★23:僕は彼がシロだと確信している。

「……バカなのか」


 セクハラの証拠として提出されたメールに目を通しはじめてすぐに、僕はため息をついた。調査対象は、第二営業部長、桐生亨きりゅう とおるだ。

 通報してきたのは今年入社三年目の一ノ瀬優希いちのせ ゆうき、数字だけみればボトム層の社員だ。午後には、一ノ瀬との一回目の面談が控えていた。


 モニターに映し出された一ノ瀬の顔写真を拡大した。わざわざ写真館で撮っていそうな背景で、容姿をアピールポイントにしているのが窺える。中年男性が熱心に励ましてくれば、アプローチされていると思い込むのも無理はない。


 桐生は僕より一回り上の四十三歳、イケおじなどではなく至って普通の顔をしている。ただ長身で筋肉質、腹も出ていない。学生時代は野球でキャプテンの経験あり。それだけでなく元は実業団の選手だった。肘のケガで選手生命をたたれ、うちに中途採用で入ったと聞いた。体力だけは有り余っていて、いつでも活気に満ち溢れている。とにかくポジティブで笑顔をたやさない。非常に暑苦しいタイプの上司だ。

 ただ桐生は、自分と同じ前向きさを部下には求めない。パフォーマンスが落ちた部下には、自ら動いて数字を作ってやることもあった。


 桐生のことだ、数字を取らせるため「二人で営業に行こう」と誘ったに違いない。


 セクハラで訴えられたからといって即処罰されるわけでもなく、かなり念入りな調査が入る。セクハラ関連の調査は、僕の所属する総務部の管轄だった。


 ***


 第二営業部にいた頃の僕は、数字をあげようともがけばもがくほど数字があがらない悪循環に陥り、明らかに病んでいた。外回りの道中、暇さえあれば付箋を取り出しシーザー暗号で仕事の愚痴を書き込んだ。何枚も何枚も。不甲斐ない自分を他人に知られたくなくて、わざわざ暗号化していたのだ。そのくせ、オフィスに戻ってから第二営業部共同のゴミ箱に、意味不明な文字の書き込まれた付箋を大量に捨てていた。


 最初のうちは、文章を暗号化していた。しかしそのうち「かえりたい」「やすみたい」「やめたい」それから、「しにたい」と、日によって暗号ルールを変えながら、何枚も何枚も書いては捨てた。


 ある日、もう限界だと感じながらオフィスに戻ると机の上に「みらへけちこのみにいこう」と書き込まれた付箋が貼ってあった。誘ってくれたのは桐生だった。

 僕はあの日、桐生の奢りで記憶が飛ぶほど酒を飲んだ。


 営業に向かず燻っていた僕を、総務部へ異動させてくれたのは桐生だった。社内公募が始まってすぐに声をかけられ、面接の練習にも付き合ってくれた。

 「総務に興味はないか?」と声をかけられたときから、できない部下をお払い箱にしたいのかと、疑うことはなかった。


「進藤は、性格も能力も総務向きだからな。どうしてうちに来たのか謎だった」


 僕が営業部配属になったのは、なんとなく営業に憧れて自ら志望したからだ。いざついてみたら、できなかっただけだ。

 総務部に採用されて異動が決まった日、桐生は心から祝ってくれた。

 

 ***


 桐生が一ノ瀬に送ったメールの随所に、セクハラととられかねない言葉があった。

「いくらでもつき合うよ」「もっと時間をつくるようにする」「一緒に頑張りたい」「これからはもっと良い関係を築いていきたい」

 加えて、二人で営業に出ようと何度も誘われたというのだから、関係を迫られたと思い込まれても致し方ない。

桐生に他意はなく、一ノ瀬の営業成績がもっと上がるよう全力でサポートすると伝えたいだけだと、僕にはわかる。


「……バカだな」


 セクハラでクビにはならないが、降格や左遷はあり得る。今、第二営業部の士気が下がると、来月早々、社運をかけて送り出す携帯型モニターの初速に影響を及ぼす。

 セクハラの厄介なところは、被害を訴えた側が、点だ。

 

 桐生はシロだという確信はあった。しかし、公平であるべき僕は、客観的な根拠に基づいて「セクハラではない」と判断しなければならなかった。

 

 桐生が部下へ送ったメールに、片っ端から目を通していく。第二営業部には女性社員が八名いる。一ノ瀬以外へのメールを開いた。どのメールにも、一ノ瀬にかけたのと似たり寄ったりの言葉が含まれていた。


「……バカすぎる」


 もし八人全員からセクハラを訴えられれば、左遷が確実になる。この時点で僕は、完全に詰んだと思った。

 調査のついでに、ある男性社員宛のメールを開いた。少し前に桐生が「進藤に似ている」と言ったので、気になっていた。

 やはりそこにも、同じような言葉が並ぶ。他の男性社員宛も確認した。


「バカの一つ覚えか!」


 僕は思わずツッコミをいれた。

 おかげで、一ノ瀬に訴えを取り下げさせるシナリオが書けた。

 彼女にはきっちり、と教える必要がある。


 解決の糸口がつかめた今、気がかりなのは僕に似た男性社員の方だった。


「まさか、酔わせて持ち帰ろうと思ってないよな……。僕の時みたいに」

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