★22:パンドラの箱

 右手と左手にそれぞれA4のコピー用紙をひらひらさせながら峯村みねむらがモナリザとムンクが混ざったような笑みをしている。自称、悩殺フェイスらしいがやめていただきたい。四十過ぎのおっさんがしていい顔じゃないだろ。


「ねぇ、悪い話とかなり悪い話があるんだけど、どっちから聞きたい?」

「馬鹿言ってないで火消しに時間かかる方から早急に」

「つれないねぇ」

「峯村課長専用の説明書、作ってあるんで」


 まともに相手をしたらいくら時間と精神があっても足りない。これはかじ壮輔そうすけがこの総務部特殊総務課に配属された初日に導き出した真理の一つだった。


「じゃ、そこに追加しといてよ。雑に扱われると拗ねるって」

「五八ページにもう書いてあります」

「うそぉ」


 一切視線を向けず、梶はパソコンに向かって作業を続けながら手だけを突き出した。そっと重ねられる手。


「違いますよ! 握手なんかしたいワケないでしょうが! トラブル案件を寄越せってんですよ‼」

「ひゅう、照れ屋さんかな?」


 手をはたき落として峯村に向き直り、ひったくるように一枚の紙を奪い記載内容に目を通す。

 特殊総務課は、他部から回ってきた多種多様な要望――の体裁を取ったトラブル案件を解決するために総務部の中に作られた、とされている。実際のところ社内変人筆頭である峯村を窓際に体よく隔離しておく閑職なのではないかと、梶は思っている。


 その割りに、回ってくる案件はそれなりにえぐいんだよな。


「えっぐ……。これ、こないだ営業部が他社に情報漏洩やらかしたやつでしょ。特殊総務うちで犯人捜ししろってことすか」

「あ、梶君、そっち引いたんだ」


 満面の笑みで立ち去ろうとする峯村の肩を掴み、もう一枚をもぎ取る。その内容は給湯室にある電子レンジの交換予算を引っ張ってこいというものだった。


 待てこら。この電子レンジ壊したの峯村課長でしょ。知ってるんすよ、レンジにアルミホイル突っ込んだの。何すか一人社内花火大会って。そんなんだから他の部や課からのあだ名が〝容疑者〟になるんすよ。何か不審なことがあったらとりあえず疑われるくせに。


「どう考えても峯村課長が自費で弁償して終わりでしょそっちの案件」

「あれはびっくりしたよねえ。ブレーカー落ちてフロア停電もしたし」

「ついでに停電で迷惑かけた部署に迷惑料も払ってきたらどうすか。めっちゃ恨んでましたよ、経理部の同期が」

「黒こげのレンジ、開ける時ちょっとパンドラの箱開けるみたいでわくわくしたよね。しなかった?」

「話聞かないタイプの容疑者っすか。わくわくするわけないでしょ。この際なんでちょっとお高めの電子レンジにしといてください」

「贅沢だなぁ。最近の若いモンは」


 ぷくっと頬を膨らませて峯村は言う。

 だからそういう仕草をおっさんがすんのはやめろて。


「言いたかったんですねその台詞」

「バレたか。じゃ、ちょっとレンジの予算交渉してくるねぇ」


 頭の後ろで手を組み、バランスの悪い足取りで歩いていく。

 あれ多分、颯爽と歩いてるつもりなんだろうな。


 §


 後日。

 給湯室に高機能スチーム調理機能付きのオーブンレンジが納入された。


「いやぁ、言ってみるもんだねぇ。経理部長は太っ腹だよ」

「あれ、十五万くらいするやつっすよね? 無駄遣いにもほどがあるでしょ」

「ひどいなぁ。梶君がお高めのがいいって言ったのにさ」


 機能の大部分を腐らせることになることは間違いないその高機能レンジで、峯村は冷凍ピザを温めて満足気だった。


「あ、それと。もう一つの案件。営業部の情報漏洩の方ね。あれもなんか解決しちゃった」

「はぁ⁉」

「いやぁ、奇遇だよねえ。ほら、ブレーカー落とした﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅じゃない。あのとき、データバックアップが自動で取られてたみたいでさぁ。あ、これシステム部の上層しか知らないことだから内緒ね。で、復旧後の社内パソコンと照合してもらって、誰がどのデータを抜いたか、どこに漏らしたかも分かっちゃった。ファイルコピーの痕跡があったのは、経理部の入札データね」

「……電子レンジの予算の説明になってないっすけど。犯人を見つけた語ご褒美ってことすか」

「それがねえ。たまたま、ついでに、偶然、法務部長が愛人に送った熱い愛のメッセージも出てきちゃってさぁ。こまめに消してたんだろうけど、タイミングがねえ。悪いことしたなぁ」

「そう言う割りにはめっちゃ楽しそうに話しますね」

「不祥事が明るみに出れば営業部と経理部は困る。証拠が出ればついでに法務部長が困る。僕らが新しい電子レンジと引き換えに黙秘すれば内々に処理が進むさ」


 なんだそれ。風が吹いて桶屋が儲かりすぎてんだろ。


「まさか、わざと﹅﹅﹅電子レンジ壊したんです?」

「パンドラの箱は、開けない方がいいよね」


 峯村が意味ありげに笑う。梶は反射的にピザの最後の一切れを奪い取って口に放り込む。


「あぁっ。なにするのさ」

「いや、なんかニヒルな顔が解釈違いだったもんで、つい」


 情けない声で抗議した峯村を見て、梶は大いに頷いた。

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