが。

 王女、運がいいな。

 俺はテーブルを片付けながら言う。


「生き残っていた王女ってのは、どんな人なんですかねぇ」

「さぁなぁ」


 元船長は厨房から顔も見せず、気のない返事。


「言葉で戦争を止めちまったんだ。まさに王族なんだろうよ」

「顔が見たいもんですねぇ」


 二人して笑った時、からんからんと入り口の鈴が鳴る。

 薄青のワンピースを身につけた、きれいな少女が立っていた。後ろには護衛らしい数人。


「ごめんください」

「……み、店じまいでして」


 少女はくすりと笑う。


「それはよかったです。助けて下さったお礼と、なくされた船、それに両国の発展のため、この街への復興のご支援ができればと」


 俺は、ようやくそれが海で助けた少女だと気づく。

 人魚――いや、王女様は笑って、キッチンにいた船長を招くと、俺達に深々と礼をした。

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