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そもそも祖父が飛行要員の願書を取り寄せたこと自体が、僕にとって間違いの始まりだったのだ。


僕の祖父は、第二次世界大戦で未成年ながら一等兵として従軍しており、戦場では「軍神」と呼ばれていたという。彼は重装備を身にまとい全速力で駆け抜けても疲れを知らず、敵の銃弾を受けても翌日には傷がある程度癒えている。放った銃弾は必ず敵を捉え、いかなる逆境にあっても決して屈することのない精神力を持っていた。むしろ、強敵と遭遇するほど興奮し、戦うことに喜びすら感じていたらしい。僕が本で読んだことがある、不死身の兵士として知られる船坂弘という方がいるが、俺は激戦区にいたら船坂さんよりも活躍をしただろうと勝手に豪語していた。


ただ、戦後復員してからは、家業の金物店の跡取りが祖父しかいなかったため、保安隊にも自衛隊にも参加せず、その無駄に高い身体能力と軍人精神は発揮されずに済んだ。それと子供は娘しかいなかったので、暑苦しい軍隊教育を押し付けようとしても煙たがられ、ふつふつとした不満を抱えたまま、黙々と客からの包丁を研ぐと同時に、怪しげな自称家宝である日本刀を毎日研ぎ続けていたらしい。


そして生まれたのが、僕、湯島翔だ。いろいろ事情があって、不幸にも、僕、母親である祖父の娘、そしてその家族全員と祖父は同居することになった。祖父にとって初の男児ということで、幼いころから、僕は空手や柔道、果ては銃剣道まで叩き込まれた(普通、子供にそんなもの教えるか?せめて剣道にしてほしい)。もし僕が体が貧弱で、祖父の教えを吸収しなかったなら、ここまでのことにはならなかったかもしれない。しかし、おそらく祖父からの隔世遺伝で、僕は人並み外れた身体能力を持っており、その結果、訓練のすべてがしっかりと身についてしまった。小学校6年生のときには、身長がすでに170センチ近くあり、力も反射神経も、すべてが小6のレベルを遥かに超えていた。柔道の小6の部で全国銀メダルを獲得――金でなかったのは、周りに無駄に注目されるのが嫌で、わざと負けたからだ。


中学に進学してからは、ようやく文化部である文芸部に所属し、体育会系の世界から抜け出せたように思えた。僕の成績は、英語と歴史を除けば平凡で、興味があるのは漫画、ゲーム、小説、映画といったサブカルチャーの世界ばかり。つまり、僕は典型的なオタクだったのだ。身体能力という点では祖父と共通点があるかもしれないが、僕たちがまったく違うのは精神面だった。祖父のような「精神力」と呼ばれるような強さは僕にはなく、何よりも体育会系的な価値観にはどうしても馴染めなかった。


しかしここでも災難が起こる。体育の授業で走った100m走の記録が、明らかに中体連トップを狙えるスコアだったということに、陸上部顧問だった体育教師は気づいた。その体育教師は家まで乗り込んできて直談判をし、ぜひ陸上部に入ってくれるようにと懇願した。当然ここで出てくるのは祖父で、どうぞ孫をよろしくお願いしますと勝手に了承した。そこからの練習の日々はあまり思い出したくないが、とにかく最後の中体連100m走は小学生の時と同じく手を抜いたつもりだったが、全国銅メダル。無用にまた目立ってしまった。


高校に入ると、ようやく念願の体育会系から離れることができた。理由は大学受験だ。母は教育ママというほどではなかったが、さすがに大学受験となると家全体がそのムードに染まり、祖父の無理な要求に対しても母はしっかりと抑え込んだ。運動部に所属していては勉強の邪魔になるということで、ついに運動部からも離れることが許されたのだった。


それはとても嬉しかったが、問題は僕の学力だった。中学生の頃から続くサブカル好きは変わらず、英語と歴史以外の成績は平凡そのもの。地方の微妙な国立大学か、東京の私立大学文系くらいしか狙えそうになかった。その結果、僕は私立大学の文学部を選ぶことになった。まあ、それはそれで悪くなかったのだが、入学前に親は少し心配していた。男子で文学部なんかに進んだら就職が難しくなるんじゃないか、と。

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