睡眠死2024

無為憂

第1話

 不凍血液の循環が停止する。肉体の解凍が始まり、冷凍睡眠ポッド内で減圧が生じる。機械はゆっくりと熱を入れ、ゆっくりと蘇生していく。

 眠りに入って二年目の冬。高階慶悟は何とも知れず、コールドスリープ用ポッドの中で目を覚ました。ポッドの蓋となるガラスケースは結露しており、慶悟は視界のない窮屈な箱に恐怖を覚える。しかしすぐにプシューという音ともに前面の蓋が開き、ささやかな安堵を覚えた。

「おはようございます。お名前言えますか?」

 二十数歳の若い看護師が、慶悟に訊いた。自分の名前……、はっきりと思い出せる。

「高階、慶悟です」冷たい声帯が沁みるように震えた。

 よしっと、と上から慶悟を覗き込んだ看護師が紙を挟んだボードにチェックを入れた。「意識よし」

 まだ熱の戻っていない箇所があるようで、手の先や足先は特に肌寒さを感じる。狭いポッドの中、体内で熱が行き渡るようグーとパーを繰り返し、筋肉を意図的に動かす。心臓が脈打つ音がトクトクと聞こえた。

「起き上がれます?」

 上体を起こそうと思ったものの、うまく体に力が入らない。

 あちゃー、やっぱ無理かー、と看護師は慶悟に聞こえるように言った。「お手伝いしますね」

 白衣の看護師が、慶悟に近づく。介助され慶悟は上体を起こした。それから応援を呼び、二人がかりで慶悟をポッドの隣に置かれたベッドに移動させた。

 慶悟がコールドスリープから目覚めた場所はこぢんまりとした事務所のような場所で、事務机に書類が山積みになっていた。使われていない医療器具も放置されていたが、慶悟にはどれがどれだかわからない。

 床に這うレールが、出入り口のその先まで床に敷かれている。ポッドをこの部屋まで運んできたレールだと看護師は言った。

 柔らかいベッドに横になったことで、恐る恐る慶悟は両腕を伸ばした。右側には壁があるのでそれほど伸ばせなかったが、左腕はベッドの外まで伸ばしきるとだらんと楽にさせた。血液が左手の指先にまで通っているのがよくわかる。

 二年ぶりの空気をたっぷりと吸う。慶悟は長い間眠っていたが、本人にはその時間感覚はない。眠って、起きた。それだけのことで、眠っていた間も意識はなかった。

「今、何年ですか」

 天井を見ながら、西暦、……何年、と問う。

「二◯二十六年、十月八日です。高階さんが眠ってから二年と少しですね」

 慶悟はしゃがんだ看護師に顔を向けた。左胸にピン留めされた名札があり、目を通す。それに気づいた看護師が、あっ、と声をあげた。

「橋本です。高階さんが退院するまでよろしくお願いします」

 慶悟は首だけで会釈をした。それに満足したのか橋本さんはボードを取り出し項目のチェックに勤しむ。

──二年か。慶悟ははじめて眠っていた時間を意識した。二◯二十四年にコールドスリープ療法が確立され、慶悟はその療法のほぼ初めての被験者だった。

 治療法の確立していない患者が優先的にピックアップされ、患者はコールドスリープするか否かを選ぶことができた。多くの患者は余命短しといえど永眠と似通った冷凍睡眠に忌避感を示し、この療法を拒否した。

 冷凍睡眠のリストは候補者たちにたらい回しにされ、そして優先度の低い慶悟にまで回ってきた。優先度が低いとはいいつつもそれでも慶悟も予断を許さない病状で、現状新薬の開発は順調だが、慶悟の余命までには間に合わないだろう、と医師から宣告されていた。

 多くの逡巡を経て慶悟は両親の強い勧めで受けることになった。まあ、金を出すのは親だし、という捻くれた諦念が慶悟の選択を後押しした。闘病で苦しい記憶しかない青春を過ごすより、同世代と生きる時間が食い違うことになったほうが、気が楽だった。

 橋本さんはポッド内をいじり始め、モニタされている慶悟のバイタルデータを記録し始める。

「ごめんなさい……不安ですよね」

 橋本さんがポッドの液晶画面を見ながらぽつりと呟いた。慶悟となかなか目が合わないので、それは独り言のようなものだった。慶悟はまたぼーっと天井に視線を投げる。

「起きた患者さんはまだ少なくて、覚醒後のリハビリに励んでいる人もわずかなんです。一年か二年という時間は、私たち、その時間を生きている人間にとっては大したものではないですが、眠っている患者さんにとっては影響が大きいようで、リハビリする気力が湧かない、と」

 高階さんはそうならないでくださいね、大丈夫ですから、と慰めが入る。

「でも二年は長いですよ。十八歳が二十歳になります」

「そうですね、って高階さん起きてたらはたちじゃないですか! 私と三歳ぐらいしか変わらない!」

「俺はもうお酒飲めるんですかね……?」

「戸籍上の年齢が二十歳ならオッケーだと思います!」

 自分ごとのように喜んだ橋本さんに、慶悟は「ははは……」と愛想笑いで返した。

 それからその喜びが自分にも伝わって慶悟は自分がお酒を飲んでいる姿を想像した。一人でちびちびとやっている姿はうまく想像できず、隣にいる誰かと楽しく飲んでいる姿が脳裏に浮かぶ。

 その隣にいるのは誰か。いるべきなのは誰なのか。いるとすれば一人、思い当たる人物がいた。高校生活最後まで親友だった、黒川友希。中学も同じだったが、仲良くなったのは高校からだった。三年間一緒のクラスで、放課後にもよく遊んだ。高三になってからは慶悟の病気が見つかったり、友希の大学受験が忙しくなったりして会話も減ったが、それでも、慶悟が目覚めたらまた一緒に遊ぼうと約束した。残念ながら眠る前に、一度男の大喧嘩をしてそのまま喧嘩別れのように慶悟はコールドスリープに入ってしまったが。

 でも、彼とならまた仲直りをして、そう、酒でも酌み交わしながらまた話が出来ると慶悟は思う。

 友希は今頃大学二年生で、県外の大学に進学したいと言っていたから下宿用のアパートでも借りているだろう。ならそこに上がり込んで、宅飲みすればいい。

 リハビリを終えて退院した後の妄想がどんどんと膨らんでいく。

「どうしたんですか?」

 ニマニマし始めた慶悟に気づいた橋本さんが何かあったかと訊く。

「退院した後の楽しみができたんです」

「それは良かったですね」

 

 それから慶悟のもとに診察をすると言って、医師が現れた。中肉中背の男で、額にはほんのり汗が浮かんでいる。コールドスリープする前に担当してくれた医師だった。

 簡単な診察をすると、医師は慶悟の病気を治すために出来た新薬の説明を始めた。相応のリスクの話もしつつ慶悟が頷くと、医師は一回目の注射をするといって橋本さんに打たせる。

「これで経過を見ていきましょう」

 そう言って、医師はまたどこかに消えていった。

「病室に行きましょうか」

 再び二人きりとなった空間で、橋本さんが言った。慶悟が寝ているベッドはストレッチャ―になっており、そのまま慶悟の病室まで運び出せる。

 

 *

 大部屋の病室に運ばれた慶悟は、隣のおじさんが気難しそうな顔をしていたせいで、また窮屈な思いをする羽目になった。橋本さんから眠る前に預かってもらった貴重品を返してもらうと、さっそく慶悟はスマホを充電ケーブルに繋ぎ、枕元にあるコンセントにケーブルを差し込んだ。

 使用年数は何年も経っていないのに、二世代分型落ちになっているスマホ。馴染み深い操作である反面、溜まっているソフトウェアアップデート。アプデを執拗に促してくるので溜まっていた連絡を確認する前に、システムのアップデートを済ませなければならなかった。

 逸る気持ちを抑えて、どうにか必要な手順を踏む。OSのアップデートを終わらせて、再び満足にスマホをいじれるようになったのは夕方になってからだった。

 慶悟はまずLINEを開いた。上限いっぱいに表示された通知が、時間の重みを感じさせると共にわくわくを提供してくれた。果たしてどんな言葉が待っているのか──。

 溜まっているのは半分ほどが公式からの通知で、またその半分が中高の同期からの連絡。そして同期からの連絡の半分以上が友希からの連絡だった。

「あいつ……」と慶悟は笑う。

 友希が慶悟に宛てたメッセージはほとんどが日記のようなもので、いついつに何があった、と逐一報告してくれている。

 喧嘩別れをしたというのに、慶悟が眠ってからの一番古いメッセージは『この間はごめん! 慶悟の気持ちを全然考えられてなかった。許してほしい。慶悟なら許してくれると思うし……』で始まっていた。勝手に謝って解決している文面で、慶悟は思わず笑ってしまう。

 男同士のそういう気安さ、気楽さが慶悟は好きだった。自分も目覚めたらそんな風に軽く受け流して友情を再開しようと思っていたのだから。

『寂しいから慶悟が眠っている間に起きたことを気ままに書いていくよ』

 そうして、慶悟が眠っている間の黒川友希の日常は始まった。


 横になって枕を抱きながらスマホを眺め続ける。友希の日常が綴られていた日記を読み終わるのに消灯時間ぎりぎりまでかかってしまった。

 友希の人生は順風満帆なものだった。夏の始まりに入院した慶悟は、それから追うようにチャットの中で時を過ごした。受験生だった友希は冬の終わりに第一志望の大学に合格し、春先から一人暮らしを始めた。大学一年の夏にはバイクの免許をとり、一人旅に出るのが趣味になった。

 『慶悟とバイクで旅に出たい』と日記にはよく書いてあった。バイクで訪れた旅先の写真が毎回送られてきており、その写真を見る旅に慶悟も一緒に旅をした気になれた。

 その年の冬は友希も寂しいクリスマスを過ごしたようで、『慶悟がいればなー』と思いを綴っていた。ホールケーキを添えて。なんでそんなでっかいもん買ってんだよ、と慶悟は心中でツッコむ。完食するのに三日かかったらしい。

 体がうまく動かせないので、寝返りも上手く出来なかったがそれから友希と共にクリスマス以後の時世を半年分ほど追った。ときに笑い、ときに悲しい出来事の起こる黒川友希のささやかな日常は二年眠っていた慶悟の精神を優しく包んでくれた。

 しかし、──最後のメッセージは半年前のものが最後で、そこから連絡が途絶えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る