第2話

  4


 待ち合わせは自宅から徒歩10分ほどの場所にある公園の路上。一台の車が私を待っていた。助手席に乗り込むと冷静沈着とした声で運転席の男は「怪しまれなかった?」と言った。私は首を縦に振り、大丈夫だと言った。男が車を走らせると同時に流れるラジオから昔懐かしい悲しい歌が流れた。やけに煌びやかに見える街は、どこか哀愁漂うものだった。

何を話していたのかというと、思い出すほどではなくたわいもない話をした。

車を20分ほど走らせて郊外にあるラブホテルに着いた。

男は衣服をハンガーにかけて、私のコートもハンガーにかけた。

シャワーを浴びた後にむせるほど激しい行為をして薄暗い部屋にバイブの音と喘ぎ声だけが響く。まるで捕食するように身体は動いていた。

 そのあとに仰向けになったままこんな話をした。

「夫との馴れ初めはね」

私は何も考えずに言った。

「元々の彼氏と別れた次の日だったの」

男は気になったのか、こちらに目を向ける。

「やだ、私ったら。こんな話」

そう私が言うと男は、

「なんだか俺も、馴れ初めを思い出したような気がするよ」

開き直ったかのように男は

「こんなに家庭を放棄してまで何をしているんだろう」

 と言い、

「私も人のこと言えないわ」

 沈黙が部屋の中で充満している。

「もう会うのやめようか」

 そう男に言われると、何も言えなくなってしまった。


  5


「そんなに怒鳴らないでよ」

 テレビの音も消えたリビングで夫が大声で言う。

「まさか浮気しているんじゃないよな」

「違うわよ」 

「じゃあなんで」

「汐音が起きちゃうから、外で話そう」

 そう提案し、家を出る。


車に乗り込むといつもより荒い運転で発進した。2、3分ほど走らせた辺りで夫は口を開いた。

「その男の家、どこだ」

 いつもと違う声色で背筋が震えた。

 これ以上はと思い、従った。

 車は着々と彼の家に近づいていく。

 到着し、ハザードランプを焚いて夫は車を降りる。私もその後に続いて降りた。

インターフォンを押し、数秒が経った頃返答が返ってきた。

玄関のドアから男が出てきた。私は見覚えがある。

男は私に目を合わせた後すぐに目を逸らした。

「どうか、されましたか?」

と男は平然とした状態で尋ねる。

私は張り裂けそうな心を隠す。

「え?」

と夫は息を漏らすように声を出す。

続いて男も同じように声を出す。

「川崎さんじゃないですか!」

「石丸さんですよね」

と、明るい声を出す。知り合い同士であること以前に関係性が明るみに出たらと考えるとあたふたしてしまう。

「あの事故の時、本当にありがとうございました」

そう頭を下げる男。かなり深々と下げている。

何が起きたと言うと男はつい先日、追突事故に合った。その時、夫はたまたま後ろを走っており、証拠映像として提供したということがあった。

夫は浮気相手というよりも咄嗟の再会で動揺しているであろう。

そう話していると玄関のドアが開き、現れたのは妻とみられる女性が出てきた。

その途端、夫は口数を減らした。

何か怪しいと思った。

不自然だと思ったことはいくつもある。

一番不自然だと思ったことは妻と思われるその女性の表情だ。

何かあるに違いない。

そんなことを思っても私は私で男に目を合わすことができない。

最悪の想定では夫はこの女性と何か関係を持ってるのかもしれない。なんてことを考えていると私も上手く話せなくなってきた。

何秒経っただろうか。少しの沈黙が長く感じる。

すると、構わずに男が口を開いた。

「もう正直に言っちゃった方がいいんじゃないですか」

と。


6


意外にも一番初めに重い言葉を吐いたのは女性の方だった。

「私は、川島さんと、関係を持ちました」

私は驚いた。もう一方、男も驚いていた。

夫は顔を下げたまま、何も言わずに立ちすくむ。

「そ、それは?どういうこと?」

と男は尋ねる。

「一緒に寝ました」

女性は何かを捨てるような勢いで言う。

私が考えていることは、今ここで私と関係を持っていることを男が言うべきか、私が言うべきか。そのことで頭がたくさんだ。

「いや、どういうこと」と私は頭の中で繰り返した。おそらくここにいる全員がその状態である。なんせこの4角関係は泥々で修復不可能であると私は悟ったから余計だ。

私は覚悟を持って言った。生唾を飲んで、

「私は石丸さん、石丸伸治さんと関係を持ちました」

夫は勢いよく振り返り、驚いている。

「嘘でしょ」と女性も大声で言う。

男は否定した。

「ち、違う。信じてくれ」

まだよかったと思うことは潔く夫は認めた。

驚きと戸惑いが飽和する夕方すぎの街は救いようのないほどどんよりとしていた。


「認めてください」と私は男に言った。

「いや、」

妻とみられる女性は真剣な表情で

「本当のことを言ってください」

と言った。

男はようやく認めた。

「お互い、子供もいるのでどうしたらいいでしょうかね」

そう女性が言う。

凍りついたような風が吹いてきた。

「全員とも悪いので」

そう私は言いかけた。

「穏便に行きましょうか」

そう男が言った。

「子供のことを考えたら穏便に行くのが」

やっと口を開いた夫はこう言った。

「それか、もう入れ替えてしまうっていう手も」

そう言ったのは女性だった。

驚きを隠せてないのは私だけではなかった。

「正直、別れようとは思っていました、こう言うことがあったから、ということで手段の一つでは?」

女性は不満を吐くかのように言う。

「そんな、何が悪かったんだ!」

声を荒げる男。

「全部よ!」

投げやりに言われた言葉に傷ついた男は黙り込む。

行き場を失った夫と私も黙り込む。

「どうでしょうか川島さん、それもそれでありだとおもいもせん?」

まるでネジがはずれたかのように女性は突きつけてくる。

「そう言う覚悟と、好意があったからこそあなたたちもしたんですよね。私たちのように」

馬を牛耳るように空気をきつく締める女性の声で、少し悩んでいる自分もいた。

何故か、あの時のあの感覚をまた味わいたいと少し思ってしまったからだ。

自我を失いかける自分は理性を保つために夫との幸せな時間を思い出す。

そう考えていても、いくつかしか見つからなかった。

このままセックスレスになってしまうなら。

そんな理由、許されないけれど。

「どうですか義孝さん」

そう女性に問われる夫を見ても何も思わなかった。

「勝手に決めるなよ」と男は止めに入るが、

「あなたに言う権限はないわ」と一蹴されていた。

「もう一度、チャンスをください」

そう私の方を振り返って見つめてきた。

それに心が揺れたわけではないが、どこか安心して肩の荷が軽くなった。

自然と私は頷いていた。


目が覚めた。いつもより50分ほど早く起きた。双子の娘の弁当を作らなければいけないけれど

何故か思い出した。いや、身体が思い出した。

あの快楽をまた味わいたい。

私は心底私に失望した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

痛みを乞うほど好きでいたいのに 雛形 絢尊 @kensonhina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画