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「申し訳ありません、寝坊しました。」
その一言が、静寂を破った。教官の顔には呆れの色が濃く浮かんでいた。
今日の飛行訓練は午前6時(自衛隊ではマルロクマルマルと言う。部隊によっては最初だけゼロでゼロロクマルマルらしいけど、まあとにかくここからは一般的な時間表記にする)から開始されるはずだった。普通、航空自衛隊の飛行訓練は夜間に行われるのだが、基地によってはたまに早朝に行われるのだ。しかし、僕が到着したのは午前7時。訓練のための集合時間から大きく遅れ、清々しいほどの遅刻だった。
普通、こういう状況では言い訳を用意するものだろう。親族の不幸だとか、道で倒れている人を助けたとか、車にシカがぶつかったとか、なんでもいい。もちろん何らかの処分はされるのだろうけど、それでも幾分か事態はましになる。しかし、僕にはそうした言い訳を考える余裕すらなかった。そして、もう決めていたので不思議なほど冷静だった。
教官は冷たい目で僕を見つめ、呆れたようにため息をついた。
「前代未聞だぞ。単なる寝坊で飛行訓練ができないパイロットなど聞いたことがない。しかも1時間遅刻?お前の携帯何度鳴らしたと思っているんだ。」
その瞬間、僕は決心したように口を開いた。
「やめます。」
「は?」
教官は聞き返す。僕の予想通り、驚きと戸惑いが教官の顔に浮かんでいた。
しかし僕は続けた。
「私は、この体育会系の世界には向いていません。辞めます。」
言葉を失った教官は、一瞬黙り込んだ。彼の脳裏には、僕の言葉が反響しているようだった。教官は次の言葉を探しながら、口を開いた。
「まず、公務員というのは縦社会だ。辞めるにしても退職届と退職理由書を出す必要があるし、それが承認されるまでは一定の時間がかかる。第一、お前は国防の要となるパイロットだ、急に辞められたら国家の安全保障に支障が出るだろうが!とにかく、許可が下りるまでは勤務を続けろ。」
教官の焦りと困惑が明らかだったが、僕の心はすでに限界に達していた。自衛隊の厳格な上下関係、絶え間ないプレッシャー、そして自己を抑圧する環境に、彼は耐えられなくなっていたのだ。
航空自衛隊のパイロットとしての生活は、厳しい訓練と規律の中にあった。早朝、夜遅くからの訓練飛行、地上でのシミュレーション、教官からの絶え間ない指導。日本の空を守るために、彼らは日々鍛錬を重ね、その技術を磨いていく。だが、その世界は僕にとって、もはや居場所ではなくなっていた。
教官の言葉を聞き流しながら、僕は心の中で静かに別れを告げた。この先に待ち受けるものは何か分からない。でも、今の自分にはここを去る以外に選択肢はなかった。
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