第55話 もう一人の少女

「――――お父さんとお母さんのことを、知ってるんですか?」


 そう優奈が尋ねたことで、彼らのことを口にしていたことにハッと気づいたようで、新藤副ギルド長が慌てて自らの口元を抑える。

 けれど、優奈がジッと彼のことを見つめてきていることに気づくと、肩の力を抜き、両手を身体の前で組み合わせ、大きなため息を吐き出して口を開いた。


「――よく、知っておるよ。鴻島 優弥。あやつは人柄も良く仕事もできておったからの……ゆくゆくはどこかの支部の支部長を任せる幹部候補生として、目をかけておったんじゃ。その妻でB級探索者であった真奈さんとも、探索者ギルドの職務を通して何度も交流したことがあるしの。

 そもそもゆーなちゃんについても、さすがにお主は憶えてはおらんことじゃろうが、ゆーなちゃんが赤子の時にワシは顔を会わせておるんじゃよ。

 真奈さんが赤子の優奈ちゃんを連れて優弥くんに会いに探索者ギルドに来た時に会って抱きあげさせてもらったことがあったのぅ……あの時は、ほんに小さくてこのくらいじゃったかの。真奈さんと優弥くんが幸せそうに笑いあって、ワシにおぬしを紹介してくれた日のことを今でも憶えておる。

 そしてあの日――世田谷でダンジョンブレイクが起きたあの日。あやつらが最後まで命をかけて守り切ったという、お主ともう一人の少女を病院まで運んだのもワシなんじゃよ。あの時……何度、ワシがあの場にたどり着くのがもう少し早ければ、あの二人がまだ生きておるうちに間に合えたことじゃろうかと、これまでずっと何度も悔やみ続けてきたものじゃったか……」


 途中から俯き、片手で両の目頭を押さえつけながらそう語る新藤副ギルド長のその告白を聞いているうちに、優奈の胸の音はうるさいくらいに激しくなっていった。


 優奈にとって、両親の死は実際のところわからないままなのだ。

 ずっと……あの日からずっと、何もわからないまま、あの日、モンスターがダンジョンから突然出てきたのを見たあの時の記憶を最後に、気づいたら病院のベッドの上で両親の死を淡々と告げられたこと以外、あの二人の死の情報は得られていなかったからだ。

 両親の葬儀だって、空っぽの棺を儀式的に祖父母に手を引かれながら見送っただけだったのだ。その葬儀の記憶にしてみても、父と血縁のあったはずの叔父と叔母に葬儀の場で両親のことを薄汚く罵られて汚され、さらには両親が優奈に残した遺産を狙ってネチネチとした嫌味や身勝手な要求をされて、思い出すのも嫌な思い出にされてしまった状態でしか残っていないのだ。

 だからこそなのだろう。とっくに踏ん切りをつけていたと思っていた両親のことを、その最後を知っていそうな相手に会えたということで、優奈の心は抑えきれなくなってしまった。


「おしえて……教えてください!

 両親は、私のお父さんとお母さんは、いったいどんな風に死んじゃったんですか!!

 ――私、なにも知らないんです!突然、お父さんとお母さんは事故で死んだって言われて!!なにもわからないまま突然ひとりぼっちになって、空っぽの棺だけを見送って……もうお前の両親は死んだんだと、この世界にはどこにもいないんだって言われて!……ずっと、ずっと何もわからないまま、ただポッカリとすぐそばにいたはずの人が居ない、空っぽの世界に、あの日突然に放り出されたんです!!」


 無意識のうちに机に身を乗り出し、新藤副ギルド長に詰め寄ってしまう。そんな優奈のことを新藤副ギルド長は痛ましそうな目で見つめてきていた。


「――すまぬ。ワシも詳しいことはわかってはおらんのだ。

 ワシが知っておることは、お主ともう一人だけ助けることができた少女のことについて、お主の両親らがシェルターに入れて何らかの魔術具を起動させることでダンジョンブレイクが起きたあの現場から……その命と引き換えにお主らを救い出したであろうということだけなのじゃよ。それについても、お主たちを救出した時にわずかにまだ意識があったもう一人の少女から、そのことを聞き取ることができたから知ったというだけであってな……」


 身を乗り出して強い視線を向けてくる優奈に対し、新藤副ギルド長は逸らすことなくまっすぐに視線を合わせてそれから後の状況についても説明する。


「そのもう一人の少女についても、後方へと搬送させる手続きをし、しばらくの間ダンジョンブレイクの現場責任者の一人として対応に当たっておったワシが身動きがとれるようになって会いに行った時には、すでに収容されておったはずの病院からは何者かによってどこかへと移送されてしまっており、行方がつかめん状態となってしもうた。さらにはしばらくして、その少女がいたはずの情報。その全ての痕跡や記録が抹消されてしまっておったんじゃ。

 なぜ、だれが、なんのためにあの少女のことに関してそのようなことをしたのかは……まったくもって今もなお、手がかり一つワシでもってすら掴めておらん。

 じゃが、あの時お主の両親に何があったのか、その事実をもっともよく知る人物はあの少女であるはずじゃ。……優奈ちゃんがご両親の死のことをもっとよく知りたいと思うのであれば、おそらくあの少女を探すのがもっとも確実で早いことだと思う。

 けれど、ワシが知っており話すことができるのは、あの少女が優菜ちゃんと同い年くらいの女の子だったということくらいじゃ。いま言ったこと以上のことは何もわからん。――すまぬ、本当にすまぬ。なんの力にもなれない無能な爺ですまん」


 悔恨と苦悩、そして重い沈痛な無力感による無念さ。それがはっきりと新藤副ギルド長の目と言葉から伝わってくる。そして――――いま彼が口にした以上の情報が得られないであろうということも。


「…………」


 新藤副ギルド長の返答を聞き、力が抜けた優奈は、ぺたん、とソファに座り込んでしまう。先ほどまで煩いくらいに激しく震えていたはずの心臓の音は、いつの間にか止まってしまったかのように何も響いてはこなくなっていた。


「優奈ちゃん……」


 心配そうに、隣に座っている茜が優奈へと気遣いの声をかける。けれど優奈はその声に反応できないまま項垂れてしまっており、彼女の長い黒髪のおかげで、その時の優奈の表情はだれにもうかがい知ることができなかった。


 しばらくの間、重苦しい沈黙が副ギルド長室の中にのしかかっていた。その間、ずっと茜も新藤も、優奈に対して声をかけることも彼女の身体に触れることすらもできずに、ただただ優奈の様子を伺っていることしかできなかった。


 けれど、その沈痛な空気は、やがて優奈が大きく深呼吸をし始めたことで崩れ去る。優奈は2度、3度と大きく深呼吸をし直した後、ゆっくりと顔を上げ新藤副ギルド長の顔をまっすぐに見据えた。その時の優奈の顔には、流れ落ちた涙の後こそ残っていたものの、すでに落ち着いた表情が戻っていた。


「――すみません、取り乱してしまいました。

 でも、新藤副ギルド長、教えてくださってありがとうございます。そうじゃなかったら、私は結局、何も知らず何もわからないままでした。……ううん、いまでもなんで両親が死んじゃったのか、あの時、いったい何があったのかはわかってないままです。

 だけど……新藤副ギルド長のおかげで、もう一人、助かった少女が居た、という新しい情報を……あの時のことについての手掛かりを、初めて私は得ることができました。

 ――そして何よりも自分が、踏ん切りはとっくの昔につけたと思っていたはずの自分が……本当は両親の死に対してぜんぜん踏ん切りなんてつけることなんてできていなくて、いまもまだ囚われてたんだな、ということを自覚することができました」


 そこまで言って一度深呼吸をした後、優奈が言葉を続けていく。


「このことは、今日これまでのギルドから受けていた不正に対する補填を約束してくれたことや、Bランクへの昇格だとかよりもよっぽど……私にとって、新藤副ギルド長からの贈り物だったと思います。

 そして何よりも――――新藤副ギルド長さん。あの時、その女の子と私のことを助けてくださって、ありがとうございました」


 助けていただいてたというのに、そのお礼を言いに来るのがこんなにも遅くなってしまってすみませんでした――そう言って優奈が頭を下げると、茜と新藤副ギルド長が息を大きく呑み込んだのが空気を通じて優奈にも伝わってくる。


「いや――いいや、頭をあげてくれ。

 そして、そう言ってくれてありがとう。

 ……ワシこそ優奈ちゃんのご両親を救えなくてすまなかった。けれど、ワシも、そして優奈ちゃんのご両親――優弥くんも真奈さんも、こうして優奈ちゃんが元気に、立派に成長してくれたことこそが……あの時の行いに対する、なによりの報酬となっておるんじゃよ」


 そう言って新藤副ギルド長が優しい眼差しで優奈のことを見つめる。そんな彼の言葉に優奈は頭を下げたまま小さく目礼してから、顔をゆっくりと上げる。


「そうじゃよ。そうやって笑っておくれ。

 ワシらは、だれかを助けようとした者は……その後の助けた相手が悲しみにふけってしまうことよりも、そうやって笑顔でいてほしいものなんじゃから」


 そう言って優しく微笑みかけてくる新藤副ギルド長に、優奈も「はい……そうします」と答えて微笑みを返してみせるのであった。


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