★13:はじける給湯室

 異動初日、始末書の書き方を習った。

「今から書くから見てて。始末書の雛形、取り揃えてるから」

 法務部課長の丹羽にわさんは、外患誘致罪給湯室に鍋持ち込み罪で総務部に逮捕されたという。


〝今後は給湯室でカツ丼を作りません〟


「そんなノリでいいんですか」

「それがね、いいんだよ」

 丹羽さんは過去に書いた始末書を並べて私に見せた。

「……雛形を作ってあるんですか?」

「仕事を減らすためなら、僕は何でもする。小関こぜきさんにあげるよ」

 十月一日いっぴ、私は始末書の雛形のデータを貰った。そもそも始末書を書くようなことをしなければ、始末書なんて書かなくて済むのに。


 §


「またか丹羽ァ! 社内で揚げ物する奴初めて見たわボケ!」

 給湯室から大量の煙が出ているという経理部の苦情を聞きつけ、飛んできた渡辺わたなべたまき総務課長が丹羽さんに怒鳴った。

「前に肉じゃが作った時よりはマシでしょ。環に怒られて反省したよ」

「どこが反省だよ! 給湯室は台所じゃねぇ!」

 正論も正論である。


「掃除くらい、僕がやるのに」

「丹羽の掃除ほど信用できんもんねぇわ。そこに立っとれバカタレ!」

 掃除を始めた環さんを私も手伝う。

「サンキュー。小関さん、丹羽の課に来たの? 可哀想に。こいつの言うこと、聞かなくていいからね」

 気まずそうに丹羽さんが立つ前で、私と環さんは懸命に給湯室を掃除する。下半期初日から、えらい目に遭わされた。


「なあ丹羽。見な、経理部の皆さんを」

 環さんが丹羽さんの背後を指さす。丹羽さんが振り向いた。私も振り向いた。経理部の皆さんが総出で並んでいる。

「煙が全部経理部うちのオフィスに流れてきたんですけど。二回目ですよね」

「二回目ですね」

 蛙の面に水だった。経理部の誰かが舌打ちをした。


「丹羽ァ、経理部がいかにお怒りか分かるか? 総務部もいかにお怒りか分かるよなァ?」

「お怒りって、どうせ営業の前田君が飛んだ件の八つ当たりですよね。分かりますよ。法務部うちも、彼が担当だった都の補助金の案件で苦労してるので」

 丹羽さんは罪のない経理部を煽る煽る。カツ丼作ったくせに。

「怒るなら前田君にした方がいいですよ。割とマジで」

 噂では、前田さんは引継ぎも殆どしなかったという。尻拭いで満身創痍の経理部に、丹羽さんが追い討ちをかけている。顔が凍り付く経理部の皆さんが気の毒で仕方がない。


総務部うちも苦労してんだよな。前田、営業成績は良かったけど、個人主義で何やってるか謎だったし、飛んでからは連絡取れねぇし」

「大変ですねぇ」

「丹羽よりやべぇよ」

 環さんのシンクを擦る手に力がこもる。恨みがあるらしい。そりゃそうだ。


「丹羽、始末書と一緒に反省文も出せ。俺宛てだぞ」

 いつの間にか経理部の人は帰っていて、掃除を終えた環さんは棒立ちの丹羽さんに反省文を命じた。環さんを見送ってデスクに戻った丹羽さんは、パソコンで『秘蔵』ファイルを立ち上げる。


 秘蔵ファイルには百を超える定型文が並んでいた。丹羽さんがエンターを押すと、定型文が組み合わされて反省文が印刷される。反省の色が、出がらしのお茶よりも薄い。

「環には内緒ね」

 指を一本立てて、丹羽さんはウインクをした。

「あの、丹羽さん」

「これもあげようか?」

「いりません。それより、一つ質問があります」

 丹羽さんは寂しそうに秘蔵ファイルを引っ込めた。


「丹羽さん、わざとカツ丼を作りました?」

 私がそう言うと、丹羽さんの目がきゅっと細くなった。

「わざとだね。勝手にカツ丼はできないし」

 さり気なく話題を逸らされた。ビンゴだ。

 違います、と私は首を横に振った。


「経理の方、文句言いに来てたのに、途中で姿が消えましたよね」

「仕事に戻ったんじゃない?」

 経理は総出で丹羽さんと喧嘩をしていた。あんなに丹羽さんに煽られたのに、急に怒りを引っ込めて一斉に帰るとは思えない。


 ――仕事に戻らざるを得なかったのではないか。


「小関さん、来たばかりなのに察しがいいね」

 今日は十月一日。引継ぎなく飛んだ前田さんの後始末に、各所が追われている。

「僕は善意で教えてあげただけだよ。たぶんまだ前田君の仕事残ってるよって」


 中間決算の発表日は近いが、まだ間に合う。売り上げの把握漏れになれば、国税局すら動きうる。経理部は何としても、前田さんの仕事を完全に把握する必要がある。

 都の補助金。その耳馴染みのない一言で、聡明な経理部は察した。

 もしや、まだ経理部が把握していない余罪があるのではないか。

 彼らの顔が凍り付いたのは、きっとそのせいだろう。


「直接言えばいいのに。環さんも不憫ですし」

「直接言ったら、首を突っ込んだ僕が尻拭い担当になるに決まってるじゃん」

「……都の補助金の件ですか?」

「そう。気付かなかったふりをしても良かったけど、罪のない経理部が哀れで放っておけなくてさ。こうするしかなかったんだ。仕事を減らすためなら、僕は何でもする」

 丹羽さんは悪戯っぽく笑った。


 §


「でも、カツ丼でなくてもよかったのでは……」

「それは僕の好み」

「環さんが可哀想……」

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