第2話

 レイトとセイラのデスクは背中合わせ。仕事の合間に暇ができるとよく二人で話す。


 15時になると業務が落ち着くのがいつものルーティーンだ。レイトはセイラの席の隣へ、キャスターつきの椅子でサーと移動した。


 彼女のデスクはすっきりと整頓されており、デスク周りには必要最低限の筆記用具や付箋、メモパッドしか置かれていない。


 手元にはマイマグカップ。彼女はいつもそれにお茶を淹れている。


 部署の出入り口付近にはポットとコーヒーメーカーが置かれ、その横には緑茶やフレーバーティーのティーバッグが常備されている。さながらファミレスのドリンクバーコーナーだ。


 一息入れようとポット周りに集まった者たちが、自分のマグカップやタンブラーを片手に談笑している。


「お疲れ様」


 セイラの声に横を見ると、彼女がクッキーを差し出していた。


 彼女はデスク周りの物は少ないが、引き出しには何種類ものお菓子を常備している。レイトはいつもそれをもらい、休憩のお供にしている。


「最近はこの時間で夕暮れみたいな空の色になるね」


「もう秋も終わりですもんね~」


「こんな時はあったかいほうじ茶に限るよ」


 セイラはクッキーをかじると、満足そうにマグカップに口をつけた。


 レイトはクッキーを口に放り込み、包装をゴミ箱に丸め入れた。


「セイラさんは彼氏とかいないんですか?」


「彼氏とかって……。また唐突だね」


「好きな人は?」


「どっちもいないよ」


「じゃあ俺にチャンスありますね!」


 困り顔のセイラにレイトは親指を立ててみせた。


 彼女は照れることはなく、乾いた笑い声を上げるだけ。


「君はそういうことばっか言って……。彼女たちがいるんでしょう。この前だって……」


 彼女は何か言いたげだったがそれを遮った。


「じゃあ別れたらいいんスね?」


「簡単に言って……。彼女たちがかわいそうじゃない」


 メールが来たのに気づいたセイラがパソコンに向き合った。


 首を手に当て、顔をかたむける。迷うような手つきでキーボードを叩き、左手でマグを持ち上げる。


「ちょっといい?」


「ん?」


 男性社員に声をかけられたセイラが振り返った。書類を受け取り、うんうんと話を聞きながら大き目の付箋を手にとった。それにペンを走らせると書類に貼り付ける。


 ボブの横髪が流れて彼女の横顔を隠す。レイトがそっと手を伸ばすと、セイラがこぼれた横髪を耳にかけた。


 細い指、ほんのりラベンダーの色に染まった爪。形のいい耳たぶにはクリアな花のイヤリング。ガラスの花がきらめいた。


 伏せたまつ毛は長く、ちょっと低い鼻が可愛らしい。唇は桃のような柔らかいピンクに染まっていた。


「どうしたの?」


 セイラが首をかしげ、こちらを見た。


 レイトは椅子の上で飛び上がると、赤くなった顔で両手と首を振った。


「あ、な、何も……」


 尻すぼみな言葉と同時に肩を縮みこませた。


 いつもだったらここで思わせぶりな言葉を一つ二つささやき、その気にさせているのに。


 ただただ彼女の横顔に見とれていた。今まで近くで見ようとしなかったのがもったいない。


 セイラは目を細めて立ち上がると、つられて腰を浮かせたレイトの額を指で押し付けた。


「あまり女性のことを見るもんじゃないよ」


 ツンと押されると、催眠術にかけられたように背もたれに深くもたれかかった。


 彼女からの思わぬスキンシップに呆けていると、セイラはコピー機の前へ移動してしまった。その内の一枚をコピーすると戻ってきて、レイトに渡した。


「今頼まれたヤツなんだけど、木山君に手伝ってもらっていいかな?」


 なんですかこれ、と彼が聞く前にセイラは付箋部分を指差した。


 首をかしげた困ったほほえみが可愛らしくて、レイトはビシィッと敬礼をして立ち上がった。


「ぜ……全力でやらせていただきやす!」


「そ、そう……? じゃあよろしくね」


 セイラは引いたようだが、レイトはウインクをしながら親指を立てた。


 他の仕事もあるが、セイラに頼まれた仕事は気合の入り方が俄然違う。


 休憩を早々に切り上げてパソコンに向かうと、後ろから楽しそうな話し声が聞こえてきた。


 振り向くとさっきの男性社員がセイラに話しかけている。


「この会社のあれだけどさ……」


「マニュアル変えた方がいいよね」


「いつまで更新しねーんだ、って?」


「やだ、そんなことは言ってないってば」


 男性社員はセイラと同年代。話は盛り上がっているようで、セイラは口元を手で押さえた。目は柔らかく細められている。


 レイトはセイラの顔を盗み見た。穏やかな彼女は微笑をたたえていることが多い。


「木山君? 気になることでもあった?」


 また見つめていることに気づかれたらしい。セイラがコピーの原本をトントンと指さした。


「何も……。進捗順調です!」


「ん。ありがと」


 セイラはやはり柔和な笑顔を浮かべ、男性社員との会話を再開した。











 セイラは会社で”ほとんどの仕事をかじっているなんでも屋”になりつつあった。


 彼女自身はどれも中途半端にできたりできなかったりするので、なんでもかんでもアテにされたくなかった。


『セイラさん助けて~。俺も手伝うから~』


『いいよ。何?』


 その点、レイトとは持ちつ持たれつの関係がずっと続いている。お互いに補助し合ってるせいか、背中を預け合っていると勝手に思っていた。


 レイトと話しているところをいろんな人に見られているせいか、彼のことをよく聞かれる。そのほとんどが若い女性社員や入りたての社員。質問内容は彼がどんな人なのか、彼に恋人はいるのか、などなど。傍からはレイトに近しい存在に見えるらしい。


「木山君? いいコだよ。おもしろくて仕事は真面目に取り組むコ」


「そうじゃなくて! どんな人が好きそうかを教えてほしいんですよ!」


「好きそう……」


 昼休み。


 昼ご飯は各自、持参したり外へ食べに行ったりする。


 セイラはお気に入りのインドカレー屋が近くにあるので、電話で注文して会社に届けてもらっている。今日も陽気な店員と世間話をしながら受け取った。よく注文してくれるから、とマンゴーラッシーをおまけしてくれた。


 ほくほくしながら社内に戻ると、セイラのデスクに見慣れぬ女子社員が鼻息荒く立っていた。その手には可愛らしい巾着。その中身は弁当だった。


 セイラに聞きたいことがあるから昼休みを一緒に、と現れた彼女は若い女性社員だった。聞けば部署は全く別。どうりで見覚えがないわけだ。


「君は木山君のことが好きなんだ?」


「そっそれはなんというか、ちょっと気になるかなって……。野暮ですよ!」


 近くから椅子を引っ張ってきた彼女は膝に弁当を載せていた。顔を赤くしてごにょごにょと口ごもる。ちなみに当の本人であるレイトはいつも昼ご飯は外食派。


 セイラはふーんとナンをちぎり、カレーに浸した。今日はいつもと趣向を変えてほうれん草のラム肉カレーにしてみた。予想以上に緑色で驚いたが、まろやかでおいしかった。かために調理されたラム肉の食感もいい。

 

「本人に聞くのが一番早いと思うよ」


「無理です……。だからこうして天木さんに聞きに来たんですよぉ~……」


 この泣きつかれ方はいつものパターンだ。図々しい者だと、ここでレイトとの仲を取り持ってくれないかと上目遣いになる。もちろん断るが。


 レイトの彼女を増やすわけにはいかない、この子がかわいそうだ、というのが主な理由だ。


 セイラはウェットティッシュで手を拭きながら問いかけた。


「あなたはそれを知ってどうするの?」


「え? 木山さんの理想に近づけるようになろうかな、って」


「いつか付き合いたいとか?」


「まぁ……勇気が出れば? 告白しようかなぁ……」


 これもいつものパターンか。セイラはウエットティッシュをゴミ箱に放り、彼女と向かい合うように座り直した。


「今話しかけられないなら告白は難しいかもよ」


「そんなぁ~……。天木さん意外と厳しい……」


「だってそうじゃない? 練習で手を抜いてる人は本番で本気を出せないって言うじゃない」


「体育会系? 部活じゃないのに……」


 セイラはマンゴーラッシーを飲みながら目を閉じ、首を振った。ヨーグルトの爽やかな甘みと、マンゴーのご褒美な甘さが体にしみる。午後からの仕事も頑張れそうだ。今度店長にお礼を言いつつ、久しぶりにお店へ食べに行こうと決めた。


「それは普段の生活でも言えるよ。手抜きして仕事してると、急に忙しくなった時に対応できないしね」


「急に話しかけるのは無理です……」


「ただいまー」


「あら、おかえり」


「ひゃう!」


 突然レイトが帰ってきて女性社員が飛び上がった。


 レイトは知らない社員の姿には目をくれず、セイラに笑いかけた。椅子の上に載せたビジネスバッグの中に手を突っ込む。


「財布忘れちった~。食い逃げするとこだった~」


「スマホは持ってるでしょ。コード決済でもよかったんじゃない」


「あ」


 思い出したという顔で苦笑いをし、再びレイトは出て行った。女性社員は顔をぽ~っとピンクに染め、その後ろ姿を見送った。


 その後彼女はしずしずと弁当を食べ終え、セイラに一言礼を伝えると静かに帰っていった。

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