第127話 呼び捨て

 俺達は三日間の進軍を経て、ようやく【竜軍の谷】へと辿り着いた。

 天候は雪のまま。

 やや風があり、地吹雪が吹き荒れる。


【竜軍の森】は氷柱と雪に覆われた白銀の煉獄と化していた。

 ある者は雪の吹き溜まりに足を突っ込んでしまい、引き抜くのに難渋したり。

 またある者は鎧にへばりついた雪を払う。


 俺も肩に積もった雪を払いのけ、仲間たちにキャンプ設置の指示を送った。

 それぞれが慣れた動作でキビキビとキャンプのセッティングを済ませていく。


「思ったより時間が掛かったな」


 俺が【竜軍の森】の入り口前にて呟くと、隣のフランベールが両手をこすり合わせながら冷たい息を吐いた。


「仕方ないわ。馬もない雪道での進軍だったもの。むしろ早く着いた方だと思うわ」


「それもそうだな」と返しつつ、俺はまばらに生える巨木を見た。

 それらの枝や葉には雪が厚く降り積もり、すべて落ちてくれば大人一人は軽く埋まるであろうことが予測できた。


 これはこれで危険だな。

 あとでみんなに注意を促しておこう。


 そしてここでどれだけ雪が降り続いているかもわかった。

 これだけ降り積もっているとドラゴンの痕跡を探すのは困難を極めるだろう。

 

 ドラゴンが残した足跡など、すぐに雪に埋もれてなくなってしまう。

 

 俺は空を見上げた。

 空を覆い尽くした灰色の雲は、今も絶え間なく大粒の雪を降らせ続けている。

 もう少し弱まってくれたら助かるのだが、そもそもこの雪の元凶がこの先にいるのなら仕方ないとも思えた。



 キャンプの設置が終わり、焚き火を起こしてみんなで囲んだ。

 全員が装備や携帯食などの準備を完了させていることを確認し、俺は仕事モードをオンにして仲間たちに指示をする。


「全員揃ったな。これより【竜軍の森】へ入り、新種のドラゴンの偵察をおこなう。偵察期間は食料・我々の状態・天候と常に相談して決める。また一日の偵察期間は日の沈む前だ。この悪天候の中での長々とした偵察は危険を極めるだろう。各隊は早めの帰還を心掛けろ」


「はっ!」っと仲間たちが声を張った。

 俺は頷いて続ける。


「万が一、偵察対象のドラゴンと遭遇し、発見されてしまった場合は無理な戦闘は極力避け、撤退を優先するんだ。我々【フォルス隊】に報告することを第一とせよ」


「ゼクード隊長。もし撤退が困難な場合はどうしましょう?」


 聞いてきたのはハーレムに憧れていたあのS級騎士だった。

 良い質問だ。


「【フォルス隊】は常にここで待機している。ドラゴンの追撃が激しく、撤退が困難な場合は魔法を空に向かって射て。それを【救難信号】とみなし、我々【フォルス隊】がそちらに急行する。合流するまで防御に専念し、持ちこたえるんだ」


「はっ! 了解しました!」


「ん……天候悪化での帰還は許可する。みんな、とにかく死なないことを優先してほしい」


 俺は心の底から願うようにそう言った。


「了解」「了解です」「気を付けます」などなど騎士たちがしっかりとした声で告げてくる。

 それを聞くだけでどこか安心する。

 今の彼らは強いし冷静だ。きっと大丈夫だろう。


 誰かが死んだら、俺はその騎士の遺族たちに顔を合わせ、頭を下げに行かなければならない。 

 何回かすでにやっているが……立場上仕方ないとは言え、絶対にやりたくない仕事だ。

 

「よし。では各隊出撃! 【竜軍の森】は深い。迷うなよ」


「はっ!」


 寒冷にも負けない熱のある騎士たちの声が弾けた。



 仲間たちを見送ってから数分後、俺は設置された待機用のタープテント内で寒風を凌いでいた。それでも寒い。


 ならば焚き火で暖を取ればいいだけの話なのだが、この極寒の中で偵察している仲間たちに悪い気がして、焚き火から距離を取ってしまっている。

 その仲間たちだけでなく、カティアとローエも寒い中頑張っているのだから尚更。


【救難信号】が発射されないか。

 その確認のために、少し遠くに空の見張りとしてカティアを配置し、望遠鏡を持たせて立たせた。

 常に望遠鏡を覗く彼女の背にはローエを置いて守らせた。

 

 カティアとローエは同じ防寒マントにクルまり、背中合わせの見張りとして機能している。

 あれなら互いの体温で暖かいだろう……と思うのだが、二人ともオリハルコンの鎧を着込んだ重装備同士。

 相手の体温など分かるはずもない。


 あれではどのみち寒いだろうなと思いつつ見ていると、フランベールが俺の前まで来て「はい」と木製コップを差し出してきた。

 差し出されたコップには湯気が立っていて、俺の目前を白くした。


「わたしの氷を溶かしてお湯にしたやつだよ。これで身体を暖めてね」


「おお、助かるよありがとう」


 受け取ったコップをかじかむ手で包み、その暖かさで感覚を回復させていく。

 

「ゼクードくん。本当に大きくなったよね」


「え?」


「さっきみんなに指示してるゼクードくんを見て思ったの。わたしたちに指示してる時より隊長って感じがしてたよ」


「そう?」


「うん」とフランベールは踵を返して焚き火の元へ。

 カティアとローエの物と思われるコップ二杯に、鍋で沸かしたお湯を流し込んでいく。


「ちょっと前はわたしの生徒だったのに、大きくなったなぁって、なんか感慨深くなっちゃって」


「そう思うならそろそろ『ゼクードくん』って呼び方やめてくれよフラン。カティアやローエみたいに呼び捨てでいいんだぞ?」


「呼び捨ては、ちょっと……」


「なんで? 夫婦なんだし呼び捨てで良いじゃないか」


 もうあんなことやこんなことして子供までいる間柄なんだし。


「そ、それはそうだけど……わたし呼び捨てはなんか苦手で……」


「ほら。『ゼクード』って呼んでみてよ」


「えぇ……」


「じゃあ俺に続いて。『ゼクード』」


「ゼ、ゼクード…………くん」


「『くん』いらないの。『ゼクード』」


「ゼ、ゼク……ゼクード……く……くっ!」


「も、もうちょっとだ! そこを堪えて!『ゼクード』!」


「ゼゼ、ゼク、ゼクードく……ぐっ、くっ!」


 ガチッ! とフランベールの口から変な音がした。


「───っッっ!?!」


 フランベールは口を両手で覆い、屈んで悶え出した。


「し、舌噛んだ……」


「なんで!?」


「うぇうぅ……痛ぃ……」


「あの……なんか……ごめん……」


「うぅ…………」


 俺は謝罪しながら、半泣きのフランベールの背中を擦った。

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