第229話 ノーコメント
とても柔らかく、暖かいものが枕になっている。
そして良い匂いもする。
……この匂いは、どこか懐かしい匂いだ。
いや、匂いだけじゃない。
この後頭部を包んでくれている感触は覚えがある。
いつだったか……ローエが膝枕してくれたあの時の感触だ。
この天にも召されるような気持ちの良い柔らかさと匂いは間違いない。
俺の妻ローエだ。
あの時はまだ妻じゃなかったっけ?
眠気が覚めて覚醒してくる思考の隅で思い出を浮かべた。
心安らぐローエの女の香りが鼻をくすぐり、俺はゆっくりと目を開けた。
その先には美しいエメラルドグリーンの瞳が俺を覗き込んでいた。
一瞬グロリアに見えたがツインテールじゃない。
金の長髪を垂らしている。
「あ、起きた」
「ローエじゃないか」
「え?」
「もしかして心配で来てくれたのか?」
言いながら、膝枕から身を起こした俺は身体のあちこちに包帯が巻かれていることに気づいた。
オフィーリアちゃんから受けた傷と、血の怪物から受けた傷とでまぁ凄い包帯の量だ。
最後の記憶はあれだ……血の怪物を焼死させた後でグロリアとレミーが触手から解放されるのを見たまでだ。
二人が解放されたのを見たら、なんか一気に疲労が上がってきて、意識が吹っ飛んだ。
かなり寝ていたみたいだが、やはり身体はまだ痛い。
回復には時間が掛かるだろう。
周りを見れば、ここはテントの中だ。
ローエと俺しかいない。
血の怪物戦の後にみんなが俺をキャンプへ運んでくれたんだろう。
というかローエがさっきからキョトンとしているが、どうしたのだろう?
「ローエ?」
「ぁ……ぇ、ええ! そうですわよ? あなたが心配で来てあげたのですわ」
「ありがとう。嬉しいよ。カティアとフランは?」
「あ、あの二人はお留守番よ……ぁ、ですわ!」
なんか喋り方がぎこちない。
それにちょっと声が違うような?
んー、でもこの匂いはローエだよなぁ。
いや、待てよ?
グロリアもこんな匂いだったはず。
それにローエは──
「──お前……グロリアだろ?」
「あら? 妻を疑うの? 酷いですわ」
「いやいや喋り方がギコチないし、頭の羽飾りもない」
──ローエは妹リーネに貰った羽飾りを毎日つけている。
外す時など寝るときか、お風呂のときぐらいだ。
「あとインナーの種類も違う」
「……はぁ、もうバレちゃったか。つまんないの」
「やっぱりグロリアだったのか」
「そうよ。まさかお母さんと勘違いされるとは思わなかったわ」
「いやぁ~太ももの感触と匂いがまっっったく同じだったから分かんなかった。はははは!」
「感触と匂いって……。ん、まぁ元気そうで何よりだわ」
「はは、あと髪を下ろしてるとお母さんそっくりだなグロリアは」
「そぉ?」
「パッと見じゃ分からないよ。今度カーティスあたりに試してみたら? たぶんしばらくはバレないぜ?」
「それならリーネ叔母さんにやってみるよ」
「それは面白そうだな」と返して、俺はテントの外へ耳を済ました。
……静かだ。
虫の鳴き声と焚き火の弾ける音だけが聞こえる。
人の気配もする。誰か見張りをしてるんだろう。
「もう夜よ。お父さんかなり長いこと眠ってたから」
「そうか」
「みんな疲れ切ってたから、あの後すぐキャンプに移動したの。細かい調査は明日ってレィナ叔母さんが言ってた」
「なるほど。なら俺も朝までまた寝るよ」
「それがいいよ」
「っていうかお前……なんで俺に膝枕してたの?」
「嫌だった?」
「いや……嬉しいけどさ。なんで?」
「夜の見張りをサボるため。アタシもう身体のあちこち痛いもん」
「な、なるほど……」
まぁみんな疲れてるなら見張りが誰になるかはジャンケンとかになりそうだよな。
俺の看病ってことでその場を凌いだ感じか。
「あ、でもお父さんの顔けっこう可愛いから寝顔を眺めたかったって理由はあるよ? ちゃんと」
く……ローエと同じこと言ってやがる。
そんなところ似なくていいから。
可愛いって言われて喜ぶ男なんて居ねーから。
「ぜんぜん嬉しくない理由だな」
「そぉ? お父さんの顔はホントに可愛いよ?」
「あ~うるさい。寝る」
まったく嬉しくない話題だったので、俺はすぐに横になった。
隣でクスクスと笑うグロリアはランプを消して俺の隣で横になる。
毛布をかぶり、しばらくして。
「……ねぇ、お父さん」
「ん?」
「レグナたちが言ってたよ。お父さんは本当に凄いって」
「そうか」
「……アタシもさ。本音を言うとお父さんの伝説は大袈裟で美化されたものだって思ってたの。でも生で見ると全部本当だったんだって、思い知ったわ。あのカーティスにも勝っちゃうし」
カーティスに勝った、か。
結果で言えば引き分けなのだが、当のカーティスは負けたと自分で認めていたな。
肩当てを吹き飛ばされたから、と。
「これ国王さまが言ってた伝説なんだけど、お父さんって前に70メートルのドラゴンを一人で倒したのよね? それなら今回のあんな30メートルちょっとの怪物なんて相手にならないわよね。あいつ再生能力がなかったら相手になってなかったもん」
「いやいやいやちょっと待てグロリア。70メートルのドラゴンはお母さんたちと協力してやっと倒せたんだ。俺一人じゃ無理だったよ」
「え、そうなの!?」
「そうだよ。それに今回の怪物だってレグナくん達がいなかったら勝てなかったよ。一人じゃどうにもならない敵っているんだ」
「へぇ……それも初耳。お父さんの伝説ばっかり聞くからさ」
なんか本当にローエ・カティア・フランベールの話が出てこないな。
ここまで来ると申し訳なささえ覚えてくる。
ほとんど俺の伝説のせいで消えちゃったんだろうし。
……まぁ、あれから20年は経ってるから、大袈裟に聞こえる伝説しか残らないんだろう。
「でも、ほんと……今回の件でお父さんとアタシの実力差もハッキリ痛感したわ。アタシ、レミーと二人掛かりでオフィーリアを止められなかったもん。お父さんは一人で押さえてたのに」
おおぅ……それこそ俺は初耳だぞ娘よ。
まさか押されてたとは。
そんな事態になってたなら、むしろ無事で良かった。
「今回は素手で、しかも手加減しながらのハンデがあったからな。仕方ないさ」
「いやそれお父さんも同じじゃん……」
「まぁまぁ、それよりオフィーリアちゃんで思い出した。彼女は大丈夫なのか?」
「うん。ちょっと前にまた一回だけ目を覚ましたんだけど、まだ全身が痛くて動けないって。でも命に別状はないわ」
「なら良かった」
それにしても……オフィーリアちゃんだけ何故あんな風になってしまったんだろう?
明日のオルブレイブ調査で何か分かるといいんだが。
「じゃ、もう寝るか。おやすみ」
「あ、待ってお父さん」
「なんだ?」
「最後に一つだけ聞いていい?」
……なんか凄く真剣な顔してこっちを見てくる。
何か深刻な話だろうか?
「え……な、なに?」
「アタシとお母さんどっちが綺麗?」
「──……は?」
「いや似てるって言ってたから気になって」
「……」
拍子抜けした俺は無視してそのまま寝ることにした。
「ねぇお父さん? なんで黙ってんのよ? ねぇってば!」
「おやすみ」
「ちょっと!」
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