切符

 厳しい冬を乗り越えると村に汽車がやって来た。汽車から楽団が降りて来て、客車の前にずらりと整列した。指揮者らしき男が前に立って腕を振ると、明るい曲がくすんだ金管から飛び出し始める。僕は眠い目を擦って、もう一度それを見た。乗客が降り始めていた。傘を腕に下げた男、仕切りに後ろを振り返る女、首に下げた袋の重みに耐えかねて背を曲げた老人、懐中電灯以外は何も持っていない少年、自分の胴体より大きい金魚鉢を抱えた少女。乗客たちは客車のステップを一段も飛ばさずに降りてくる。皆、キッチリ同じ場所を踏んで降りてくる。だから黒いステップは真ん中だけが擦り減って白くなっている。他は磨いたように綺麗なのに。

 僕は駅舎のベンチから身を起こして古い旅行鞄を取った。祖母が若い頃に使っていたものだそうだ。屋根裏で永いこと埃を被っていた。僕はそれを無理矢理引っ張り出して、もう一度旅行に出させたわけだ。祖母は僕の生まれる前に死んだから、彼女のことは何も知らない。ただ、この旅行鞄だけが彼女の存在を証明する唯一の物証だった。

 ホームは客と蒸気で酷く混みあっていた。その間をすり抜け、時々肩をぶつけあいながら、ようやく客車の手すりを掴んだ。ステップの一段目は白くない箇所を踏んでみた。しかし、二段目になると急に興味が失せ、結局足は白い場所に吸われてしまった。三段目も同じように白い箇所を踏んだ。

 僕は席に座ると、窓辺に肘をついて外を眺めた。空は汽車の煙に覆い尽されたような曇りだった。次第に雨が降り始めた。コツ、コツと窓を打つ。僕は船を漕ぎ始めた。

 車掌が僕に声を掛けた。彼は切符を要求した。僕は眠い目を再び擦ってポケットに手を突っ込んだ。切符は無かった。あらゆるポケットを探ったが、切符は無かった。僕は旅行鞄に手を伸ばした。そんな場所に入れたわけはないのだが、僕にはフリでも探し続ける必要があった。そして、一枚の切符を見つけた。古い褪せた切符だった。どうにでもなれ、と僕はそれを差し出した。車掌は切符に切り込みを入れると僕に返し、口笛で古い童謡を吹きながら客車を奥へと進んでいった。ゴツ、ゴツと彼の靴音が床に鈍く響いた。やがて汽車はゆっくりと進み始めた。

 僕は帰って来た切符を眺めた。切符に書かれた行き先を見た。それは父と母が初めて出会った駅だった。

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