第2話

秀一と奈美には、男と女の子供が二人。無事、大過なく成長してくれて、長男は結婚。あとは、娘の結婚を願うだけ。しかも、今は二人共電車運転士になった。

(俺は、子供の頃から憧れてた職業に付けたけど、俺と違って二人は、運転士に憧れていたのではないので、朝のラッシュ時に1分、30秒の遅れに目の色を変えて、電車を走らせやなならんのやから、しんどいやろうな)

そんなことを考えていたら

「もうビール、無くなったんじゃない?」

「うん」

と、秀一が手に持っている缶ビールを振ってみると、空っぽだ。

「はい」

と奈美が、新しい缶ビールを秀一に。

「ありがとう」

と言って、缶ビールを持ちながら、箸で弁当の干し椎茸を口に入れた。


秀一と奈美は、会社のクリスマスパーティーで知り合って、二年間の交際を経て結婚したのだ。その時秀一はまだ、車掌をしていた。

やがて新幹線は、名水100選に選ばれた千種川を越えるが、そこにはいつも、青い小舟が係留されている。その時秀一は、山本周五郎の小説青べか物語を思い出してしまう。

兵庫県と岡山県の県境である保坂トンネルを越えてしばらくすると、備前焼の窯元。その赤レンガの煙突が、何本も見える。秀一も知らなかったが、国鉄時代、備前市が新幹線の新駅を、国に働きかけていたらしい。


そして新幹線は、岡山へ。秀一にとって、岡山はいい思い出は多くはない。そう、それは岡山新幹線運転所で、新幹線車両を勉強するのに、自分らも九州からの広域移動で、大阪に来た指導陣であるというのに、秀一らを目の敵にして教育してきたのである。

「あいつらは、在来線から新幹線へ、転換で来た連中や。厳しくするぞ」

と。自分らも、転換だったのにだ。

毎日が、辛い日々の連続だった。おまけに秀一は、40歳を廻っているので、勉強しても、頭の中になかなか入らない。秀一の同期は、15歳年齢が下の者ばかりで、その連中が立ち話しをしている時でも、新幹線の勉強の話しをしていると思って秀一は

「何の話しをしてるんや」

と、あいだに割って入って、少しでも吸収しようと心掛けた。


岡山では、四国・山陰へ行くひとがたくさん降りる。おそらくビジネス客だろうスーツ姿のひとが。グリーン車も、客が半分ほど降りてしまった。岡山から山陰の米子へは、その当時まだ381系振り子電車が走っていて

(懐かしいなぁ、俺も特急くろしおで、京都~和歌山間を運転してたっけ。客で乗ってたら、酔うんや。船酔いみたいに)

四国へは、瀬戸大橋を通る列車から見える瀬戸内海が、とても美しい。

(そうや、ブルートレインを運転してる時は、楽しかった。さくら・はやぶさ・富士・瀬戸・あさかぜ・なは・あかつき・彗星。よく岡山に泊まったっけ。環状線の車掌だった自分が、ここまでよくやったって、感動したことあったもんなぁ。今でもブルートレインが走り続けてたら)

と思う秀一だった。

※その頃、秀一のいた在来線の大阪電車区は、ブルートレイン(米原~大阪~岡山間)を担当していた。


弁当を食べ終えた奈美は、お茶を飲みながら車窓を眺めている。

新倉敷を通過する辺りは、春は新緑と桃の花がとても美しい。そして、大きなカーブを描いて新幹線は福山を通過する。

(福山か。そういえば、ただでエビピラフを食べさせてもらったわ)

秀一が当直係長(当番で宿直をする係長。乗務員のアルコールチェック、携帯品の確認、日々の注意事項の伝達等を行う)をしていた頃、添乗日勤というのがあって、一日中添乗をする。新幹線運転士の横で、その運転操縦や、基本動作をチェックするのだ。まず職場で事前準備をしておいて、出来るだけたくさんの乗務員の列車に乗れるように、効率よく添乗していくのである。そして昼食は福山に。岡山だとターミナル駅で、何処の店もお客さんが多く、制服のままでは入りづらい。

そこで福山は、新幹線と在来線乗換口に喫茶店が有り、尾道ラーメン定食が旨かったことを、秀一は覚えている。

その日も福山で下車して、その喫茶店へ行ってみると、店は跡形も無かった。秀一は

(あっ、がっかり)

しかたがないので、駅から外へ出てみたが、付近には手頃な店が見当たらないから、駅構内の喫茶店へ戻った。

その喫茶店は、開店して間もないのか、外に店の案内をするひともいて、秀一は

(まあ、入ってみよ)

と、思って座席に腰掛け

(何か、新しい店やなぁ)

と店の中を見廻すと、他のお客さんがジロジロと、秀一を見ている。

(何や、何や)

と思っていると、店員が来て

「何になさいますか」

と、メニューをテーブルに置いてくれたが、秀一は見もしないで

「カレーをください」

「カレーはないんですけど」

と。メニューを手に取って秀一は

「それでは、エビピラフをください」

と。すると定員が

「今日は、プレオープンの日なので、JR社員の方のみで無料なんです」と。秀一は初めて納得した。

(それで、俺をジロジロ見たはずや。ここにいる客はJR関係者ばかりで、しかも俺が初夏なのにネクタイに制服姿やからか。ウーム、けど無料はほんとうに申し訳ない)

「お飲み物は」

(これ以上はあかん)

「いえ、もうピラフだけで」

と言って、食べて帰った。秀一は

(ほんとうに、悪かったわ)

得したのか、けれど後味悪い秀一だった。

(ほんとうに、今考えても冷や汗もんや。、けど、いい思い出)


そして新幹線の車窓からは、山の上に東大の天文台が。

(あれは、いったい何やろ)

と乗務していた頃に思っていたんだが、東京の汚れた空では、観測不可能と昭和35年に東京三鷹市から引っ越してきた、東大東京天文台の岡山天文物理観測所で、岡山は空気が美しいので、その地に天文台を建てたとの事。

奈美が

「ねぇ、娘が旅行の費用を出してくれたけど、一緒に来たかったわね」

「そうやなぁ。また機会があるやろ」

「そうね」

「いい旅にしようや」

「怒っちゃダメよ」

秀一は、短気なのが悪い所なのだ。

「うん、わかってる。手の平に、忍と書いとくわ」

と、秀一と奈美は微笑み合った。

「なぁ、今日も二人共、乗務なんかな」

「そうじゃない」

「よく、俺の仕事を継いでくれたな」

「あなたの背中を見ていたのよ、きっと」

「そうかな」








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