第2話

 慶悟の両親が見舞いに訪れたのは翌日のことだった。十月九日、週の半ばに二人は有給をとって二年ぶりに息子の顔を見ることになる。慶悟はスマホで時間を確認しながら緊張の面持ちで二人を待った。

 時間になるとコンコン、とノックがあり慶悟は緊張のせいで「はい!」と声を張り上げた。

「あー慶悟だ」

 母親がおずおずと入室して慶悟を見つめるなりそう言った。二年ぶりの息子に驚いているような、喜んでいるような、自分たちの労苦の原因を悟ったような、なにより家族というには実感の薄い言い方だった。まるで子供が地方のマスコットキャラを見つけて名指すかのように素直で浅い一言だった。

 すぐに後から父親がテンパリながら入ってくる。

「おーー慶悟だ。変わんないな」と嬉しそうにこぼした。

 母とは違い、父の表情は柔和で朗らかだった。慶悟と性別の異なる母とは違い、男親の父は慶悟に対して不器用に接する。二年という歳月がむしろ不器用さで生じていた隔たりを閉じたのだろう。

「久しぶり」

 慶悟は照れくさそうに言った。

「調子はどうだ」

 父が病衣に包まれた慶悟を見つめる。

「ぼちぼちかな」

 言って、肩回りの筋肉を気怠げに解す。

 慶悟の体の調子はまだ本調子ではなく二年ぶりに基礎代謝が生じているせいか倦怠感に苛まれている。

「そうか……」

 安心したのか少し父の声がトーンダウンする。うっすらと疲れを帯びた声色で、安堵にも近いがそれ以外の感情が多分に含まれていそうな返事だった。

 慶悟の父はそのまま顔を伏して、遠目に床材を見つめた。真っ白な埃ひとつない病室は、案外居心地がいい。居心地がいいのにどこにも行けない状況が慶悟を窮屈にさせる。

 慶悟がコールドスリープすることが決まってから、二人は医療費を稼ぐためにあくせくと働き出した。その忙しさはまだ癒えておらず、両親の顔には疲労と老化の皺が刻み込まれている。だいぶやつれたな、と慶悟は痛々しく思う。

「そっちはどうなの。最近。茜とか絵麻とか奏士とか」

 重苦しい雰囲気の再会にはなりたくて話を切り替えるために、妹や従兄弟たちの名前を出した。

「元気にしてるよ。茜は今年受験だ」

「そっか。もうそんな年か。俺より先に茜が大学受験をすることになるなんてな」

 はは、と慶悟は自虐で笑う。わざわざ傷つきたくて出た言葉ではなかった。ただ、ありのままの現実を知りたくて、受け止めたかったのだ。

「絵麻ちゃんは今年就職するらしい」

 慶悟の冗談に表情を強張らせた父が、さらに強張るようなことを言った。

「マジ⁉︎ ああ、専門だっけ絵麻」

 父は頷く。

 地方に住んでいる絵麻と奏士は慶悟の父方の従兄弟で、慶悟は当人たちに直接連絡を取ることは殆どない。父が両親、慶悟の祖父母の家に電話した時に、ちょろっと情報を仕入れたのを横流ししてもらうだけの関係性だ。でも、薄い関係の従兄弟だとしても血のつながった人間の近況を知れるのは嬉しかった。

 だとしたら、彼のことを知れたら。また会えたら。

 慶悟の心が静かに沸き立つ。記憶の中の従兄弟たちの容貌はだいぶ掠れたが、彼の顔は容易に脳裏に浮かんだ。

 黒川友希。彼の名前を慶悟は口にした。

 慶悟がその友人の名前を出したのは母親が持参した慶悟の着替えを収納キャビネットにしまうのを見ながらのことで、その話題の出し方は母が家事をする横で息子が友達の話をする、くらいの気安さがあった。

「あ、ああ。黒川くん? 最近は何してるか知らないわね。ほら、一人暮らししてるでしょ?」

 そのことは友希からのラインで知っていたので、慶悟は頷いた。

「連絡とかとってないの?」

「友達の親がわざわざ連絡なんてしないわよ」

 それもそうか、と慶悟は思う。でも、慶悟は友希の話題を両親が遠ざけているように聞こえた。

「もうそろそろ時間か」

 母が服をしまい、入院生活に必要な諸々の荷物を片すと父が言った。その間父は周りをうろうろとしていたり病室の備品を調べていたりして時間を潰していた。再会後の会話は、慶悟の入眠前と同じく少なかった。

「まあ、今日は顔を見にきただけだ。お見舞いなりなんなりはまた後で、でもいいだろう」

「寂しいんだよ」

 やっつけるように慶悟は言う。演技めいた声を明明とさせて、虚勢を張った。

「それにお見舞いに来るのだって予定というものがある」

「そうだね」

「まあ、また来るよ」

 そうして、目覚めた後初めてのお見舞いは終わりを迎え、両親は帰って行った。慶悟は両親の背中を見ながら、黒川友希のことを思っていた。

 

 黒川友希。慶悟はコールドスリープに入る前に最後に会った人間。男友達。大親友。そして、──慶悟が告白された相手。

 

 *

 黒川友希が高階慶悟に告白をしたのは、高校三年の一学期期末考査がおわり、あとは夏休みを迎えるだけ、というタイミングだった。

 日が強くなり二人とも半袖にワイシャツという格好で、人気のいない廊下に呼び寄せられた慶悟は首筋にじんわりと汗を浮かべていた。

 慶悟が踊り場で待っていると友希が階段を登ってくる。踊り場は日陰ではあったものの十分暑気が篭っている。慶悟は第一ボタンを外し、シャツをはためかせて風を送る。壁にもたれて慶悟が熱気を逃す様は少々色っぽい。

「ごめん待たせた」

 友希は慶悟の首筋をめざとく見つめている。慶悟の額につー、と汗が垂れた。

「用って何?」

 慶悟はスマホをいじりながら何ともないことのように訊いた。声に棘はないものの暑さで苛ついてはいた。

 放課となり教室のエアコンも運転を停止しているので、学校のどこにいっても暑いのだが、わざわざ人気のないところに呼び寄せるのはなんなんだろう、と慶悟は思う。

「あーごめん」

「なんだよ、さっきから謝ってばかりじゃん」

 俺とお前の仲だろ、と暗に示す。笑って返すと、友希の顔はより真剣なものになった。慶悟は友希がたまに見せる真面目な顔をよく知っていた。例えばついこの間、期末テストのために二人で開催した勉強会で集中して勉強していた姿とか、二年生のとき文化祭での準備期間で男とつるんでだらけることなく女子と協力して準備に当たっていた姿とか、例えば慶悟の恋模様に耳を貸してくれた姿とか。友希が身に纏うそういう空気感が慶悟は好きで、そして今友希は一言二言交わしたその一瞬で漂わせた。

 そのことに気付いてから慶悟は置いて行かれたように表情筋を脱力して閉口した。そして気まずさから唇を口の中にしまうように食んだ。

 まずったか、と思うものの友希はまだ口を開かない。

「なに、言いづらいこと?」

 どうして責めるような口調になってしまうのだろう。慶悟はいつもの軽いノリがここでは全く意味を為さないことに気づいた。

「うん、そうだね……」

「そうか」

 納得した返事。納得しただけで先には進まない。慶悟は待つだけになってしまった。

「なんか俺やっちゃった?」

 じきに申し訳なさが来て、問うた。俺が気づかないうちに何かやってしまったのだろうか、だから言い出せないのか、と思案する。友希になら罵倒されてもいいと慶悟は思う。それだけの信頼があった。そして、信用を失うことがなによりも怖かった。

「違う! 違うんだ……」

 しかし、弾かれように友希が否定する。

「言い出せないことならわざわざ言わなくていいよ。秘密のひとつやふたつくらい気にしないし、あったところでどうもしない。ただ、隠し通すことが不誠実になるのなら言ってくれ。俺はちゃんと受け止めるから。そして受け止めた上で殴らなきゃいけない理由があるなら、俺は構わず殴るぞ。安心してくれそこは」

 と戯けるように言った。後半は半分冗談で半分本気だった。慶悟も自分自身友希に不誠実なことをしたら遠慮せずに殴ってほしいと思う。殴られることになるような隠し事は今のところ存在しないが。

「信用してくれてるってことだよな」

 石橋を叩くかのように友希は確かめた。

「当たり前だ。俺はお前のことを親友だと思ってる」

 親友。そんな言葉は小っ恥ずかしくて、普段の慶悟は当の本人ががいる前では言えたものじゃない。ただ、この場においてむしろ友希しか聞いていないからこそ、慶悟は満足にその言葉を使うことが出来た。

 親友で、親友だからこそ、いつまでもつるんでいたい。

 慶悟がそう思う反面、友希は唇を噛み締めた。伏した顔にどんな感情を湛えているか、慶悟は窺い知れない。

「だったら」力強く友希が言った。「俺を殴ってくれ」

 そこではじめて友希と目があった。友希の瞳は潤んでいた。水面が景色を反射するように、その瞳は慶悟のことをよく捉えていた。

「──お前が好きなんだ」

 その告白を聞いて、慶悟は時が止まったかのような錯覚を覚えた。


 それは七月の終わり、全く暑さを感じない日のことだった。

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睡眠死2024 無為憂 @Pman

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