君を知らなければこんな想いを知らずに生きた

堂宮ツキ乃

第1話

 セイラは顔半分を手で覆うと早歩きになった。


 地元にある唯一のショッピングモール。セイラは週末になるとここでよく買い物をする。フードコートがあるから買い物前にお腹を満たせるし、食料品も日用品も一度に買える。時々有名スイーツの出張販売が来てるのも嬉しい。


 しかし、買おうと思っていたカヌレの出張販売の小さな店の前を泣く泣く通り過ぎた。


(私のカヌレ……。今度買うからね……)


 休みの日だというのに会社の人間に会ってしまった。田舎の中小企業勤めの人間あるあるだろう。


 前から歩いてくるカップルの彼氏の顔に見覚えがあることに気がつき、反射的にうつむいた。


 前から歩いてくる彼は身長が160cm台のセイラと目線が近い。社内の男性陣の中では小柄な方だ。明るい茶髪はパーマをかけて遊ばせている。歳は確か三十手前。セイラの四個下だ。


(今まで会社の人間に会ったことなかったんだけどな……)


 目線だけ上げると相手もこちらの存在に気がついたのか、”ヤバい”という表情で口元を隠し、顔を背けた。反対の手には長ネギが飛び出たパンパンのエコバッグ。


 普段はコンタクトレンズなのだろうか。メガネをかけている姿は初めて見た。太い黒縁のメガネは野暮ったいが、彼の整った顔立ちのせいでおしゃれなアイウェアにしか見えない。


 隣にいる可愛らしい女性は恋人だろう。ふんわりとした裾のワンピースが目を引いた。セイラは身に着けない淡い色と花柄。彼女は自分の今日の格好を見下ろした。


 若草色のパーカーに色あせたスキニージーンズ。顔は休みの日だからとノーメイク。


 右腕には一週間分の食料を詰め込んだ大きなエコバッグ。肩に食い込む持ち手を肩にかけ直す。


(あれが木山きやま君の彼女の一人なんだ……)


 彼と無言ですれ違ったセイラは先日、木山レイトに聞いた話を思い出しながら駐車場へ向かった。










「あー彼女に会いたい」


 レイトはキャスターつきの椅子に背を預け、腕を伸ばした。


 深い紺色のスーツと赤地に小さなドットが並んだネクタイ。彼のお気に入りの組み合わせだ。


「へ、へー~……。遠距離……とか?」


 マグカップでお茶を飲んでいたセイラは、たれ目の瞳を一層柔和にしてほほえんんだ。


 ライトブルーのジャケットとテーパードパンツ、白のブラウスとパンプス。しなやかな体躯の彼女によく似合っている。


 レイトは鼻の下をこすると歯を見せた。


「言うほど遠距離じゃないんスけど。蒲郡がまごおりに住む彼女と安城あんじょうに住む彼女と……」


 指折り数えると、セイラが笑顔のまま眉を痙攣させた。


「……ん? ”と”って何? ”と”って」


「俺には一人の女の子とずっと、は向いてないんです!」


「ちょっと、かっこつけて言うことじゃないでしょ」


「彼女が一人二人……」


「指折り数えない!」


 レイトが頭をかくと、セイラはマグカップを置いた。


「一人だけ、なんてとても選べないんスよ。そのコにはそのコのよさがあって別のコもしかり」


「最もらしいことを言ってるようだけど……それは君だけがいい思いしてない? 相手の女の子が知ったらいい気はしないと思うけどな」


「それは、まぁ」


 彼女の顔をうかがうと、微笑みを絶やさず”だったら”と続けた。


「変わらなくちゃ。君にその気があるのかは分からないけど、結婚する時どうするの? 人生狂うよ」


 彼女が熱をこめて長く話すなんて珍しい。自分から話題を広げることもあまりない。レイトは彼女に返す言葉もなく、黙りこんでしまった。


「手あたり次第付き合うよりも、本当にこの人だって思った時に付き合うのが一番幸せじゃない? 自分にとっても相手にとっても」


 恋愛に関しては己の欲望に従うばかりで、相手の気持ちを考えたことはなかった。


 自分さえ楽しければいいと思っていた。


「ねー天木あまきさん、この作業やっておいてくれない?」


 セイラより年下の女性社員がデスクに近づくと、片手で彼女に書類を押し付けようとした。


 しかしセイラは書類を見ようともせず、首を横に振る。


「これくらい自分でできるでしょ? 課長ご指名の仕事じゃないの?」


 彼女は笑顔のままではっきりと断った。女性社員はつまらなさそうな顔で肩をすくめた。図星だったようだ。彼女は背を向けて渋々自分のデスクへ戻った。


 優しそうでなんでもやってくれそう、というのがこの部署のセイラの第一印象だった。


 数年前に中途採用で入社した彼女は、おっとりとした見た目にそぐわず仕事が早くなんでもそつなくこなす。


 彼女は確かに優しいが強気な一面を持ち合わせている。特に都合よく仕事を押し付けられた時は今のように断る。もちろん時と場合によるが。


 なんでも以前勤めていた会社で頼られ過ぎたせいで、仕事量がオーバーして体を壊してしまったらしい。


「……セイラさん」


「ど、どしたの?」


 レイトは突然立ち上がると、セイラの手を取った。


 彼は気が付いてしまった。セイラこそが彼女が言う、”この人”ではないかと。


「今まで恋愛のことで人から怒られてばかりだったけど、こんな諭し方をされたのはあなたが初めてだ。俺が付き合うべきなのはセイラさんです」


 ずっと笑顔だった彼女の顔は、徐々に苦笑いへと変わっていった。レイトに握られた手を徐々に下げ、抜こうとしているようだ。


「考え改めるの早すぎじゃない……?」


 しばらくレイトは手を離そうとしなかった。


 ”仕事を始めさせて……”という断りにも似たセイラの言葉で火が付いた。






「セイラさん、大丈夫ですか? チャラ男先輩に絡まれてましたよね?」


「大丈夫って何が?」


「私見たことあるんです! アイツが地雷系の子たちにめちゃくそ怒られてたのを……」


「えぇ……。修羅場……」


 セイラは同じ部署の女性社員と話していた。話していた、というか彼女に連れ出されたというか。ちなみに先ほど仕事を押し付けてきたのとは別で、この部署の最年少だ。


 彼女はマット系ブラウンの髪を首の後ろで三つ編みにし、横の髪はワックスでまとめている。


 淡い黄緑のテーラードジャケットとテーパードパンツ、ブルーグレーのブラウス。元々スカートスタイルが多かった彼女だが、"セイラさんみたいにかっこいいOLになりたい"と言ってパンツスタイルが増えた。まずは形から入るタイプらしい。そんな所が可愛くてお下がりをあげたこともある。


 彼女は先ほどの場面を見ていたのだろう。険しい顔でセイラのことを見上げていた。


 セイラは微笑むと、可愛い後輩の頭をなでた。


「心配してくれてありがとね、中野なかのちゃん」


「いっ、いえ! セイラさんにはヤツの毒牙にかかってほしくないので!」


 一生懸命で覚えが早く、愛嬌がある。彼女はセイラの癒しでもあった。そして小さな用心棒。


「アイツなんかにセイラさんは絶対、ぜぇ~ったい渡しません!」


 中野と呼ばれた彼女は興奮気味に鼻息を荒くした。

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