第3話

「木山、天木さんと普段何話してんの?」


「何って他愛のないことばっかだけど」


 昼食を取るべく外に出たレイトは、道すがら同期に会ったので二人で近くのファミレスに入った。別の部署だが、会えば世間話をする仲だ。


「天木さんっていつも笑ってるから、いざ怒った時めちゃくちゃ怖そうだよな。どうなん?」


「んー……そうかも」


「その点、天木さんと一緒に話してた子はただただ可愛かったわ。こう、膝におべんとのっけてさ……」


「女の子? いたっけ」


「いたよ、セイラさんの隣に。手作りおべんと……やっぱり年下はいいよ」


 同期はレイトが財布を取りに戻った時、部署の様子を伺っていたらしい。彼は日替わりランチのチキンステーキを頬張りながら拳を握った。


 レイトは共感することなく、”ふーん”と興味なさげにライスをかき込む。


 その様子に同期が口を動かしながら口角を上げた。


「さすがは木山……。外でたくさん女作ってるだけあるわ」


「……そだね」


 今は黙っておきたい。今までの彼女、全てを捨ててセイラ一筋になろうと決めたことは。


 やましくはないが、他人に秘密にしておきたい恋なんて初めてだ。セイラにしかこの気持ちを知られたくない。


 知らない女性社員がいたことに本当は気がついていた。大方レイトのことを探りに来たのだろう。不自然な他部署の女性社員の出入りがあれば大抵そういう理由。おもしろがった男性社員が教えてくれることがある。


 今までもセイラのように仲良くなる女性社員は多くいた。他の部署でも同じ部署でも、はたまた取引先でも。それでもセイラのように長く交流する者はいない。


 鱗粉を振りまく蝶のように、惚れ薬をまき散らしているようなレイト。誰もが彼に惹かれて付き合いたいと打ち明けたが、彼がそれを拒絶してきたからだ。


 彼は仕事の関係者と恋愛関係を結ぶことは決してしなかった。常に周りに監視されているような恋愛はしたくなかったからだ。


 それに一度に何人かの女性と付き合うのでバレた時が面倒くさい。修羅場を職場で諌めるには骨が折れそうだ。今後の職場での立場も危うくなる。それぐらいの理性は持ち合わせていた。


「実際今どんぐらいと付き合ってんの? 一人くらい分けてくれてもよくね」


「分けるかよ。全員好きだから付き合ってるの」


「現代の光源氏かよ……」


 食べ終わるとさっさと会計を済ませて会社へ戻った。


 オフィス街なので社員証を首から提げた社会人が多くいる。彼らも昼休憩中なのだろう。


 レイトたちと入れ替わりで入ってきたOL三人の熱い視線を感じたが受け流した。彼女らの視線の先を気に留めることなく、店員は軽い声で”こちらへどうぞー”と先に進んだ。











 結局あのコはいいのかな、とセイラは空のマグカップを給湯室で軽く洗った。


 部署に戻ると、外へ休憩に行ってた社員たちが続々と戻ってきた。セイラは眠気の誘惑に負けそうになりながら、彼らの姿を眺めていた。


(相手はいくらでもいるから……。他で見つけた方がいい)


 セイラからレイトの話を聞いて諦めた女子は初めてではない。


 彼は浮気性だ、というのは一応彼の名誉のために黙っているが、なぜか”やっぱり私なんかじゃ……”とうなだれて帰っていく。


 そういえば彼の浮気性を知っている社員に会ったことがない。さすがに彼自身も黙っているのだろうか。


(これからは一人としか付き合わないって宣言してたけど、今までの彼女たちとはすっぱり別れたのかしら……。そう頻繁に会っていなかったようだし、手軽にSNSとかで伝えていそう)


 口で好きとは言っていても、彼の気まぐれで会ったり会わなかったりしているのは彼女たちが不憫だ。


 セイラはまぶたが重くなってきたのを感じ、頬をぴしゃりと叩いた。ここはカフェインを摂取しようと、コーヒーメーカーの前にマグカップを置く。


「あれ? コーヒー飲むなんて珍しいっスね」


「あ、おかえり」


 いつの間にか背後に立っていたレイトは、備えつけの断熱カップを手にしていた。セイラの横に並ぶとカップを置き、スティックシュガーを注ぎ入れた。


 せっかちだから先に入れたいんです、レイトはドヤ顔でペーパーカップの中身を見せてきた。


「財布取りに戻ったけど大丈夫だった?」


「うん余裕っス。ちょうど空いてました」


「そう、よかったね」


 コーヒーを持って席に戻り、午後からも背中を預けて仕事に取り組んだ。今日もお互いに頼み合ったり他から追加された仕事をこなし、おやつの時間という名の休憩を挟んだ。


 セイラは黙々とキーボードを叩き、時々他の部署に訪れた。資料を印刷し、プリンターから出力された紙を回収するために席を立つ。


 印刷されたものを手に取ると、見覚えのない物が混ざっていた。同じタイミングで誰かが印刷したらしい。持ち主を探そうとその紙を掲げようとしたら、後ろから手が伸びてきた。


「それ俺のです」


「あ、どーぞ」


「どーも」


 レイトは受け取ると”ふんふん”と満足気にニヤついた。


 何か一仕事終えたのだろうか。ドヤ顔にも見えるそれにセイラは無視してデスクに戻った。着席すると、サーという音と共にレイトが後ろから現れた。彼は手を伸ばすとマグカップのそばに小さな紙を置いた。


「何こ……」


「しっ。後で見て下さい」


 彼が小声で口走った。紙を裏返そうとしたセイラの手を取り、メモの上にのせて片目を閉じる。


「も、どういう……」


 近付く足音に素早く反応し、レイトはキャスターつきの椅子で滑って後退した。


「天木さん? 今いい?」


 足音の正体に話は遮られ、彼女は視界の片隅でメモを捉えつつ振り返った。


 男性社員はなぜか緊張した面持ちで直立していた。ちょっと、と言って手招きしている。


「話ならここで聞くけど」


「いいから……」


 怪訝な顔で見上げていると、腕をつかまれた。


 眉を上げて腕を振り払うと、彼はしまったという顔で回りを見渡した。視線を集めていることに気がついたらしい。


 それを見かねたらしいレイトが椅子を引いた。


「おい、キヨ。ナンパなら外で……」


「天木さんさ、この後何かある!?」


 セイラの不審がる視線も、レイトの制止の声も。男性社員────キヨは、全てを切り裂く声量をセイラに浴びせた。


「特にないけど」


「じゃ、じゃあ! 一緒に食事でもどう……?」


 頭をかいて目をそらす彼を周りが囃し立てた。


 学校生活の一部分を切り取ったような場面。まるで公開告白だ。


「んー……ごめんなさい」


 対するセイラはいつもの笑顔を浮かべた。仏でも神でもない、ただの人間の無機質な笑顔。


「あ、じゃあまた別の日とか」


「日を改めても気は乗らないと思う」


「えぇ……そこまで言うの……」


 顔はにこやかに、吐く言葉は冷酷に。セイラはキヨの絶望的な表情を黙って見つめた。


「君は一体何様なの」


「は……?」


 前々から彼の態度には思うところがあった。これまでは黙っていたが、この際さらけだしてしまおう。


 キヨは自分を奮い立たせるためなのか、ヘラヘラとした表情を浮かべていた。しかし、セイラのことを見ると幽霊にでも遭遇したかのような顔で凍り付いた。


「は? じゃないでしょ。いくら私が後から入ってきたとは言え一応歳上なんだけどな」


「あ、あの……」


 ミスをしでかし、上司に怒られた時と同じくらいの緊迫感。キヨはセイラの無表情に怯えた。部署内の空気も不穏になる。


 全員がこちらに集中しているのだろう。ひそひそとささやき合うのが聞こえた。これで敬遠されても仕方ない。


 温厚で争いごとを好まず、何があっても怒らなさそう、とよく言われる。だが、そんな自覚はない。


 礼儀には人一倍厳しいし失礼なことを言われたら必ず言い返す。見た目に似合わず負けず嫌いだ。



「セイラさん、まぁまぁ……」


 レイトがキヨの助け舟を出した。彼も引いているようだが、セイラを落ち着かせようと二人の間に割って入る。


「キヨ、確かにお前は身の程知らずだ。ナメた口を利いてきたのはよくない。でもそれは、注意しなかった俺たちも悪い。セイラさん、ごめんなさい」


「すみませんでした……」


 レイトはキヨの頭をつかんで一緒に頭を下げた。そこまでさせるつもりはなかったので、セイラは思わず立ち上がった。その時に硬くなっていた表情筋も柔らかくなった。


「いや、ちょ、清田きよた君、きや……」


「天木さん! お電話です! 三番です!」


 流れが変わったのをチャンスだと言わんばかりに、歳上の女性社員が声を上げた。


 電話の音が鳴ったのも気付かないくらい怒っていた、というか神経を集中させていたらしい。


 セイラはハッとして受話器を取った。


「お電話代わりました、きや……天木です。……あ、お世話になります。はい、そちらの納品予定は……」


 立ったまま電話を聞き、受話器を耳と肩の間に挟んでメモを取る。


 電話の相手は声だけでセイラだと分かってもらえるくらい、よく話す取引先。少し談笑した後に受話器を置くと、レイトが肩に手をかけてきた。


「え、セイラさん? さっき”木山”って言いそうになりました!? 何俺と結婚した気になってんですか~」


「ちがっ、直前まで話していたからであって……」


 噛んだというか思わず口走ってしまったのをバッチリ聞かれていたらしい。


 レイトはやけに嬉しそうに顔を近づけてくる。


 彼も慣れ慣れしく接してくるが、初めの頃から嫌ではなかった。あまりにも自然に距離をつめてきたからだろうか。あと、彼は見た目に反して敬語を貫いている。


「はいはい照れ隠しか」


 レイトのおかげでイライラしていたのが和らいだ。セイラはほほえむと、彼の脇腹に手刀をくらわせた。

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君を知らなければこんな想いを知らずに生きた 堂宮ツキ乃 @tsukinovel

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