第3話
秀一は、在来線を47万㎞、新幹線を70万㎞、無事故で乗務してきただけに、辛い時を知り尽くしている。そう、酸いも甘いも。それだけに、子供に同じ辛さを味合わせたくないのは、親心でもあるのだ。
(あーしかし、もう一度、電車を運転してみたい)
と、つくづく思う秀一だった。
「あなたが、子供らがまだ幼かった頃に言っていた、運転士は楽しい仕事やぞと。その言葉が、子供らの頭の片隅にインプットされてたのね、きっと」
「そんなもんかな」
秀一は、車窓を眺めながら
(人生は、苦しい方が多いと言ったりするけど、俺の人生は楽しい時の方が、多い気がするわ)
「あなた、覚えてる」
「ん」
「あなたが、まだ車掌をしている時に、台所で私に運転士になるんやと言ってたこと」
「当たり前や、覚えてるよ」
「新幹線まで運転出来たんだから、言うことないじゃない」
「いやぁ、国鉄からJRになる時、職場に毎日のように転職の募集があったから、自分も警察官になろうかなと、思ったんや。それを止めといて良かった。だからこそ、JRに残っていたからこそ運転士になれたんや」
「お義父さんんの一言ね」
「そうや。親父が、何のために国鉄に入ったんや、運転士になりたかったんやろって言ってくれたからこそ、新幹線まで行けたんやと思う」
「お義父さんに感謝ね」
「ほんまや」
(俺が新幹線運転士になれたのは、親父のお陰や)
そんな秀一の父親も母親も、10年前に亡くなった。
秀一が眠くなってウトウトしていると、列車は三原を通過した。
(三原かぁ、新幹線最終の三原行きによく乗務したなぁ。23時59分に三原に着いて、お客さんが全て降りた後、下り線から上り線に入換したら1時前で、起床は5時過ぎ。眠たい仕事やったなあ)
※三原始発列車が、上りとなるため
そして、入換をしてる時に、夜中で誰もいないのに、いつも灯りが点いている公園が有り
(何で灯りが点いてるんやろうと、思ったことあったもんな)
その公園を、新幹線は通過した。
列車は、東広島を過ぎて安芸トンネルへ。
(自分が、新幹線運転士になって半年、鳥取西部沖地震の時は、安芸トンネルに入ったばかりのところで緊急停止により、2時間も止められたなぁ)
秀一は、感慨しきりである。
(その後がたいへんやった。2時間もトンネルで止められたお陰で、終点の博総で食事も入浴も出来ず、当直に点呼に行って『2時間遅れで到着しました。次の列車は所定ですよね』と言うと『そうですね』と気の毒そうな顔で答えられて。俺は休憩なしやった)
秀一のその日の行路の最後は、博総~博多間の回送に乗務しなければならない。その上、次の列車に乗務しに行くと、列構(博総構内の30番線程あるポイントの転換や、列車発車の打ち合わせを行う)から
「◯◯列車、早く発車してください」
との構内無線が。秀一の列車にだ。
秀一は、その無線にカッとしてしまい
(俺は、新大阪を発車して5時間、休憩してないんやぞ)
と腹を立てて怒りのまま運転整備(新幹線の発車前の点検)
を行い、博総を発車してから
「あれっ、手歯止め。取ったかな?」
秀一は、真っ青である。あまりの怒りのため、手歯止め撤去を忘れてしまったのだ。
列車が博多に着いて、鹿児島方の運転台に行くと、秀一の自列車の手歯止めが運転台にあった。秀一は
(良かった)
と、胸を撫で下ろした。博総構内だけを運転する構内運転士が、着発線に入換した際、停車時間がわずかなので、手歯止めをしなかったのだ。
結果オーライで、たださえ博多で4時間程しか仮眠出来ない行路が、10分遅れただけで済んだ。
そんなことをひとりで考えている時に、通路を挟んだ隣りの座席の初老の男性が
「あのー、ちょっといいですか」
秀一は一瞬、誰に声を掛けているのか、わからなかったが、再度声を掛けられ
「あっ、はい。私のことですか」
「はい、ウイスキーが余ってしまったので。え、いえ失礼。妻は、アルコールをたしまないので、付き合ってもらえたらと思いまして」
通路を挟んでの、二人の会話が始まった。
「どちらまで」
「博多までです」
「私は、新山口で降ります」
「まあ、一杯」
とその男性は、プラスチックのコップに入った水割りをくれた。そのコップの中には、氷まで入ってる。
「あっ、ありがとうございます」
「お互い、年齢もそんなに変わらないと思うのですが」
「私は、70です」
と、秀一が答えると
「私は、72です」
「そうですか。近いですね」
秀一が、水割りを口に含むと
「美味しい」
「そうでしょう。知多ですから」
「サントリーの」
「そうです」
「こりゃ、どうも」
と言ったものの秀一は、自分が恥ずかしくなった。
(いいウイスキーだからいいのか)
と。
「嫁と二人、もう旅行三昧でもいいと思うんですが、それがなかなか機会に恵まれないものです」
「そうですね。私も、娘にたまには旅行にでも行っておいでと、言われたのがキッカケで」
「そうですか」
ウイスキーをくれた男性の奥さんは、そっぽを向いたままだが、秀一は奈美を見ると、一緒に男性の話しを聞いている。
「失礼ですが、何処まで」
「唐戸市場へ行ってみようと」
「唐戸市場へは、どのように」
「この新幹線で、新山口で降りて、こだまに乗り換えて、新下関で降りてそこから在来線で下関まで」
「それなら、この新幹線で小倉まで行って、在来線で門司港まで行き、そこから船で関門海峡を渡る方が早いですよ」
「えっ、そうなんですか」
「新山口で降りても、接続よくないでしょ」
「そうなんですよ」
「今から車掌さんに言って、乗車変更されてみては」
「そうします」
「私も以前、唐戸市場へ嫁さんと行こうと思った時、お宅の行程で、行こうとしてたんですよ。それを嫁さんが、インターネットで調べて、門司港経由の方が早いし便利だと」
横で奈美も頷いている。
「そうなんですか」
「関門海峡を、船で渡るのもいいもんですよ。1日に700艘も船が通り、しかも潮が4回も変わるというたいへんな所を、最近は女性船長が操縦してるんです」
「へぇ」
「それだけでも、興味深いでしょ」
「まさしく」
「すぐに車掌に言わなきゃ」
「この号車にいるはずなんで、トイレのついでに、私が行ってきましょう」
「えっ」
「なーに、知多のお礼ですよ」
「これはどうも」
車掌を呼びに行くついでに、弁当のゴミや隣りのひとのゴミを持って行こうと
「奈美、弁当のゴミ」
「はい」
そして秀一は、隣りのひとに
「ゴミはないですか」
「そこまでしていただいては」
「ついでですよ」
「それじゃあ、甘えます」
と、秀一はゴミを持って、デッキまで。
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