第一章3 『アヴェリード寮』

 入学レクリエーションの終了を告げる鐘の音を聞き届け、ルシルたちは駆け足で体育館へ戻った。そこでは新たに受付が行われており、どの部屋の鍵を入手したかチェックしているようだった。


「ほい、次~。アヴェリードのお二人さんはどの部屋?」


 締まりのない声とネクタイが目立つ男性は少し長い黒髪を雑にくくり、口にタバコを咥えたままの格好で、寮章を一瞥すると気軽に尋ねた。……かと思いきや、タバコからは煙が出ていない。ただキャンディを舐めているだけのようだ。


「二〇三です」


「ほいほい。あとは入学式とおんなじ感じで並んどいて~」


 あんな先生もいるんだな、と面食らいつつ、ルシルは今朝のように整列するべく一歩を踏み出そうとした。


「っぜぇ、ぜぇー……間に、合ったぁ~……」


 そのとき、ルシルの背後から息も絶え絶えの少女と彼女に手を引かれるようにして、目を擦っている少女がやってきた。


「おぉ? 大丈夫か?」


「な、なんとか……」


「……あ、スロウディアの二〇九号室でーす」


 気怠げな声で鍵を示すその胸元には、ちょうど彼女のように寝ぼけ眼を擦る熊の寮章をつけていた。熊の頭にはナイトキャップがある。


「……あの先生、魔宝石学の開拓者カナン氏だ」


 スカーレットが振り返りながら、ぽつりと呟いた。


「え? 魔宝石?」


「あぁ、『魔宝石』っていうのは大気中の魔力を溜め込んでいる宝石のことだよ。宝石自体が希少だけど、その中で魔宝石になるのはさらに稀でね、ごく最近まで知られていなかったんだ」


「それって、魔石とは別なの?」


「うん。魔宝石は天然もので、魔石は人工物なんだ。一般的に『魔石』と呼ばれるのは魔術によって精製されたものでね、発破に使う『爆石』なんかがよく知られているかな。その辺の石に魔法を込めても魔石として作れることには作れるけど、用途が限られるかなぁ。試金石は魔法を込めたタイプで、再度魔力を込めて発動するような魔法だから問題ないんだけど、爆石みたいに使おうとして爆発魔法なんかかけたりしたら、ふとした衝撃で簡単に暴発する」


 ルシルの疑問に何でも答えてくれるスカーレット講座に耳を傾けながら、一年次の生徒が並んでいる列に混ざる。


「爆石は任意のタイミングで発動できるもんね。持ち歩いてて事故が起きたこともないし」


「そうそう。……あ、話が逸れたけど、世界有数の魔法学校というだけあって、カナン先生以外にも著名な学者がいるんだ」


「……もしかして、入学式のキリッとした先生?」


「よくわかったね。呪学に精通したグリュック氏。数多の呪いの解呪法を発見し、流行り病の白化病はっかびょうが呪いの一種ではないかと提唱しているね」


「あの不治の病が?」


 『白化病』────それは突如として発病する。その症状は単純明快で発病したが最後、心肺が停止して眠るように死に至る。原因不明、治療法などなおさら不明。そのあまりの唐突さと無慈悲さから"神の病"とも称される。


「まだ確定ではないけどね。医学的にも、呪学的にも根拠はまだ多くはない。まあ、どれだけの時間がかかるかわからないけれど、悪魔の魔法だって使えるようになったんだ、病にしろ呪いにしろ、治ら《とけ》ないものじゃないだろうね」


「……なんだか詳しいけど、レティは呪学に進むの?」


「うーん……呪学もいいけど、やっぱり考古学かな。遺跡に潜っていにしえの魔導書を発掘……ふふふふふ、考えただけで楽しくなってくるよ」


 その夢を語るスカーレットは、おおよそ人に見られてはいけないような邪悪な笑みを浮かべていた。人類を滅ぼす力を手に入れた魔王のようだ……とルシルが顔を引きらせていると、「あ、あー……生徒諸君に告ぐー」と先ほどのカナン先生が拡声魔法で体育館中にその声を伝播させる。


「新入生・編入生の所属寮が確定した、と! いうわけで、これからの案内はそれぞれの寮長に任せる! 寮長ズ、あとはよろしく!」


 活き活きと、清々しいまでの丸投げっぷりで、声の主はすたこらと体育館を跡にした。雑な指示だったが、最初からそうするよう決まっていたことらしく、戸惑う様子もなく寮長たちが声を上げる。


「誇り高きスペルイド寮に選ばれた新入生、編入生諸君はここに集合!」


『メランヴム寮のみんなはこっちに集まれ〜!』


 それぞれの寮章の刻まれた旗を掲げ、寮生を集結させる寮長たち。瑠璃るり色、竜胆リンドウ色、牡丹ボタン色、槿花ムクゲ色、杜若カキツバタ色……。五つの寮旗の中に、ルシルの探す梔子クチナシ色はない。


「英明なるアヴェリード寮に選ばれし諸君! アモル校長の次くらいには博識な私のもとへ集ってくれたまえ!」


 満を持して、寮旗とともに若草の如く風に流れる長髪がその少女の存在感を主張した。


「あの人が……」


「だね、我らがアヴェリード寮寮長────」


「さあて、お集まりかな? 私が寮長のリモだ。まずは、アヴェリード寮の寮生に選ばれたことを祝福するよ。……おめでとう、アヴェリードに探求の徒が増えて嬉しいよ」


 澄み渡る空の広がる瞳が、目前の寮生たちひとりひとりを見やる。その自信に満ちた姿勢は大いに既視感があり────ルシルは隣で、うんうんとリモの言葉に頷いている幼馴染を横目でちらりと見た。


「カナン先生に任されたことだし、これから寮に案内するとしよう! 私についてきてくれ。はぐれないようにね」


 リモは柄を収納し、短くした寮旗を目印にするかのように掲げながら歩き出す。


「この島に転移したときに見たと思うが、この校舎を中心として六つの寮が囲むように建設されている。だから校舎には正面玄関と、それぞれの寮へ繋がる出入口がある。南東方向にある出入口からアヴェリード寮へ繋がる道に出れるよ」


 その言の正しさは、美しい透かし彫りの成された大扉を開けた先にあった。正面玄関から見た八つの塔のひとつ、これから三年間を過ごすアヴェリード寮が。


「塔は八つあるのに、寮は六つ……?」


 ぽつりとルシルの口をいて出た言葉を、リモは聞き逃さなかった。


「良い疑問点だね。確かに塔は八つあるんだが、そのうちの二つ……北西と西にある塔は損傷が大きく、寮としての機能は果たせないとのアモル校長の判断で、植物園と……あとはもっぱら物置に使われているね」


 足元に敷き詰められた黄色のレンガ道を進みながら、リモは語る。


「えっと、損傷って何かあったんですか?」


「この島が『人類最後の砦』と名付けられた所以ゆえん────滅亡者によって破壊されたんだ。アモル校長が修繕はしたんだけど、元々あの二つの塔はボロかったからね。使わないことにしたんだろう」


 ルシルは「あ……」と声を漏らした。そうだ、ここは人類が最後の希望を託した砦の島。人類を滅亡せんとした者は、この島にも爪痕を残していたのだ。


「まあ、その滅亡者は倒されているし……目下、私たちの敵は〈宇宙からのコエ〉だが」


 厳威に佇むアヴェリード寮の玄関に着き、リモは真鍮しんちゅうでできたドアハンドルをひねった。


「他の寮より個性はないが、実に機能的だと自負しているよ。間取り図はそこにあるから自分の部屋を確認するといい」


 そう言って、リモは玄関のすぐ左を指し示した。掲示された寮の間取りを見るに、だいぶトリッキーな造りになっているらしく、中央に寮長室や副寮長室、一人部屋があり、それを囲うように複数人の部屋が配置されている。寮の見た目は塔のようだと思ったが、おそらくは本当に塔として利用されていたのだと思う。当時、中央にあった大部屋を分割し、今の寮の形になったのだろう。


 ルシルたちが過ごす二〇九号室は、最上階の三階にあるようだ。寮長室が同じ階にあり、副寮長室は二階にある。


「荷物は君たちを連れてきた案内人が談話室に運んでいるから、それを自室に持っていってくれたまえ。貴重品と、ノートと筆記用具を持って、十三時までにまた談話室に戻ってくるように! 寮のしおりはそれぞれの部屋に置いてあるから、時間があれば確認しておいて」


 リモが簡潔に今後の流れを説明し、「それでは、解散!」と締めくくる。


「そういえば、アミィが運んでおくと言っていたね」


「うん。……結局、アミィさんって何者だったんだろうね……?」


 玄関を真っ直ぐ進んだ先の談話室まで歩く。リモの話通り、校舎と比べると花瓶や絵画などの装飾はなく、ひどくこざっぱりした空間が広がっている。その代わりに、壁面はほぼほぼ書架として利用されており、驚異的な蔵書数であろうことが見て取れる。


「使い魔という言葉を濁したし、何よりあの転移魔法を無詠唱で使ったんだ。十中八九、悪魔だろうね」


「へ!? アミィさんが? 全然そんな風に見えなかったけど……」


 魔法というものは、ある程度までは使い手の技量次第で無詠唱の行使が可能だ。ただし、それにも限度がある。スカーレットの口ぶりからして、転移魔法の行使に呪文の詠唱を必至とすることは明らかだ。────それがのなら。


「悪魔は息をするように魔法を使うからね、詠唱なんか必要ない。元々、魔法は悪魔のものであって、人間は悪魔から魔法を教えてもらったに過ぎないし。……あったあった」


 談話室にて荷物を回収するスカーレット。その隣に置かれていたルシルの荷物も回収し、玄関の中央にあった階段へ向かう。


「あの場で訊いてもよかったんじゃ……?」


「まあ、そうなんだけど……彼女は『校長の古馴染み』と言った。『契約している悪魔』ではなく。だからアミィは私たちに悪魔だと認識してもらうんじゃなくて、見てほしかったんじゃないかな」


「…………そっか……そうかもしれないね」


 重い荷物を一段ずつ持ち上げながら、三階までの階段を上る。二階まで上がった時点でスカーレットは肩で息をし、「早く飛行魔法を習いたいものだね……ぜぇ……」とうんざりしていた。


「運動も大事だよ?」


「ぐ……。ま、まあ、それはさておき」


 運動を嫌い、何でも魔法で解決しているスカーレットが明らかに話を逸らし、『二〇九』のプレートのかかった扉の鍵穴に手に入れた鍵を挿し込み、開錠した。


「おお~。思いのほか広いね。……よいしょ、っと」


 手前からクローゼットとベッド、そして窓辺に机と椅子がそれぞれ二つずつあり、スカーレットはその右側の机に革製のトランクを置いた。


「……どう考えてもレティの荷物少なくない?」


 ルシルの持ってきた教科書一式に数日間の衣類、多少の日用品等々は少なく見積もってもスカーレットの荷物の二、三倍はある。


「服は後々送ってもらうんだよね?」


「さすがにね。そもそも、私が荷造りできるように見える?」


「自分で言うのはどうなんだろう……」


「実はコレットおばさまから生活魔法を教わってね。なんと消費した魔力の分だけ亜空間と接続して、鞄のスペースが増えるという代物なんだけど」


「なにその便利魔法! 教えてよ~」


「……ただし、重量は変わらないからほんっとうに重かったよ。浮遊魔法はかけたんだけど、気休めにしかならなかったな」


「あぁ、だからあんなに疲れてたんだ……」


 元より体力のないスカーレットだったが、あの息切れにはその魔法も関与していたのか。


 スカーレットがトランクから次々と教科書や古書店で手に入れた掘り出し物の魔導書、常日頃から作成している魔法に関するレポート……トランクの容量を無視した、ありえないほどの荷物が顔を出した。


「家のレティの本棚、すっからかんになってるんじゃ……」


「これでも厳選したんだけどなぁ。……あ、しまった。どこに収納しよう……」


 悩んだ挙句、スカーレットは机の本棚からクローゼットの中にまでびっしりと書物を並べた。


 ルシルはといえば、てきぱきとクローゼットへ衣服を収納し、ベッド下へはパジャマや部屋着、小物類をしまっていた。


 壁掛けの時計へ目をやると、十三時は目前に迫っていた。切迫した声で「レティ、もう行かないと!」と急かす。


「おっとと、急ごう!」


 それぞれの荷物を手にし、階段を駆け下りていく。同じような生徒がちらほらと散見し、遅刻寸前ではあるのだが妙に安心した。


「おぉ、来た来た。じゃあ、ちょっと遅めのお昼を食べに行こう。そのあとに、君たちは初授業を受けることになる。一限だけだから、気負いしないで受けといで。あとは……」


 そこまで言って、リモは顎に手をやり、小首を傾げる。ちょうど、何を言おうとしていたか忘れてしまったかのような仕草だ。


「あんたはおばあちゃんか! 『十七時には帰ってきてね』でしょ!」


 唐突にキッチンの扉がばん、と勢いよく開き、漫才さながらのツッコミが飛んでくる。


「ああ、そうだったそうだった。いやぁ、さすが副寮長」


 薄紅色の髪をひとつに結んだ彼女は「副関係ある……?」と微妙な顔をしていた。


「初めまして、一年生のみんな。私はフリージア・ブロディー。副寮長やってまーす。さっきも言ってたけど、今日は十七時には寮に帰ってきてね。そんで、リモはちゃんと案内すること!」


「心外だな、私は寮長としての責務は果たしているとも」


 リモが不服と言わんばかりに口を尖らせるが、フリージアは「はいはい」と受け流して再びキッチンへ姿を消した。


「困ったことがあったら、私かフリージアか、寮母に言ってくれたまえ。勉強でも生活のことでもね」


 アヴェリード寮を出、再びレンガ道を歩きながら「寮母にはそのうち会えると思うが……。彼女、暇があると寮中の掃除してるから」とリモは補足する。


 寮生活ということで上下関係でごたごたするかもしれないと身構えていた。が、寮長も副寮長もとても親身に接してくれている。考えすぎだったのかな、とルシルは肩の力を抜いた。



 * * * * *



 リモの案内のもと、食堂で昼食をった二人の目は事前に伝えられていたクラス表が貼り出されるという第一講義室の黒板の上を泳いでいた。


「あ! レティもA組だ」


「ま、同じ寮にもなれたんだし、クラスだって同じさ」


「そんな理論はないけど……」


 スカーレットの言葉に苦笑しながら、向かったA組の教室には既に半数以上が揃っており、まばらではあるが談笑する者も見受けられた。


 黒板に視線を向けると、そこには座席表が貼られていた。ルシルの席はスカーレットの前だ。


「やっぱりこの順だね」


「エレメンタリースクールのときからだしね」


 もはや恒例行事と化しつつあるのがこの席順だ。スカーレットが後ろにいると思うと、ルシルは安心とともに少しばかりの緊張を覚えるのだった。


 席に座り、ルシルは味のある木目の机を撫でた。滑らかな触り心地は、この机がよく磨き上げられていることを伝えた。そのとき、ルシルは改めてこの世界有数の魔法学校に入学したのだと実感した。


 わくわくと緊張が半々になったルシルとは対照的に、後ろをちらと盗み見るとスカーレットは余裕綽々の笑みをたたえていた。


 スカーレットはおごらず、かといって謙遜もしない。ただ、自身の実力を正しく理解しているだけだ。事実、この教室内で知識も魔力も、スカーレットに敵うものはいないだろう。


 ルシルは当初このエンヴィディア魔法学校に入学するつもりはなかった。入学資格証こそ届いたものの、ルシルには五本指に入るような名門校の勉強についていける自信がなく、かといってスカーレットのような魔法に対する熱意もない。そんな自分に分相応な、魔法とは縁のない学校に行くつもりだった。だが、頑固で強情なスカーレットからの説得を受け、こうしてここに座っている。


 程なくして扉が静かに開き、黒髪に白髪の混じった初老の男性が教壇に立った。かっしりとしたベストにネクタイを合わせた上からローブを羽織っており、たくわえられた髭には威厳が内包されている。


「私がこのクラスを受け持つことになった、カイ・バーグマンだ。担当教科は世界史と選択授業の古代魔法学。見ての通り、面白みのない老骨ではあるが、君たちが無事に卒業できるよう努めるつもりだ。授業でわからないことがあれば、いつでも聞いてほしい。……以上だ」


 バーグマンは片手に持っていた教科書やノート類を教卓に置き、簡潔に挨拶をした。


「では、早速だがこれより一年次の共通初回授業である、防御魔法の習得に移る。なお、この授業時間内に習得できなかった場合は補講を行うことになるため、心して聞くように」


 そう言って、バーグマンはチョークを手に取り、二つの円と二つの正方形で構成された魔法陣を黒板に描いた。


「これが一般的な魔法陣とされている。まだ独自の魔法陣を持たない者はこれを使うように。だが、自分の魔法陣は早めに決めておきなさい。魔法を扱ううえで、自分の魔法陣があるのとないのでは大きな差が出る。魔法陣から魔法を放つイメージがある以上、魔法陣がなければ魔法の発動率は大幅に低下するうえ、唯一無二のオリジナリティーは魔法の効果を底上げするものになる」


 かっ、こつ、と小気味良いリズムで、再び黒板には『魔法』という枠組みの中に『想像力』と『言霊』という単語が刻まれた。


「魔法というものは、この二つの要素で構成される。魔法の中に呪文を唱えるものがあるのは、このうちの想像力が不充分だからだ。確固とした想像力さえあれば、一部の魔法を除いては呪文の詠唱を省略できる。防御魔法の場合は詠唱をしている暇がないため、確実に発動させるべく必ず魔法陣を魔力で描き、魔法を防ぐように」


 空中に黒板と同じ魔法陣を描いてみせたバーグマンは「アストベリー君」と、左端の最前列に着席しているルシルへ野球で使うボールを差し出した。


「これを私へ向かって投げてみてくれ」


「は、はい」


 さすがに全力投球しろ、ということではないだろう。あまり勢いのつかないよう、下から上へと球を投げる。その球はバーグマンに直撃する────寸前に魔法陣によって受け止められ、そのまま自由落下したあとバーグマンの手中へ収まった。


「実演すると、このようになる。魔法陣の仕組みを変えれば、触れた魔法を弾くこともできる。または……こんなことも可能だ」


 バーグマンは球を上空へ投げる。重力に従って下降するその球は、突如として展開された魔法陣にめり込んだ。


「外側から内側の順番を意識して魔法陣を展開すると、防御魔法に挟み込まれてこのような現象が起こる。……まぁ、これは物質的なボールだからできたことであって、魔法には通じない。が、この方法を応用すれば、拘束魔法に転用できるので覚えておくように」


 豆知識ではあるが、覚えていて損はないだろう。持参していたノートに黒板の内容を含め、メモしておいた。


 口頭での説明を終えたバーグマンは野球ボールを配り、各々で練習する時間を与えた。


 試しにルシルは子どもの頃に考案していた魔法陣を展開し、防御魔法で野球ボールを止めたり、ボールを浮かせて魔法陣で挟んだりしてみた。その間に、スカーレットは同じく子どもの頃に考案していた魔法陣で、防御魔法も程々にさっそく拘束魔法を発動させている。


「ほう、既に拘束魔法を扱えるとは。誰かから教わっていたのかね?」


「ええ、祖母から少々」


 スカーレットの祖母・コレットは魔法使いで、故郷の村でよく頼りにされていた。祖母から教わった魔法を、スカーレットがさらにルシルへ教える、といった流れでルシルも防御魔法や拘束魔法は心得ている。コレットがスカーレットに魔法を教えたのは、自分の負担を少しでも軽減させたいという意図があったのだろうと今では思う。実際、近所の牧場で放牧されていたヒツジが脱走した際に、ルシルたちが駆り出された経験がある。


「……二重、三重の多重拘束魔法を使ったことは?」


「ないですね。……多重というと、一度発動させた拘束魔法を維持しつつ、もう一度発動させる、というやり方で合っていますか?」


「その通りだ。どちらかに集中しすぎても、片方が疎かになってしまう。両方に平等に意識を向けることが肝心だ」


 バーグマンの生徒の習熟度ごとに異なる課題を与えるやり方は、スカーレットの好奇心や向上心を刺激したようだ。案の定、すぐさま挑戦していた。


「……ルーシー、これ案外難しいよ」


「えぇ、レティがそうなら私はかなり絶望的では……」


「まあまあ、とりあえずやってみなよ。こう……バランス感覚が問われるよ。両手で皿回ししているみたいだ」


 勧められるがまま、ルシルも拘束魔法を発動させ、二度目の拘束魔法を発動させる……のだが、そちらに意識を割くと、発動させていた拘束魔法が崩れてしまった。


「ほんとだ。これできるのかなぁ……?」


「難しければ難しいほど、やりがいがあるというものだ……!」


 きらきらとカーディナルレッドの瞳を輝かせて、スカーレットは再び集中し始める。ルシルもそれにならうように魔力を紡ぐ。


 結局、その時間は多重拘束魔法に費やしたが、二人とも習得することはできずに終わった。



 * * * * *



「部活見学、どこから回ろうか?」


 放課後、ルシルは部活案内のパンフレットを広げながら、スカーレットに問いかける。


「ふっふっふ……ルーシーが行きたいであろうところ……料理研究部から行こう!」


 得意顔でスカーレットは部室棟へ人差し指を向ける。


「料理研究部の活動日は水曜日と木曜日だから……明後日だね」


 スカーレットは出端を折られたとばかりに不機嫌な表情になり、「……魔弾研究会はいつ?」と尋ねた。


 スカーレットは日常的にルシルに世話をかけているという自覚があるらしく、こういった場面ではルシルを優先する。今回はそれが成功せず、こんな表情をしているが。


「うーんと、今日と明日だって。料理研究会は明後日行けばいいよ、一週間あるんだし」


「……そうだね、気を取り直していこう。活動場所はどこだっけ?」


「鍵探しした森だって。部員は……よ、四人……!?」


 北の森を目指して歩き出した二人。ルシルはパフレットの部活紹介を見、部員数についての驚愕の文言があることにおののいた。


「なるほど、まだ『同好会』というわけか」


 同好会から正式な部活動として承認されるのは部員が五人以上加入した状態で、三年以上活動した実績のある会のみ、と生徒手帳の校則にある。


「なら部室もないし、部費も出ていないんだね」


「みたい。部費はなくても全然支障はないらしいけど」


「まあ、魔弾を撃ち合うくらいだろうし……ん? これは……」


 森の入り口には『魔弾研究会が活動中』という看板が立てられ、さらに森全体を覆うように結界が張られていた。


「あ! 君たち、一年生スか!?」


 ルシルたちが結界を前に立ち止まっていると、茂みを掻き分けて明るい金髪とテンションで少年が笑いかける。おそらく魔弾研究会の数少ない部員の一人だろう。


「は、はい、見学に……」


 ルシルは今まで関わったことのない、そのテンションに気圧された。


「お……っしゃあー! アーニー、一年生来てくれたっスよ!」


「聞こえてる、聞こえてるから。一年生がびっくりするから、落ち着けって」


 頭上から声がしたかと思えば、翠色のさらさらとした短髪を揺らして軽快に木の枝から少年が飛び下りた。


「驚かせてしまってすみません、見学者は悲しいことに珍しくて。僕たちが魔弾研究会で、いつもはあと二人いるんですが……」


「あれっスかね、二人とも『カンパ』の────」


「ちょっと黙ろうか、ライリー」


 ライリーと呼ばれた少年の口が手で塞がれ、彼はむがむごと言語化されていない音を漏らしている。


「……残りの部員ははさておき、二人は魔弾についてどれくらい知っていますか?」


 雑な話題転換だった。明らかに触れないでくださいと言わんばかりの言動だが、ルシルとしては隠されるとむしろ気になる。


「魔力を弾丸のように加工したものですよね。それを精密なコントロールで相手に命中させるサバイバルゲームの練習をしていると聞きました」


「そうそう、そうなんスよ! まあ……練習したくても、人数足んないっスけど……」


「魔弾バトルロワイヤル、通称『マダロワ』には五人チームじゃないとエントリーできないからなぁ……」


 「だから少ない人数でもできる練習を試行錯誤しているんです」と少年は力なく微笑む。


「では、試しに魔弾を作ってみましょうか」


 少年は掌を空へ向け、いとも容易く拳大の魔弾を生み出してみせた。


「身体中を巡る魔力を掌に集めて、それを球体の形に具現化するイメージですかね……」


「具現化……このような感じですか?」


 スカーレットは瞬く間に魔力を掌から出力し、初めてとは思えないほど完璧な魔弾の形成に成功したのだった。


「ええ、できています。筋がいいですね」


「……あ、消えちゃった……」


 ルシルも魔力を出力してはみるのだが、今にも消えてしまいそうなほど薄い色をした魔弾はすぐさま景色と同化してしまった。


「魔力自体は放出できていますので、あとはコーティングですね。魔力はすぐに大気に満ちた魔力と溶けてしまいますから、そうならないようさらに濃い魔力で覆う必要があるんです」


 「魔力を包み込むようにしてみると上手くいきますよ」というアドバイスを受け、ルシルは教えられたイメージを基に瞳を閉じて集中を高める。


「……あ、ルシルできてるよ」


 目を瞑っていて表情は確認できないが──確認できないからこそかもしれないが──普段よりも柔らかなスカーレットの声にルシルは目を開けた。


「わ、ほんとだ!」


「私が嘘を吐くとでも?」


「ええっ、今日が初めてとは思えないっスよ! 俺は二週間かかったのに……ぜ、ぜひとも入部を……!」


「こらこら、あまり前のめりでいくなってば。すみません、全然気にしなくていいので。いつでも入部者は歓迎ですが、他の部活も見て回ってみてください」


「はい、ありがとうございました」


「ありがとうございました……!」


 一年生に対しても最後まで礼儀正しく応対してくれた少年に礼を述べ、二人は次に見学する部活を探すため、パンフレットを開く。


「あ! アルフィー、魔弾研究会だって! 見学させてもらおうぜ~」


「ヴィルカ、あんまりはしゃぐと転ぶよ」


 これからルシルたちと同じく魔弾研究会を見学しに行くであろう、同じく一年生の少年ふたりとすれ違い、ふとスカーレットが立ち止まった。


「レティ? どうかした?」


「…………いや……たぶん、何でもない……」


 スカーレットにしては何とも歯切れの悪い台詞だったが、ルシルはあまり気に留めることなくパンフレットから本日活動している部活の中から、魔術実験部を挙げた。


 しかし、その見学が終わった二人は釈然としない表情でうなっていた。


「なんかこう……」


「魔法そのものに焦点を当てた部活はないものか……」


 二人とも求めていた部活は一致しており、それは魔法を中心とした部活だった。


 一つ目の魔弾研究会は魔弾を主軸に活動し、二つ目の魔術実験部は部名にもある通り魔術を用いた自由な実験を行うという内容だった。魔術に触れたことのないルシルは、魔法よりも適性があるならばそちらでも構わないと思っていたのだが、予想以上に魔法とは扱いの異なる学問だった。


「どれも面白そうではあるんだけど、こう……心躍る感じがしない」


「うん……魔導書を読み解いたり、新しく魔法を編み出したりっていうことがしたいね」


「さすがルーシーだ。私のやりたいことを言ってくれるね」


 まだ一週間ある、という儚い希望を胸に今日は寮へ帰る運びとなった。



 * * * * *



 アヴェリード寮へ帰ると、寮内への伝達手段であろう玄関の掲示板に『一年生は十七時まで自室で待機しててネ!』とふわふわとした丸文字で大きく張り紙があった。


「あと二十分くらいかな」


 自室の壁にかけられた時計を見やり、ルシルが言う。


「ちょうどいい、寮のしおりを読んでおこう」


「ちゃんと読むんだ……!」


「子ども扱いしてない?」


 スカーレットは長々とした文章が苦手だ。それが魔導書の類ならいいのだが、取扱説明書や契約書は投げ出してしまう。そんなスカーレットが、自ら進んで手引書を開いて読み込んでいる。ルシルは驚きと感動のあまり落涙しかけた。


 帰省したときにでもスカーレットの母に話して聞かせよう……と、ルシルも寮のしおりの表紙をめくった。


 寮のしおりには寮生活を送るにあたっての連絡事項や注意事項がジャンルごとに分類されており、ルシルは順番通りに『はじめに』の項目に目を通す。『鍵を紛失した場合は大人しく寮母に報告すること』という初歩的なものから、『異性の部屋には結界で自動的に入室を拒まれること』など、多岐にわたって記載されていた。


「へぇ~、部屋の結界は校長先生直々だって」


「校長先生の結界なら間違いないね。世界各地の魔獣を阻む結界も〈宇宙からのコエ〉の影響力を弱める大結界まで展開しているんだから」


 民家のある居住区から中心街などの人の生活圏内を覆う結界は、『魔獣』という魔法を行使する獣の侵入を防ぐためにある。人間や動物は通ることができるが、魔獣に対してのみ魔力抵抗の働く防衛魔法が発揮されるのだ。


 また、地球全体を包み込む大結界は〈宇宙からのコエ〉たらしめる、聞いた者を発狂させる不快な音を遮断する重要な役割を担っている。たとえ本体の降臨を防げなくとも、常習的な侵略を防げるのなら御の字だ。


「考えれば考えるほど、校長先生って規格外だよね……」


「そりゃあね。常時結界を展開するなんて普通は不可能だ。それだけの魔力量があるのか、はたまた悪魔との契約によるものなのか……。契約している悪魔も十や二十じゃすまないっていう話だし」


「不老不死って噂もあるもんね」


「あぁ、聞いたことがある。『カフカの魔導書』にも呪文はっていないけど、そういう魔法があるとは書いてあるようだし……本当にそうなのかも?」


 スカーレットが最も尊敬──崇敬といった方がいいかもしれないが──している、"はじまりの魔法使い"カフカ。彼女が習得、あるいは生み出した魔法はすべてカフカの魔導書に記してあり、それが今日の人類の生活を成り立たせている。カフカの魔導書の複製品コピーは広まっているが、未だに原本は発見されていないという。ちなみにスカーレットも所持してはいるが複製品だ。


「……十七時になったね。談話室にでも行けばいいのかな」


「たぶん……?」


 部屋から出ると、他の寮生たちがコバルトグリーンのリボンを結んだ二年生の生徒にまとめ上げられているところだった。


「お、二人が追加で……うん、全員揃ったな! よっし、談話室にいっくぞ~」


 淡藤色のセミロングをツーサイドアップにした少女はずんずんと先行していく。


「あたしは次期候補のヴァレリア・ベーカー! 今のうちに恩売っといてもいいぜ!」


 にかっ、と快活に笑うヴァレリア。一年生は何と受け答えればいいかわからず、微妙な愛想笑いを作る。


「じゃ、一年生代表ってことで……扉、開けてみ?」


 談話室の前に立ち、ヴァレリアが肩を置いたのはスカーレットだった。


「……いいリアクションは期待しないでくださいよ?」


 スカーレットは口角を上げて応じる。少し焦りの生じた顔で「あれ、どっかでバレたか……?」と小声で言うヴァレリア。


 それに構わずスカーレットはゆっくりと談話室の扉を開き────。


『入学おめでとーう!!』


 その瞬間、目の前を魔法によるカラフルな光が乱舞し、紙吹雪がひらひらと空を踊った。壁には一面に花紙で作られた造花が飾りつけられている。


「……もしかして、『カンパ』って」


「歓迎パーティーのことだね」


 勘づいていたスカーレットは、器用に片目を瞑ってウィンクしてみせた。


「なーんだ、バレてたのか。ヴァル、口を滑らせたんじゃないだろうね?」


「えっ! あ、あたしじゃないですって!」


 リモから両頬をもちもちと遊ばれているヴァレリアは必死に釈明している。


「まーまー、毎年やってんだからどっかしらからは漏れるし、なんならどの学校でもやるから」


 二人を引き剥がし、フリージアは「ほらほら、みんな席についてー」と一年生をテーブルへと誘導する。


 寮生全員が着席できるほどの長机には所狭しと料理が並べられていた。ピザやフライドチキンはもちろん、バランスよくサラダが配置されている。


「たくさん作ったから、じゃんじゃん食べてくれたまえ!」


「って、リモはほとんど作ってないでしょーが!」


「飾りつけはやったよ!」


「しゃー! あたし、ビーフシチュー食べる~」


「野菜も食べなさいよ?」


「だいじょぶです、玉ねぎとにんじん入ってますから!」


「ちゃんとサラダ食べなさい、サラダを」


 むす、と頬を膨らませるヴァレリアの前にサラダをよそった皿が置かれる。


 賑やかなやりとりをちらと見、ルシルは微笑んだ。これから三年を過ごす寮だ、寮全体が仲睦まじい雰囲気であってほしいというルシルのささやかな願いは心配する必要がないほど良好だったようだ。


 何を食べようかと視線を動かすルシルは、隣で見たことのない料理に手を伸ばすスカーレットを捉える。


「レティ、それ何かわかってよそった?」


「いいや? でも気になる」


 鼻腔を刺激的な香りが襲う、赤茶色をした料理はルシルたちには馴染みのないものだった。


「辛そうだけどだいじょ」


「……むむむ?」


 一口その料理を食べたスカーレットは眉根を寄せて、「か……辛い……」と水を飲んだ。


「言わんこっちゃない……」


「んん、だけど美味しいよ、これ」


 ほらほら、と勧められ、ルシルも一口咀嚼そしゃくする。


「ほんとだ、美味しい……!」


「なんて料理なんだろうね」


「……それは麻婆豆腐という、蝶華ボウファ命国の定番料理ですね」


 サクソニーブルーの髪を団子にした、クラシカルなメイド服を着用している女性がスカーレットに答えた。


「独特な香辛料を使った料理ですので、お口に合うか心配だったのですが……杞憂でよかったです」


 上品に笑いかける女性に気づいたリモが「ライラ、ちょうどいいところに」と手招きする。


「この人が寮母のライラ。寮で提供される食事はほぼ彼女が作ってくれているんだ。寮生も当番になったら手伝ってもらうからね」


「皆さん、どうぞよろしくお願いいたします」


 慇懃いんぎんに辞儀をしたライラは手際よく空になったコップにジュースを注いだり、寮生たちの手が届かない位置の料理を取り分ける。


「……見ての通り、ワーカーホリックなんだ。彼女が好きでやっていることだから止めれないんだが……」


 リモの言う通り、ほとんど動きっぱなしであるにもかかわらずライラは生き生きとしており、楽しそうに見える。


「はいはーい。揚げたてドーナツの出来上がり~」


 プレーンやチョコ、いちご味のドーナツが盛りつけられた皿を運んできたのは、いつの間にか談話室から姿を消していたフリージアだった。


「おぉ、待っていたよ。フリージアの作るドーナツは格別なんだ」


「わあ~! これ、全部手作りなんですか?」


「ええ。私、お菓子の中でもドーナツは完璧なの」


 フリージアはふふん、と胸を張る。揚げ物ということもあり、手作りの難易度が高く手間がかかるお菓子のため、ルシルはあまり作らない代物だ。


「でも、ドーナツが好きってわけじゃないんだろう?」


「うーん、食べることには食べるけど、大好物ってわけじゃないわね」


「凄く美味しいです! お店のドーナツみたい」


「おそまつさま。他にもライラさんの作ったアイスにゼリー、ケーキもあるのよ」


 見ると、ちょうどライラがキッチンワゴンから配膳しているいちごアイスを嬉々としてヴァレリアが受け取っていた。


「そういや、聞きました? スペルイドの連中は店貸し切って歓パしてるらしいですよ」


「あそこは寮内募金箱を設置してるからね。そこから費用を出したんだろう」


「お店で食べるご飯もいいけど、私は寮でやるのが好きだな。ほら、アットホームな感じして」


 フリージアの言葉にルシルは思わず頷いた。クオリティの高い料理もいいが、手作りには手作りの言い表せない良さがある。少なくとも、ルシルはそう考えている。



 その夜、ルシルは実家と同じか、それ以上にぐっすりと眠った。翌朝スカーレットは相変わらず、ルシルの声がけがなければ起きなかった。

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