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大学の4年間は本当に楽しかった。文学部に進む男子は、やはりオタク気質の仲間が多く、映画、ゲーム、小説の話で毎日友達と盛り上がっていた。


しかし、大学生活が3年生に差し掛かると、親の心配が現実のものとなった。ちょうど2年生の時に起こった世界的な金融危機の影響で、世界中が不況に陥り、文系学生の就職活動は非常に厳しい状況となったのだ。特に、文学部の男子なんてのは大きく割を食った。大企業は端にも棒にもかからず、中小企業でも面接に通ることはなかった。


その頃、僕の身長はすでに190cmを超えており、見た目だけは体育会系に見えるからか、面接の第一印象としてのつかみは悪くなかった。しかし、話す内容が、夏コミに汗だくで参加した話や、SF小説を1万字書いたというオタク全開のエピソードばかりだったため、面接官たちは明らかにうんざりしていた(いや、そんなエピソードを正直に話す僕にも問題があったんだけどね…)。


そんな折、大学の就職課に相談したところ、紹介されたのが航空自衛隊幹部候補生試験だった。得意科目といえば英語と歴史くらいしかなかったが、その他の科目も平均くらいにはできることから、受かる可能性があると言われた。この試験の倍率は非常に高いものの、実際には幹部になりたくないのに上司の命令でいやいや受験する現役自衛隊員も多く、実質的な競争率はそこまで厳しくないという話だった。


正直、再び体育会系の社会に飛び込むことには抵抗があった。しかし、他に就職先も見つからない状況で、背に腹は代えられなかった。自衛隊といっても多種多様な職種があり、自分に合う適性を見つければいいだろうと甘く考えていたところもあった。


そんなとき、祖父が満面の笑みを浮かべながら全面的に協力してくれたのだ。自分の希望通りの進路に孫が進もうとしているのだから、上機嫌になるのも当然だった。祖父は知り合いの地方協力本部(いわば採用担当のようなもの)に連絡を取り、願書を取り寄せてくれたばかりか、署名が必要な箇所以外はすべて記入してくれていた。この時、祖父が僕の将来を本当に心配してくれているのだと思い、感謝しつつ署名をして願書を提出した。まさかその願書が飛行要員のものだったとは知らずに。


航空自衛隊の幹部候補生試験には大きく分けて2つのコースがあり、一つは一般幹部候補生で、もう一つが飛行要員、つまりパイロット専属のコースだ。当然、候補生学校の生活・課程はパイロットのほうが格段に厳しい。それ以前に、試験の難易度も一般幹部候補生よりはるかに高かったが、就職がかかっている以上、手を抜くこともできず、必死で試験に取り組んだ結果、一次試験を突破。二次試験は小論文、面接と航空身体検査、要するにパイロットして耐えられる身体かどうかを見るもので、これについては僕が落ちるはずもなく、小論文と面接は合格最低ラインだったみたいだけど、無事?に通過した。こうして、悪魔のような飛行幹部への道がスタートしたのだ。


まず幹部候補生学校での生活は厳しかった。体力面では余裕だったものの、要領がそれほど良くない僕は、毎日区隊長(学校の指導教官みたいなもの)から怒鳴られ、精神面ではぎりぎりだった。それでも、休日は航空自衛隊は外に出放題だったし(海上自衛隊では集団服装検査があり、皺一つ制服についていると連帯責任で全員やり直しらしい、いや恐ろしい)、同期との交流は面白かったから何とか乗り切れた。


しかし、卒業後の部隊勤務はそうした楽しみは一切なかった。分刻みのスケジュール、一人でこなすには多すぎる仕事の量、上官からの毎日の叱責、そして市民からは公務員は税金泥棒と罵られる・・・そうしてついに飛行訓練を寝坊するまでになったというわけだ。

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