第4話
車掌は、ちょうど12歳年下の後輩で、秀一が新幹線の運転士をしている時に、よく乗務が一緒になり、気軽に話し掛けてくれる秋川という後輩だった。それだけに話しやすく
「秋川君、久しぶりやな」
「あっ、伊藤さん。ご無沙汰してます。元気でしたか」
「うん、お陰さんで」
「秋川君はどうや」
「相変わらずですよ」
「やっぱり、現役がいちばんやで。自分も、現役の時は何も思わんかったけど。いざ当直になってから、やっぱり運転士が良かったと思ったもん」
「そういうもんですか。退職された先輩にも、よく言われますけど」
「そうやで。だから今が大事やと思う。身体が資本やから、健康管理に気を付けて」
「はい、わかりました」
その時、車内販売の従業員が
「すいません」
と、カートを押して通り過ぎた。秋川と秀一は
「すいません」
と、カートを避けて。
「ところで、自分の隣りの座席のひとが、小倉まで乗車変更をしたいと言ってるんやけど」
「わかりました。何処の席の方ですか」
「一緒に行こう」
「はい」
そうして秀一は、車掌を連れて来て、二人の乗車変更を。秀一が車掌と雑談していたのを見て
「あの車掌さんは、お宅と知り合いの方ですか」
「いやぁ、後輩ですよ」
「後輩?」
「私は以前、新幹線の運転をしていたもので」
その時、初めて男性の連れ合いが、秀一を見た。
「凄いですね。300㎞/hで走ってたんですか」
「このN700Sではないんです。500系の時なんですが」
「いやぁ、500系って、今でも新幹線でいちばん人気のある車両じゃないですか」
その時秀一は、穴の開いた500系を運転したことを思い出した。秀一は
「忘れもしない」
その日、乗務点呼(新幹線に乗務する前に必ず受ける点呼で、その日1日の行路の注意事項を当直と打ち合わせ、時計の斉正も行う)を終えて、3時間近く乗務しなくてはならないので、トイレに行ってから新大阪駅ホームへ上がると、いつもはいないJR東海の研修社員がいるので
「どうしたんですか」
と、秀一が尋ねると
「あんたの列車に、穴が開いてるんや」
「えっ」
(たった今、点呼を受けたばっかりやのに、当直は何も言わんかった)
そして、22番ホームの1号車運転台の、JR東海運転士との乗継位置へ向かうと、凄いカメラが並んでいた。
(何や、このカメラの数は。いや、冷静に冷静に)
秀一の後ろ姿が、テレビに写っていて、秀一のスポーツ刈の制帽から見える刈り上げの頭を見て、同期が
「伊藤さんや」
と。秀一は
(後ろ姿だけで、何でわかるんや)
これはあとでの話し。
その後、秀一は東海の運転士と乗継いで。
乗継前に秀一は、引継運転士である東海の運転士から、その列車の運転状況と車両状態を引継ぐのだが、浜松~豊橋間での人身事故のせいで、車両の前頭部に穴が開いてしまったのだ。勿論、人身事故を起こした東海の運転士の動揺はいかばかりか。秀一は
「お疲れ様」
と言って、運転台に乗り込み。
しかし、穴の開いた箇所は、連結器を収納してある箇所なので、運転には全く影響がない。ましてやお客様には。それを、JRは声を大にしてもいいと思うのだが。
列車を発車させた後に、東京指令から
「それでは、300㎞/hまで速度を向上してください」
と無線が入り、秀一は
「当然や」
と、マスコンハンドルを13ノッチまで上げて走行したが、岡山では、降りたお客さんに、新聞記者であろう者がインタビューをしている。そして、列車が岡山を発車すると、東京指令から
「最高速度、275㎞/hで走行してください」
と。秀一は
(報道に負けてどうするねん。運転に全く影響ありませんと、言わんかい)
結局、博総まで穴の開いた新幹線を運転した秀一は、新大阪まで違う500系を運転して帰った。
その時、隣りのひとが
「どうか、されたんですか」
「あっ、いえ」
(古いことを、思い出してしまった)
秀一は
「唐戸市場の二階の寿司屋が美味しいですよ。値段も手頃ですし」
「そうなんですか。是非、行ってみたいと思います」
「回転も早いので、待たなあかんと思っても、すぐに順番がきますし。何といっても、その店から関門海峡を通る船が見えるんですよ。これが最高で」
「へぇー、新幹線の運転士さんでも、船への憧れが?」
「そうなんです。自分は、船酔いするんですが。それだけ余計に」
「何だか、わかるような気がします」
列車は、車内アナウンスが流れ、まもなく広島へ。
「あっ、左を見てください」
「はい?」
「マツダスタジアムです」
「あっ、ほんとや。けど、こんなに近いんですか」
「そうなんです」
「へぇー」
「広島は、やっぱり広島焼きが旨いですよ」
「そうなんですか。帰り、寄ろうかな」
と、左の奥さんの方を。
「最も、広島のひとは広島焼きとは呼ばずにお好み焼きと」
秀一は、広島で休憩があると
(よく食べに行ったわ。在来線のガードを越えたら、お好み横丁がすぐやった)
秀一は、隣りに座っているひとに
「どういうご職業を」
「鉄工所を経営してまして」
「そうなんですか」
のぞみ同士がすれ違うと、激しい揺れが。ドリンクホルダーに入れてあるウイスキーが波立つ。
「それも息子に譲ったので、自由気ままに旅行ができるんです」
「それはそれは」
列車は急に減速して、徳山のカーブを曲がる。R1600。半径1600mの急カーブで(カント:右と左のレールの高低差180㎜と、新大阪~博多間で最大だ)乗っていても、その感覚が。
それに徳山は、石油コンビナートの灯りが凄い。
新幹線の勉強をしていた時、担任講師が
「徳山の夕陽が、とても美しい」
と言ったのを、秀一は覚えていて
(自分も一度だけ、その美しい夕陽を、乗務中に見ることができだっけ)
厚狭の手前で、峠山トンネルをくぐり抜けてすぐ頭上を横切る道路は、通称石灰石ハイウェイ。宇部興産道路。セメントの原材料となる石灰石を運ぶ目的で作られた専用道路を通過した。この景色は
(上りの新幹線の運転台からでないと、ほんのわずかな間やから見れんわ)
隣りの男性が
「お宅は、何処まで」
「言い遅れました。大宰府天満宮へ。今日は博多に泊って、もつ鍋でも食べようかなと」
「どうですか。水割りをもう一杯」
「ありがとうございます。けど、もうすぐ小倉ですよ」
「まあまあ」
と、秀一にもう一杯、水割りを作ってくれた。
その頃列車は、秀一が運転士の時、好きだった数少ない防府の海が見えるところを通過した。そして新下関を過ぎるとすぐに新関門トンネルへ。
「このトンネルを抜けると、もう小倉ですよ」
「そうですか。じゃあ、降りる準備をしないと」
と言って、二人はカバンの中にウイスキーの知多を入れてブレザーを着、帽子を被って
「短いあいだでしたが、楽しかったです。お互い、これからも元気でいきましょう」
と、秀一とガッチリ握手をし、連れ添いの女性も頭を下げて、8号車のデッキへ行った。
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