第一章2 『命運を分つもの』

 体育館から蜘蛛くもの子を散らすように生徒たちが森へ駆け、教師たちは転移魔法でその監督に向かった。


 体育館に残っているのは猫の面をつけた少女と、西洋甲冑のかぶとを被っている少年という、異質な雰囲気を放つ二人だった。


「急いでいたとはいえ、もっとこう……それこそ魔法で隠せばよかったんじゃないかにゃ?」


「おまえと同じように、私が使えるのは魔法とは少し異なる体系だからな。そんな便利なことはできない」


 顔色が物理的に読めない二人は体育館を出、時間制限付きのレクリエーションに参加しているとは思えないゆったりとした足取りで森へ歩き出す。


「まさか顔見知りがいるとはな……おまえも同じ理由か?」


 少年は自身の頭にある、重量を感じさせる鋼鉄の兜をかんかん、と爪で叩いて少女の面を言外に示した。


「いや? ここに来る前にもらっただけにゃあ」


「『監視者』は目立つべきではないと思うが」


「君が言えたことかにゃー」


 そう言い返されると、少年は反論できないとばかりに黙り込む。


「そもそも私がいるのに、君まで送り込まれたのは何でかにゃあ? 直属ではないにしろ、同じ陣営で監視者を別々に用意する意味があるのかにゃ」


「私はおまえの監視だ。三千年前にやらかしたことを忘れたとは言わせないぞ」


 少年が兜の隙間から少女を睨みつける。が、少女は意に介さないと言わんばかりに頭の後ろで腕を組んだ。


「まだ言ってるにゃ? 私の助けがなかったら危なかったのは、むしろそっちの方じゃないかにゃあ?」


「主の許可なく権限を行使するなと」


「……お、こっちかにゃ」


 ぴょこぴょこ、と少女の耳──顔の横ではなく、頭にある猫の耳──が何かに反応し、少年の言葉を遮って彼女は近くの木に猫と見紛うほど素早く登った。


「おい、人の話を」


「じゃーん。発見だにゃ」


 その手には梔子色の鍵が二本握られていた。その二本ともに『二〇三』と刻印されている。


「おまえの寮か?」


「いや、違うにゃあ。ま、トレードなりなんなりには使えるにゃ」


「同じところに二本あるとはな。雑じゃないか?」


「…………誰かに見つけてもらうためかにゃあ」


 二本の鍵をゆらゆらと陽に透かす少女を見やり、「不確実極まりないな」と吐き捨てた。


としたら?」


「……あぁ、なるほど。あいつはのか。なおさら、欲しい人材だな」


 彼女が鍵をポケットにしまうと、少女の猫の耳が再び動いた。


「あとはあっちにゃ」


 そう言って、少女が振り向いたのは森と正反対の方向だ。


「ハクリ、自分の鍵はいいのか?」


「まだ時間はあるし、私は見たいものがあるからにゃ。ロビデは鍵探し、頑張るにゃ~」


 ハクリはひらひら、と軽薄に後ろ手を振ってロビデと別れた。


 ロビデは悩ましげに瞳を閉じ、数秒の間を置いてまぶたを開け、視覚情報の収集を再開する。


「……少しの間なら問題ないか。早く鍵を見つけねば……」



 * * * * *



「さて、僕たちも鍵を探しに行かないと」


 少年の春暉しゅんきを反射させる金糸のような滑らかな髪、その隙間から垣間かいま見える落ち着いた深緑の瞳からは思慮深さが感じられる。服装が違えば、彼を王子と信じて疑わないほどの威厳と高貴な雰囲気があった。


『一人部屋? もちろん、一人部屋よね?』


 姿形はなく、ただ芯がありながらも可愛らしい声だけが空気を震わせ、耳朶を打つ。


「ヴィア、僕は見聞を広めるために来たんだ。交流を深めるには同室になるのが一番だろ?」


「アタシと話してくれる時間が減るじゃない!」


 少年の足下で蕾が花開くように、その肉体は構成されていく。肉体はいずれ蜂蜜色の艶やかな毛並みを纏う犬の姿をとった。


「いつも話してるじゃないか」


「でもどこの馬の骨と知らない奴と一緒なんでしょ、卒業するまで!」


「同性もだめなのか……」


「だって、三人組の中で二人が付き合いだしちゃったら、残った一人は二人に遠慮して距離を置いて疎遠になっていくじゃない」


「僕は誰とも付き合うことはないし、その知識は恋愛小説の受け売りだな?」


「ともかく、イヤ!」


 拗ねてそっぽを向いてしまったヴィアを見やり、「困ったな」と少年は呟く。


「……つまり、君のお眼鏡に適うような人ならいいってことだね?」


「もしもそんな奴がいるのならね!」


「きっと見つけてみせるさ。だから心配しないでくれ」


 ヴィアの頭を撫でると、彼女はもっと撫でろと少年の掌に頭を押しつけた。





「おおおおん!! さっぱり! 見つからねぇ! えこれ見つからなかったらどうなんの!? 退学!? あ退学かもやべぇ終わった死んだ神は死んだ、おれも死んだ!」


 魔力を目印にして、歩き続けていたアルフレッドは、青々と生い茂った草木の中心で鬱々と頭を抱え、ぶつぶつと独り言つ少年を見つけた。


「……アルフィー、あれは放っておいた方がいいわよ」


 ヴィアが遠巻きに少年を見なかったことにして通り過ぎようとしているが、彼女に愛称で呼ばれたアルフレッドは「同じ寮かもしれないよ」と少年に歩み寄る。ヴィアが「もー」と不満を露わにするものの、アルフレッドへついていく。


「大丈夫? 何かあった?」


「いや……何もないんだ……」


 先ほどの賑やかさはどこへやら、暗雲を背負った少年の目は既に光を失っている。


「ああ、鍵のことか。僕もまだ見つけていないんだ。よかったら一緒に探さない?」


「い、いいのか!? か、神はここにいたんだな……!」


 面白いほどにみるみると少年は元気を取り戻していった。落ち込みやすく、立ち直りが早いたちなのだろう。


「君はどの寮になったの?」


「あ~、何だったっけ……瑠璃るり色の……」


「なら、僕と同じスペルイド寮か」


「おぉー、一緒だ! 早速探しに行こうぜ!」


 スキップでも始めそうな勢いで先行する少年からヴィアに視線を向けると、彼女は鼻を鳴らして先へ歩いていった。「仕方ないわね、そいつで勘弁してあげるわよ」ということだろう。


「そういえば、あの犬っておまえの使い魔? かなんか?」


「…………君、悪魔が見えるのか」


「え、あの犬が!? 悪魔!?」


 悪魔を視認できる者は限られている。悪魔と契約している者はもちろん、その素質がある者にも見えると言われている。


 ヴィアが彼を許容したのは、彼自身が悪魔と何かしらの繋がり、あるいは因果があったから、という理由も少なからずはあったのだろうか。


「魔法学校なんだから悪魔なんて珍しくないでしょうに。……いい? この先、アンタは苦労するだろうからアルフィーに助けてもらったっていいけど、アタシとのお話を邪魔したら容赦しないわよ!」


 ヴィアは『多少は』の部分を強調して彼に言い放った。しかし──。


「そのアルフィーって呼び方、友だちっぽくていいな! おれも呼んでいい?」


「うん、ぜひとも」


 ヴィアの釘は彼にさっぱり刺さっていないのだった。


「こら! 人の話を聞きなさいよ!」


「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕はアルフレッド・ヴィア・バスカヴィル。彼女はヴィア。僕と契約してくれている悪魔だ」


「アルフィーまでー!」


「おれはラヴィル! ヴィルカって呼んでくれ!」


 そう呼ばれるの楽しみにしてたんだ~、とご機嫌に彼は言った。


「あまり聞かない名前の響きだな……どこから来たんだ?」


「リンドレミルドのいっちばん北から来たんだ。つっても、親がいねぇからおれがそこで生まれたのかはわかんねーけど」


「…………話したくないことなら、僕は無理に聞かないよ」


 数千年前から〈宇宙からのコエ〉に脅かされてきた上、見えない脅威たる病が人類を板挟みにしているのが現状だ。目の前で命が零れ落ちていく喪失感を、死にゆく者を看取ることしかできない無力感を誰しもが経験しうる。


「あー、いや。そんな重い話じゃなくてさ、おれを拾って雇ってくれた人もいるわけだし。…………おれは全然運が良かった。さ~っぱり、魔法は使えないし? 魔力ってやつも感じないけどな!」


 ラヴィルは諦念のにじんだ笑顔で笑い飛ばした。本人はああ言っているが、充分に壮絶な身の上だ。


「だからあんなに落ち込んでたのか」


「そーそー。アルフィーはわかんの? 魔力的ななんか」


「うん。なんて言えばいいだろうな……白いキャンバスの上に絵の具が垂れているような……慣れないうちは目をつむって意識を集中させてみるといいよ。僕もそうしていたから」


「おぉ、それっぽい! よっしゃ、チャレンジチャレンジ」


 ラヴィルが瞑目めいもくし、両の腕の親指と人差指をそれぞれ合わせた。独特な精神統一のポーズだ。


「ふぉぉぉ~……!」


「こいつ、これから大丈夫かしら」


「さあ、それはヴィルカ次第だから」


 かっ、と開眼したラヴィルは「あっちの気がする!」と指し示しながら早歩きで進んでいく。


「そっちもあながち間違いじゃないでしょうけど、激戦区だからやめておきなさい」


「えっ、違うの!?」


「鍵はないだろうね。別のものはありそうだけど……今から対策するのも悪くないし、あっちに行こうか?」


 ラヴィルが向かおうとしていた方角からは閃光や衝撃音が絶え間なく聞こえる。上級生たちが過去問の争奪戦を繰り広げているのだろう。


「いや……まずは鍵の方だよな、うん」


「近くにある鍵はこっちかな」


 ラヴィルは卑屈になることなく、子どものような穢れのない純真な心がある。彼の今までの人生を察するに、ここまでまっすぐに成長したのはラヴィルの生来のものなのだろう。


 アルフレッドは、幸運な出会いを引き当てたようだ。



 * * * * *



 足音を立てることなく静かに悠然と森を歩く少女がいた。夜空を切り取った長い髪の少女は、ふと何かに呼ばれたように顔を上げた。


 数秒後に空から現れたのは、一羽の鳥だった。その鳥はくちばしにきらりと日光にきらめくものをくわえていた。


 少女が掌をわんの形にすると、鳥がその手中に咥えていた鍵を落とした。


「ありがとう」


 儚く繊細な言葉が紡がれ、鳥は飛び去っていった。


 その手にある鍵には、『一〇一』と刻印されていた。


「竜胆色……メランヴム寮ね」


 鍵を握り締め、いち早く少女は校舎へ戻る。


 色の欠落した無垢なる少女からはか細く、しかし確かな魔力がうごめいていた。



 * * * * *



 森の深奥。一面が緑で覆われた人っこひとりいない場所で、マノン・アークトゥルスは途方に暮れて空を見上げていた。


「どーしよ。ここまで突っ走ってきたけど……」


「だーれもいない……ねぇ……」


 森林よりも明るい浅緑の瞳を泳がせ、マノンは困り果てた。頼りにしていた少女は、マノンに背負われたまま、目を開けてすらいない。


「誰もいない奥の方から手前にローラー作戦だったけど、あんたが探ってくれなきゃ作戦になんないでしょ……」


「ねむい……自分で探して……」


「魔力探知苦手なんだってば!」


「……南西、にある~……でっかい木のいっちばん上」


 寝言かと疑うほど、けれども寝言と断じるには意味のある言葉が溢れた。


「そっちにあるの?」


「……ぐぅ」


 既に意識を手放した少女に向かって「寝るな!!」と大声を浴びせるも、起きる気配はない。


「南西のでかい木……?」


 その方角には確かに木がある。ただ、一番上はどう低く見積もっても、地上から十メートルはある。


「……うーそでしょ」


 転移魔法か、召喚魔法による飛行生物を召喚するか。


 魔法でも、魔術でも、人の数だけ方法はあるだろうが、彼女がとったのは原始的かつ力技だった。


 背負っていた少女を下ろし、クラウチングスタートの姿勢を作る。


「……せいっ!」


 そのまま、上空へ跳躍した。人間の限界を優に超えた動きだ。


 肩口で切り揃えた花緑青の髪を乱し、辺りを眺望できる大木の頂点に至ったマノンは景色もほどほどに、青葉をき分ける。


「ら、ラウー! あったー!!」


「……んぅ? わたしそう言ったじゃ~ん」


 高所から躊躇ためらうことなく飛び下りた少女は満面の笑みで一本の鍵をラウこと、クラウディア・エスポジート・ドゥーべに見せた。


「……喜んでるところ悪いんだけど~」


「ん?」


「それ、ラクスリア寮の。わたしらはスロウディア。杜若カキツバタ色……えっと、紫のやつ」


 目を擦りながら、淡々と答える。


 槿花ムクゲ色、すなわち桃色の鍵を手にしたマノンは長い息を吐いた。


「木の上って言ったじゃん!」


「あるとは言ったけど、どの寮かなんてわかんないよ。マノンが見ればいいでしょ」


「ここから!? 透過魔法使えってか、高位魔法じゃろがい!」


「今みたいにジャンプすれば?」


「さすがに疲れるわ〜!」


 文句を垂れつつ、彼女の枝毛ひとつない綺麗なアクアブルーの長い髪を後ろに流してやった。そんな言い合いの末に、クラウディアはうとうとと船を漕ぎ始める。


「まだ寝るなー! こうなったらダッシュで近くの探しに行くから! どっちにある!?」


「……ひ~がし?」


「よっしゃ、行くよ~!」


 同性の中でも軽いクラウディアを背負い直し、マノンは振り落とさないように気をつけて駆け出した。



 * * * * *



 体育館から飛び出していった生徒たちに釣られる形で森の入口に来たルシルとスカーレットだったが、上級生は当然のように飛行魔法を使い、新入生は瞬時に移動できる魔法はまだ習得していないからこそ、足で勝負しようと走り出した。新入生は団子状態で森に分け入ってしまい、入口近辺にある鍵は込められている魔力量にもよるだろうが、大抵は回収されてしまったはずだ。


「私たちは足に自信がないからね。なら、作戦でも練って鍵を手に入れる方がしょうに合っている」


「作戦かぁ。取り零しの鍵を見つけるとか?」


「それもありだけど、残りものの中にアヴェリード寮があるかは怪しいところだから────校長先生が提示したヒントから、作戦を立てようじゃないか」


 悪戯っ子よろしく悪い笑顔を浮かべるスカーレットを見、心底楽しそうだとルシルは安心した。


「誰かからトレードしてもらうとか?」


「まあ、こちらが鍵を持っていたらそうするんだけど、現状所持してないからね。見つけてから残りものでトレードするにも、二人部屋の鍵が揃う確率なんて低いだろうし……」


 スカーレットの言う『ヒント』がわからず、ルシルは「うーん」と唸る。


「…………。ルーシーならわかるだろう?」


 スカーレットのしそうなこと。


 脳内でその言葉を反芻はんすうする。


 故郷からフォルト島へ転移し、体育館で寮を決め、入学レクリエーションが開始するまでの間。


「……あ! 試金石に込めた魔力! 鍵に込められてる魔力がそれぞれの寮に対応してて、アヴェリード寮の鍵にはその寮の生徒の魔力パターンと近しくなってる。つまり、試金石が選別する魔力パターンさえわかれば」


「アヴェリード寮の鍵のある場所がおのずとわかる」


 顔を見合わせた二人が答え合わせをした。


 この作戦に必要なことは、アヴェリード寮に選別される魔力パターンを調べること。そのためには試金石が必要になる。


「体育館に取りに行こう!」


「と、いうことになるだろうと思って、持ってきておいたよ」


 スカーレットの制服のポケットから出てきたのは試金石に間違いない。間違いないのだが────。


「……レティ。これ、借りてきたわけじゃないよね」


 ずっと一緒にいたが、スカーレットが教師に確認を取っている様子を見ていない。


「………………」


 けろりとした様子でスカーレットは試金石に魔力を込め、解析を始めた。


「レーティー?」


「返すんだから問題ないってば」


「許可は取ろうよ! 試金石は高価だって言ってたのレティだよ?」


「わかった、わかったから! 解析も終わったし、すぐに返すよ」


 ルシルが注意している間に解析を終わらせるとは。スカーレットの凄さに感心したいのだが、その行動はめられたものではないのである。


「……んん?」


「え、どうしたの?」


 急にスカーレットが首を捻り、訝いぶかしげに表情を曇らせた。


「アヴェリード寮の魔力パターンを探知していたんだけど…………校舎に二つある」


「予備とかじゃない?」


「わざわざ生徒に探させない予備の鍵にも魔力を込めておくかな……」


「まあ、確かに……? あ、生徒が鍵を見つけたら自室で荷解きしてていいって話だったけど、もう戻った生徒がいるとか?」


「それでも、寮じゃなく校舎に行くのはおかしい……」


 おもむろに振り返るスカーレット。それにならい、ルシルも同じ行動をとる。


「校舎じゃない……? 反応から言えば、ここから近い」


「レティ、気になってるよね」


 にっ、と歯を見せて笑うスカーレットに、ルシルは同じ笑顔を返した。


 気になることはとことん調べる。それがふたりの不文律だった。





 体育館の裏手で、スカーレットはぺたぺたと石壁を触っていた。


「レティ、なにしてるの?」


「この辺りだけ、色が違うんだけど……ふむ」


 言われてみれば、スカーレットが探っている石壁は周囲よりも明るい色をしている。


 しばらくして、スカーレットは少し凹んでいる部分があることに気がついた。その石だけが、動きそうな手応えを感じる。


「ルーシー、ちょっとこれを引っ張るの手伝って」


「うん!」


 手がかりを見つけ、意気軒昂としてスカーレットに手を貸すルシル。


 石壁に見せかけた扉はずずず、と重々しい音を立てて開いた。その扉の先には、螺旋らせん階段が下へ下へと伸びていた。


「魔法学校で隠し扉とは盲点だったな」


「鍵はこの下?」


「鍵というより、鍵を持っている人がいるだろうね。今も動いているから」


 ルシルは子どもでも使える発光魔法を灯し、先導して階段を下りた。


「まさか地下があるなんてね。案内図にはなかったのに」


「今更なんだけど、ここに来ちゃってよかったのかな……」


「私に見つからないように作らないのが悪いね」


 隠し扉を作った者も入学早々に見つけられるとは思いもしなかっただろう。そもそも体育館の裏手など、誰も近づきはしない。スカーレットとルシル以外は。


 二人が横並びして少し余裕がある程度の道は石畳が敷かれ、整備されていた。何かに使われていたが、今は使われていない、そんな道だ。


「そこそこ歩いたけど、何もないね」


「この分だと校舎の真下くらいには来たな……」


 引き返そうか、と声をかけるより前に二人はその身長を遥かに超えた、艶々しい木扉と対面した。その左右には曲線の廊下が広がっている。この正面の木扉以外にも出入口があるのだろう。


「……開ける?」


「ここまで来たら」


 スカーレットは笑いかける。ルシルはだよね、と諦め半分、納得半分で両開きの扉を押し開けた。


「…………これは────?」


 スカーレットが未知なるものを発見したときの当惑と恐怖を綯交ないまぜた声を漏らした。ルシルも声を上げることができないほどの衝撃が走った。


 眼前には、巨大な体躯の獣が横たわっていた。既に息はないのか、ぴくりとも動かない。


「なんで……こんな誰もいないところに…………?」


 そこは聖堂や教会といった様相をしていた。悪魔の行使する魔法を勉強する学び舎の地下にある場所にしてはおかしいが、この獣の安置所にはうってつけだと思えた。


 しかし、誰がこんな地下深くに眠る獣の安息を祈るというのだろう。一体何人が、この獣のことを知っているのだろう。


「……ルシル、今すぐここを離れよう」


 緊迫した面持ちでスカーレットはルシルの肩を掴んだ。この獣に関わってはいけない。と、本能が警鐘を鳴らしている。


「────こんなところで何してるにゃ?」


 真横から発せられた音を認識し、それまではなかった気配にスカーレットは驚愕する。


 その気配はぴこぴこと動く猫の耳を持った少女だった。左側に猫の面をつけており、黒の三つ編みが首を傾げた拍子に胸元で揺れる。彼女が着ている灰のシャツとコバルトブルーのネクタイから二年生であることが窺えた。


「……いえいえ、ちょーっと迷い込んでしまいまして」


 獣から圧倒的な威圧感と恐怖を受け続けているスカーレットは動揺のあまり、地下にいる理由としては弱い言い訳が口をいた。


「こんな地下に迷い込むとは思えないけどにゃあ」


 苦しい言い訳はすぐさま看破されたが、「ま、別にいいけどにゃ」と少女はさほど気にしていない様子で銀色の瞳を細めて笑う。


「それより、鐘が鳴るまでもう時間がにゃいけど、戻らなくていいのかにゃ?」


「そ、そんなに経ってたんですか……!?」


 地下に潜って陽の光も見えず、変わり映えのしない平坦な道を歩いていたこともあり、時間感覚が狂ってしまったのだろう。


 スカーレットの手を取り、「早く鍵を探さなきゃ!」と地上へ戻ろうとした。


「ああ、鍵が見つかってにゃいなら、これあげるにゃ」


 少女が何気なくポケットから取り出した何かを放り投げた。


「わっ……っとっと……あれ!? これって」


 無事キャッチした掌には梔子色の鍵が二本。どちらにも『二〇三』と刻まれている。スカーレットが探知した魔力反応はこれだったのだ。


「拾ったんだけど、私の寮じゃにゃくてにゃ~」


「あ、ありがとうございます!」


 ルシルたちは頭を上げ、逃げるようにその場を後にした。


「…………ここはもっと厳重にした方がいいにゃあ」


 物怖じせず、獣を見据える瞳に映る感情を知ることは叶わない。





 螺旋階段を駆け上がり、陽射しの下で息を整えた。


「はぁ~、びっくりした。誰だったんだろう、鍵もらっちゃったけど……」


 掌に握りしめた鍵から目を離し、スカーレットを見る。その顔色はあまり良くない。


「レティ!? 大丈夫!?」


「あぁ……寝不足で走ったからかな。放っておけば治るさ」


 その理由が寝不足だけではない気がしたが、スカーレットがそう言うのだから深掘りするのはやめておいた。


 ゴーン、ゴーン……。


 入学レクリエーションの終了を告げる鐘の音が鳴り響いた。


「さ、体育館に戻ろう。いい作戦だったけど、あんまり役に立たなかったな」


 空元気だということは生まれてこのかた傍にいたルシルの目からは明らかだったが、一抹の不安を胸に「うん」と頷いた。



 * * * * *



「げ、コーネリアじゃん。どーよ、鍵」


 鐘の鳴る半刻前。


 少女が歩きながら無造作に伸ばしたシーブルーの髪を手櫛で整え、余裕綽々と適当な岩に座っているコーネリア・ガルシアに声をかけた。


「よゆー」


 両手の人差指で鍵を器用に回しているコーネリアは腹が立つほどの笑顔を作っていた。だが、その顔以上に回している鍵の本数が異常だった。


「何本持ってんだよ」


「ちょうど十」


「お前の寮じゃないのも混ざってるけど、トレード目的?」


「おん。交換してもらおっかなァ」


 腹の立つ笑顔は、瞬時に悪巧みに心躍らせる黒い笑みに様変わりする。


 思うに、昼飯を奢らせるだとか、自分に都合のいいように人を使うために集めたのだろう。その相も変わらないやり口に、「エグ……」とシアンの瞳を歪ませた。


 コーネリアが岩の上から軽快にジャンプしたとき、編み込まれたローズレッドのサイドポニーテールも跳ねた。


「ロニーってどこ寮だっけ?」


「ちょっと、お前と仲良しなんて思われたくないし、ふつーにヴェロニカって呼べや」


 不機嫌を隠そうともせずに、愛称で呼ばれたヴェロニカ・ロペスは突っぱねる。わざとらしく、「えーん、反抗期~」と噓泣きをするコーネリアを尻目に、どう殺してやろうかと思考を巡らせる。


「誠に残念ながら、お前と同じイリニティ寮」


 不服を隠そうともせず、ヴェロニカは牡丹ボタン色の鍵を見せてやった。


「一人部屋~? つまんなくない?」


「誰かさんのお守はごめんだし」


「…………じゃあさァ、同室の子で退屈しのぎは?」


 十本あるうちの『一〇七』と刻印された二本を、ヴェロニカへちらつかせる。


「……いーじゃん。そいつらにお前の世話おっかぶせて高みの見物してるわ」


 一方をヴェロニカが掴み取ると、コーネリアは八重歯を剥いて凶悪に笑った。



 * * * * *



「ふー。監督しゅーりょーっ」


 アミィは両腕を上に伸ばし魔力感応テレパシーを始める。


『こちらアミィでーす。北東に鍵の残りなしっ』


 アモルから監督を任せられた悪魔は、こうしてそれぞれが報告を行う。


『こちらムルムル。南西も鍵なしだよ。ちな、過去問班はどう?』


 入学レクリエーションでは鍵を隠し、その後怪我人が出ないよう見守り役を与えられた鍵班。そして過去問を魔法を用いて巧妙に覆い隠し、攻撃魔法を行使された際の防御魔法の展開などの安全策を講じる過去問班に分かれていた。


『総括監督者のバエル兄ちゃんから最終結果を発表するぞー。主要五教科のうち、三教科をスペルイド寮────っつーか、寮長のアドルフがかっさらってったな。いやー、さすが俺の契約者だぜ』


『出たよ、自慢話……』


 ムルムルはうんざりした声音でぼやいた。アミィ自身も、既にこの手の話は百回以上は聞いた。


『残りはアヴェリードとメイルリアが奪取。あと珍しいことにラクスリア寮が選択教科だけど、一番人気の魔術論を獲得』


『えー、ラクスリアが? 今年は常識人いるんだ』


 感嘆の声を上げたムルムルは、『ていうか、そのお兄ちゃんぶるのいつまでやんの』と不満を漏らす。


『アモルと契約したのは俺が一番最初だろー?』


 ザザ、と通信に割り込んだ音がした。それはバエルの持論でいけば、長女となるガミジンだ。


『ちょっと、お兄ちゃん談義はおいといて。傷病者ゼロ、残りの鍵もゼロってアモルに報告しといてよ、?』


『都合のいいときばっかり……! だがしかし、それでもいい!』


 ガミジンは辛辣にも『うーわ、キモ』と吐き捨ててぶつり、と通信を切った。


「……ルシルたち、あの鍵気づいてくれたかな」


 アモルから何か所かわかりやすいところに鍵を隠すよう指示があり、それにはアヴェリード寮の二人部屋の鍵二本も含まれていた。


「ま、大丈夫だよねっ。あの二人なら」


 悪魔といえど────否、悪魔だからこそかもしれないが、関わった人間に愛着が湧くものだ。


 と、他の悪魔たちに話してみたところ、「それはお前だけだ」と笑われた。解せない。

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