第一章4 『肺を焼く怪物』

 入学してから早一週間。ルシルたちはこの魔法学校での生活にだいぶ慣れ始めていた。


 寮生活をするにあたっての当番制の掃除・炊事は、普段から家事を手伝っているルシルにとっては苦ではなかった。スカーレットは多少悪戦苦闘している様子だったが、先輩方のサポートもあり、どうにかやれている。


 朝食と夕食は寮内でるのが原則で、献立は寮母が寮生のリクエストを交えてバランスのとれたメニューを考え、それを五人ほどの割り当てられた当番と寮母が作る。


 昼食は食堂で食べるが、入学式の翌日にホームルームで配られた魔動携帯機『ソピア』によって、ルシルたちの常識は覆されることになった。


 まだ市場に出回っていない、最新技術の結晶たる掌サイズの薄い無機質な物体。魔法と魔術を融合させた、世界初の魔動具は試験的に名門魔法学校の生徒たちにのみ配布されている。魔動機械学の第一人者たるエンヴィディア魔法学校の卒業生が開発したそれを、不具合や改善点があれば報告することと引き換えに使用させてもらっているのだ。


 ソピアで年間食券を購入すればあらかじめ料理を選び、食堂でできたての料理が味わえる。どういう仕組みなのかと駄目元でスカーレットに聞いたところ、ソピアから食堂に設置されている魔動機体へ魔力情報子なるものが送信されているらしく、その魔動機体からシェフへ注文を伝達するという流れらしい。


「よく知ってるね。魔動機械学って魔術も合わさってるからレティの専門外かと……」


絡繰からくりだけね。私は魔術を好ましく思っていないし」


「なんだっけ、手に入らない素材ばっかり使うからだっけ」


「そうだよ! 人魚の涙とか、一角獣のひづめとか! まったく、どこで手に入れるんだよっていうものばっかりだしね! そんなものを集める暇があったら魔法植物でも地道に育てるよ」


 スカーレットは不貞腐ふてくされたようにぼやいた。貴重な素材ばかりを惜しげもなく使う魔術より、自身の中にある魔力と想像力で世界を変革させる魔法を好むのだ。


 苦笑したルシルは世界史の教科書とノートを机に広げた。この一週間の授業内容の復習をしようと思ったのだ。


 世界史の教科書の表紙をめくると、見開きには達筆な書体でこう書かれている。


 『人類の歴史とは、魔法の歴史である』。


 さらにページを捲った先には誰もが知っているであろう御伽噺おとぎばなしに近い、前人類の滅亡について記されている。


 初めにこの教科書を開いた際にバーグマンからの注釈として、これは使徒がまとめた『史書』をもと編纂へんさんされたものであり、天使・悪魔のどちらにもくみすることがないものと教えられた。


 人間を遥かに超越した高位なる存在には、対立している天使・悪魔の他にも『使徒』という者たちがいる。彼らは絶対的な中立の立場をとり、『審統しんとう機関きかん』を設立した。審統機関では人間と協力関係を結び、魔法を悪用した犯罪の取り締まりにあたっている。唯一、絶対的かつ強制的な魔法の解除を行うことができる公的機関でもある。


 歴史については、天使や悪魔も書物としてそれぞれ『聖典』や『教典』を記してはいるのだが、思想の偏りがあるために公正性が疑問視されている。よって、教科書の編修には史書が用いられたのである。


 だが、東暦一年から三千年までの歳月のことは人類の歴史に一切残っていない。高位なる存在である彼らの記録は閲覧を許されず、この期間のことを人類は『暗黒時代』と称し、全世界の歴史研究家たちがこぞって解明に努めているが、未だ進展はない。

   

 ここまでの歴史をノートにまとめ直すうちに──暗黒時代のことは何ひとつ判明していないため、すぐに終わったが──ふと、今日の授業での出来事を思い出したルシルは多重拘束魔法の習得に励むスカーレットに疑問を投げかける。


「そういえば、今日の授業終わったあとにバーグマン先生と話してたけど、質問でもしてたの?」


「うん、そうだよ。概念借用について」


 『概念借用』────実力者の名を呪文に含めることにより、魔法を発動させやすくすることを指す用語だ。ちょうど、今日の授業で学んだことだ。


「実力者というのは、具体的にどの程度の人を含めるのかと思ってね。高名だというのも条件を満たすそうなんだけど、人間には知られていなくても天使や悪魔に知られている者ならいいらしい」


「へぇ~。そんなこと聞いてたんだ」


「まあね。これから新たに魔法を編み出すこともあるだろうし。……あ、あとは本人と血縁関係があるか、または許可を得る必要があるとも言ってたっけな」


「……それ、故人だった場合は難しくない?」


「それが問題なんだよ……。たまーに、この世を去る前に自分の名前を使ってもいいって許可を悪魔に言づけることがあるらしいけど……」


「あんまりないよね……。そもそも、そんな大魔法使いが生きてた頃は概念借用自体が知られてないから、許可していることすらないし」


 こうして二人が放課後にゆっくりと復習の時間が取れるのは、部活動の参加を先送りにしたからである。本来ならば、一週間のうちに部活見学を経て入部届を提出するのだが、ルシルたちは入部する部活を決めることができなかったため、そんな生徒に与えられる猶予期間を一ヶ月もらっている。


「校長は何が何でも部活に入ってほしいようだね」


「じゃないと、レティみたいに引きこもる生徒が出てくるからじゃない?」


「言うね……」


 ルシルの言葉を否定できず、スカーレットは少し悔しそうにしていた。



 * * * * *



 日が傾きかけ、橙に染まりかけている空の下。


 青々とした木々の合間を縫い、地に這いつくばる木の根を跳び越え、スカーレットは目標を追跡し続ける。


「ルシル、そっちに行った!」


「了解! 『静寂しじまの守り手、喧擾けんじょうの地に安寧を』……!」


 ルシルは口早に呪文を唱える。すると、青白い光が淡く広範囲に灯り、勢いよく飛び出した目標を石像の如く留めた。


「捕まえた?」


「うん! 月兎つきうさぎ! 目が金色になってるから間違いないよね」


 月兎は通常のウサギとは異なり、自然の魔力によって生態が変化した『魔幻種まげんしゅ』のひとつだ。魔幻種は魔術において重要な材料となり、ルシルたちは明日の魔術基礎の準備物を集めるために森を駆け回っていた。


「にしても、その制限魔法便利だね。拘束魔法じゃ、狙いを定められなくて足の速いウサギは捕まえられなかったよ」


「図書室で月兎を調べてたら、『捕まえるならこの魔法がオススメ!』って書いてあったんだ。結構効果範囲が広いみたい。レティにも教えようか?」


 制限魔法によって暴れることすらできない月兎の爪を採取しながら、「ああ、ぜひ」とスカーレットは答える。


「えーっと……あとは何だっけ?」


「ヒヨスの葉だから……植物園だね。早く行かないと閉まっちゃう」


 体育館に隣接する校庭を横切った先にある植物園に向かう道中、スカーレットが唐突に立ち止まり、ルシルはその背に衝突しかけた。


「レティ、どうし」


 その言葉はスカーレットが人差し指を自分の唇に当てる仕草で遮られた。静かに、と言葉を介さずに伝えられ、スカーレットに引っ張られるがままに岩陰に身を隠し、その指の示す前方をゆっくりと覗き込んだ。


 そこには黒い光沢のある鎧をまとい、しゃがみ込んでいる何者かがいた。かぶとに覆われたその顔は見えないが、魔法陣を展開しているようで、周囲の魔力がそこへ収束されていることが窺える。


「だ、誰……?」


 相手に聞こえないように声を絞り、ルシルは当惑を露わにして尋ねた。


「さあね。ただ、魔力の動きからして、あれが砲撃魔法あたりだろうことはわかる」


「砲撃!? じゃあ……」


「…………あれは敵だ」


 それは、本来あり得ないことだった。このフォルト島はアモル校長の大結界、すなわち不可侵結界の内側にある。〈宇宙のコエ〉の影響力すら遮断するこの大結界をすり抜け、あまつさえ警鐘が鳴らないということはアモル校長にも察知されていないことを意味する。


「ど、どうする?」


「……今ならまだ気づかれていない。魔力の集まりも遅いし、チャージまで五分かそこらはかかるはずだ。二手に分かれて校長を呼びに────」


 その瞬間、疾駆する何かがが草むらからスカーレット目がけて跳び出した。


「うっ!?」


 スカーレットが痛みに短く悲鳴をあげ、後方によろめいた。襲撃者はそそくさと逃亡するが、その団子のように小さな尻尾と一瞬見えた輝く金色の瞳は、紛れもなく月兎のものだった。


 先ほどの月兎がスカーレットへ爪を勝手に切られた恨みを晴らしに舞い戻ったのか、はたまた大気中の魔力が揺らいでいることに恐怖しての行動なのかはわからないが、ただ確実なのはあの鎧がこちらに気づいたということだ。


 鎧はその重量を感じさせない速度で距離を詰めるも、スカーレットがいち早くルシルの腕を引っ張り、全力で走り出す。


「ルシル、さっきの制限魔法だ! あれならあのスピードにも反応する!」


「うん!」


 ルシルは振り返って呪文を唱える。鎧との距離は十数メートルにまで迫っていた。


「『静寂の守り手、喧擾の地に安寧を』!」


 ………………。


 ……………………。



 ────発動しない。



「え!? なんで!?」



 ……今まで、魔法が発動しなかったことはなかったのに。



 不発となった原因がわからず、ルシルはただ呆然とすることしかできなかった。


 だが、その間にも鎧は腰に差していた奇妙な形の剣をさやから引き抜き、ルシルへ振り下ろす。


「砲撃を撃とうとしていたわりに、物理攻撃とはね!」


 不敵な笑みを作ったスカーレットはすぐさまルシルの腕を引き寄せて前に出、防御魔法を展開する────が。



 ……バキ、パリンッ!



 ガラスが砕けるように、いとも容易たやすく防御魔法は片刃の剣に破られ、スカーレットの笑みは崩れた。


「な……っ!?」


 防御魔法を物理攻撃で打ち破るなど起こりえない事態であったにもかかわらず、惑うことなくスカーレットは咄嗟とっさに爆炎魔法で剣を弾き、さらには防御魔法でその爆風からも身を守った。その判断の速さも、臨機応変に魔法を繰り出す器用さも、ルシルにはないものだった。


 鎧は爆風の中から抜けるために後退し、二人からほんの少しではあるが距離を取る。


 じり、と靴の下の砂利が妙に大きな音を立てたように聞こえる。


 防御魔法を簡単に破壊する相手に対して、ろくな攻撃魔法を持たない一年生に何ができるというのだろうか。


 せめて転移魔法があれば、とスカーレットは歯噛みした。たらればに意味がなくとも、そうするしかなかった。


 鎧は剣を鞘に収め、掌中からスカーレットたちに向かって魔法を撃ち出そうとしていた。おそらく、攻撃魔法の類を。


 なけなしの防御魔法を展開する二人だが、防げるという想像が揺らいでしまっている今となってはどんな魔法であっても砕かれてしまうだろう。


 やがて閃光がほとばしり、二人は衝撃を覚悟した────が、それはすんでのところで弾かれた。そう、『受け止める』方式の防御魔法ではなく、『弾く』方式の防御魔法が展開されたのだ。入学してから間もない一年生が使える魔法式ではない。


「あっぶな、危機一髪じゃん。無事?」


 悠々とそこに立っていたシーブルーの癖のない髪の少女が、二人の目には英雄のように見えた。灰色のシャツに、コバルトグリーンのネクタイを締めていることから、二年次の生徒であることが窺える。


「は、はい。何とか……!」


「ならよし。んで? なにあいつ、知り合い?」


 ルシルたちの安否確認をしながらも少女は連続で魔矢を発射し、鎧を決して近づけないように牽制けんせいしていた。


「侵入者ですよ、先輩」


「え、マジ? 校長の結界あるのに?」


 彼女は面食らったように目を見開いた。


「ロニー、敵さんとっ捕まえとこう。校長呼んどくから」


 そこへ知り合いであろう、垂れた眉にマゼンダのつり目が特徴的な少女が降り立った。その胸元にもコバルトグリーンのリボンが結ばれている。


 彼女は自身のローズレッドの髪を一本引き抜き、それを鳥に変化させて飛ばした。毛髪には微量ながら魔力が宿るため、それを触媒として魔法生物を精製したのだろう。


「そーだな。さすがに手の内の見えない奴と戦ってられる、か!」


 シアンの魔石の飾りが垂れ下がった短い杖を鎧へ向けると、魔矢によって誘導されていたそれは多重拘束魔法で身動きが封じられた。


「ロニーの拘束魔法強いからなー。大体は動けなくなるっしょ」


「おーおー、かけられ慣れてる奴の言うことは違うなァ?」


 少女が「褒めるなよー」と照れたように頬をき、「褒めてねーわ!」とツッコむ漫才のような二人のその光景を見、ルシルたちの緊迫感は緩和してきていた。


「……アレ? ちょいちょい、ロニー」


「あ?」


「動きそうだぜ、敵さん」


「うそぉ!?」


 鎧は拘束魔法を力任せに引き千切らんとし、その周囲に巻きついた光輪が悲鳴を上げていた。


「ネル! 校長は!」


「校長室にいないから植物園に飛んでるとこ! あと二、三分はかかる! ……逆を言えば、それまで持ちこたえればいいだけだよ、相棒?」


「鳥肌立つからそれやめろや!」


 杖を構える少女たちの後ろで、平凡な防御魔法と生活に役立つ魔法の他には、まともな攻撃魔法を持たないルシルたちはその攻防に身構えることしかできない。


「ロニー、このまま拘束魔法かけ続けて」


「いーけど、破られてかけてのループで魔力切れるんですけど」


「だーいじょぶ、こっちの準備までの辛抱だって」


 ロニーと呼ばれた少女は「ったく、簡単に言うわ」と悪態をきながらも、拘束魔法を途絶えることなくかけ続ける。鎧はその度に打ち破っているが、絶え間ない拘束魔法に動くことができず、膠着こうちゃく状態に入っていた。


「……『終末の呼び声、警笛を介さぬ愚者に焼き尽くす海を、改革の一手を。世界よ、回帰せよ』!」


 その呪文が唱えられた途端、鎧は勢いよく燃え上がった火柱に包まれ、視認することができなくなった。


「うわ、あっつ! そんな魔法隠し持ってたのかよ」


「使う機会なさすぎて忘れかけてたわ、これ」


 何か言いたげな、微妙な表情で相棒を見る少女だったが、徐々に弱まっていく火柱に釘づけになり、その面持ちは驚愕に塗り替えられた。


 ────鎧は焦げ跡すらなく、平然とそこに立っていた。


「えぇ!? これも効かんの!? しゃーなし…………切り札、呼ぶか」


「……使っていいわけ?」


「緊急事態でしょ、いいに決まってる」


 まばゆい光がその手に結集し、その片鱗を形作ろうとしていた、そのとき。


「おや、うちの寮生に何か用かな? 鎧君」


 再び緊迫した空気の漂い出したところへ、ルシルたちにとって聞き慣れた声が響いた。


 こんな状況においても悠然とした態度を崩すことなく、独特な存在感を放っているのは、リモだった。


 彼女はルシルたちへ安心させるように微笑みかけながら、鎧に手枷から首枷まであらゆる拘束具をかけた。


「大丈夫!? 怪我は!?」


 そしてフリージアが焦りと心配の入り混じった表情で駆け寄った。普段通りすぎるリモに違和感を覚えることもなかったが、フリージアのこの反応こそが普通だろう。


「私もルシルも怪我はないです。先輩方が助けてくれましたから」


「ぴす。ちょいギリでしたけども」


 緩んだサイドポニーテールを引き締めていた少女がピースサインで答えた。


「アモル校長に悟られずに侵入したことは称賛に値するが……ここまでだ。不法侵入罪で審統機関に引き渡す」


 鎧の首を締め上げる鎖には一切の慈悲がなく、空色の瞳が鋭く細められた。


「校長はすぐにでも到着しますんで、あとは校長に任せ────」


 鎧は拘束された状態であったはずが、足元に魔法陣が展開され、その姿がだんだんと霧に覆われるように薄まり、見えなくなっていく。


「逃げられる!」


「いや、逃がさないよ」


 スカーレットが叫ぶが、転移魔法で颯爽と現れたアモル校長が鎧へ真白の杖を振るい、鎧に樹木の枝が伸びる。


「…………悪いが、ここで撤退させてもらう。だが、再びこの地を襲撃する。忘れるな、これは宣戦布告だ……」


 鎧から発せられたというには明瞭すぎる声が聞こえたかと思えば、樹木は鎧に巻きつく寸前で一斉に断ち切られ、そのまま景色に溶けるように消えていった。


「アモル校長。まさかとは思いますが、今のは……」


「ああ、にわかには信じられないが、魔法遮断とは……。今のは遠隔で使われたようだが……」


 アモル校長はスカーレットたちへ目を向け、「全員、怪我はないね?」と確認する。


「はい、みんな無事です」


「そうか、それはよかった。……さっそくだが、あの鎧の人物を最初に見つけたのは?」


「はい。私と、ルシルで。……あの鎧、砲撃魔法を展開していました」


「ほう? 砲撃で校舎でも吹き飛ばすつもりだったのかな」


 自身の顎に手を当て、物騒なことをリモが言ってのける。


「あと、奴の持っていた片刃の剣に防御魔法が破られました」


「あー、鎧にも変な魔法? がかかってましたよ。無効化レベルの。拘束魔法は破るの時間かかってましたけど」


 それらの情報を耳に入れたリモ、アモルは目の色を変えた。


「鎧を見たとき、嫌な予感はしたんだが……」


「……スカーレット君、君が見たのはこれじゃないかな」


 アモルは杖をくるくると回し、先ほど鎧が所持していた剣を再現してみせた。


「……はい、その剣で間違いありません」


「あぁ、これは剣じゃなくて、刀というものだよ。東洋辺りでしかお目にかかれないものだ。……ということは、確定かな」


 リモがアモルに目配せし、彼はこくりと頷いた。


「彼が使用していたのは東洋の、ある国にのみ広まった古代魔法────『ネリヤ』だ」


「こっ、古代魔法!? 既に失われたと聞きましたが……!?」


 それを聞いた矢先、スカーレットが驚倒した。しかし、それもそのはず。古代魔法とは以前、スカーレットが語っていた古の魔法、夢の具現そのものだからだ。


「スカーレットの言う通り、あの魔法は封印したんじゃなかったかな、アモル校長?」


 いつの間にか敬語を外していたリモが首を傾げた。アモルの次に博識と自称していたが、近しい雰囲気をしている二人は仲が良いのかもしれない。


「うん、五十年くらい前にね」


 その発言を聞いたほぼ全員が、時間が止まったかのように固まった。アモルの外見はせいぜい二十代後半にしか見えないのだが……。


「その封印が解かれた可能性は?」


「ないよ。なにせ魔法とは対極にある『奇蹟』の力で封印されたんだ。使い手が死亡したとしても、その封印が解かれることはない」


 奇蹟。それは悪魔にとっての魔法であり、天使が用いるもの。そして、"約束"を交わした人間に気まぐれで貸し与えるものだ。


 "約束"とは、悪魔にとっての"契約"だ。欲しい力や物の対価として、相手の望むものを捧げるのだ。彼らから人間へ、人間から彼らへ。相互的同意がなければ、取り結ばれないものだ。


「何はともあれ、再度封印するしかない。あちらから攻めに来るのなら、こちらはホームグラウンドで待ち構えることとしよう。しばらくは厳戒態勢だ」


「校長先生。私もその作戦に参加させてください」


「はいはーい、私もー」


「ヴェロニカ君、コーネリア君……わかった。こちらからもぜひ、お願いするよ」


 少女はタイミングが被ったことに対して心底嫌そうに顔をしかめ、隣でニヤニヤと笑っている、コーネリアと呼ばれた少女を睨んでいる。


 スカーレットは心ここにあらずといった様子で、ルシルは思った以上に大事になった事態を戸惑いがちに静観するしかなかった。


「スカーレット君にルシル君も、入学して間もないというのに大役を負わせてしまってすまなかったね。今日はゆっくり休んで」


 二人は何も言わず────否、何も言えずにただ一礼した。





 その夜、寮に帰ってからもルシルとスカーレットは一言も話すことなくベッドで横になった。


 目をつむっても、脳裏には数時間前の出来事が駆け巡り、互いに自責と自己嫌悪を抱え、焦燥感に肺を焼かれていた。


 ルシルはスカーレットがいるのならどうとでもなると、無意識のうちに思い上がっていた。それ故に、攻撃魔法は初歩的なものしか知らなかった。


 スカーレットはあと少し先輩たちの到着が遅ければ、自分もルシルもここにはいなかったことを改めて思い知った。そのうえ、博識なだけでいざというときにルシルを守れない、研鑽の足りない己を恥じた。


 無力感にさいなまれ、安眠など許されない苦痛の夜はながく続いた。

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