第一章1 『春、はじまりの鐘』

「あっ。あなたが迎えの……?」


 彼方に遠のきかけていた意識を取り戻し、ルシルは絞り出すように訊く。


「そう! アミィだよっ」


「今のは転移魔法? それとも物質変化? いや、物質変化だと私が持っている銀貨にも変化していることになるか……あ、分裂した上で物質変化しているのなら可能だけど────」


「正解はその銀貨を触媒に簡易召喚されてまーす」


「簡易召喚!? つまり、君は使い魔か!」


「レティ、待って待って。今は抑えて、ね!」


 ルシルが矢継ぎ早に質問するスカーレットを落ち着かせ、アミィと名乗った少女は説明する。


「アミィはばれたら入学資格証を持っている子たちを転移魔法で連れてきてって頼まれたの。というわけで、はい! 資格証をご提示くださーい」


「頼まれた……というのは校長のことかな?」


 エンヴィディア魔法学校に入学することができる魔法の腕がある者に送られる黒い封筒。そのなかに入学資格証はあった。それを見せながら、隙をついてスカーレットが問いかける。


「そそっ。まあ、校長の使い魔というか、古馴染みだから喚ばれれば手を貸したげる感じだけどね。……はい、確認しましたー」


 親指と人差し指で丸をつくるアミィの足元で、幾何学きかがく的な魔法陣が展開される。


「じゃっ、いざ行かん! 『人類最後の砦』、フォルト島へ!」


 アミィがぱちんと指を鳴らすと、一瞬にして風景が変わった。


「えっ……ええぇぇー!?」


 自然豊かな木々に覆われるように、その城────エンヴィディア魔法学校はそびえ立っていた。さらにその城のような趣のある建物を囲むのは八つの塔の如き寄宿舎。それらが立ち並ぶ、堅牢な玄関口に私たちはいた。


「無詠唱で転移魔法!? それもあの距離を!? ちょっとちょっと、凄いな!」


 スカーレットがアミィの手を取り、ぶんぶんと振って感激した。


「えへへへ。この程度、お茶の子さいさいなんだから!」


 照れくさいのか、アミィは人差し指で鼻を擦った。


「さて! アミィの仕事はおーしまい! じゃあね~」


 紅蓮の炎が揺らめき、アミィは煙のように姿を消した。


「魔法で召喚され、魔法で消えたな……。転移魔法……いつか使ってみたいものだ」


「レティなら、きっとすぐに使えるようになるよ」


 二人は世界有数の魔法学校の荘厳な門扉を、それぞれの決意を持って潜り抜けた。


 ひとりは、一度は諦めた幼馴染の隣に立ち続けるために。


 ひとりは、確定された未来を覆すために。



 * * * * *



 エンヴィディア魔法学校の校長室。


 そこには極光オーロラのような青緑の美しい髪を持つ青年と、丸みのある耳と猫のような体躯を持つ獣が窓の外を眺めていた。


 今まさに門扉を通った新入生の少女ふたりの姿を見やり、獣が声を上げる。


「今年は色物揃いだな! いや、毎年か?」


「いいだろう? 色々な個性があって」


「だな、手札はあるに越したことねぇ。…………本命は遅れるんだったか?」


「ああ。あちらが手こずっているようでね。でも刻限には間に合うはずだよ」


「ならいいんだがな。六千年の節目だ。何が起こるかわからないぜ?」


 短い前足を組み、警告するような声音で獣は言う。


「大丈夫さ。うちの生徒たちは皆、優秀だ。それに、何かあれば僕が必ず守る」


「おいおい、お前に死なれるとさすがに困るぞ。……そろそろ体育館に移動しないと間に合わないんじゃないか?」


「おっと、本当だ。急がないとどやされてしまうね」


「ははは、校長が遅れるなんて前代未聞だな。……ん?」


 獣の目に止まったのは、人ひとりを背負って全力疾走する少女だ。驚くべきことに、その速度は何のハンデもなく走っているのと何の遜色もない。むしろ、速すぎるほどだ。


「あっちにも遅刻寸前の奴らがいるな……」


「彼女たちに負けないようにしないとだね」


「お前は転移すれば一瞬だろ」


 呆れた表情をする獣に、「まあね」と返しておきながらも青年は自分の足で体育館へ向かった。



 * * * * *



 同封されていた校内図を見ながら体育館へと歩を進めるなか、スカーレットは興味津々といった様子で度々立ち止まった。ルシルがそんな彼女を引っ張りつつ進んでいくと、渡り廊下の先から体育館の入口がこちらを覗いていた。


「ふー、どうにか迷わないでこれたね」


「本当に広いな、ここは。……ん?」


 スカーレットは入口の左右に置かれた西洋甲冑を交互に見やった。その左手の西洋甲冑には何故か頭部がなかった。


「首無し騎士……ってやつかな?」


「こ、怖いこと言わないでよ~……」


 体育館内には既に大勢の生徒が集まっていた。前列から三年次、二年次、一年次と並んでいるようで、後方は少し浮き足立った様子だ。


「新入生の子はこっちに並んでくださいね~」


 体育館に足を踏み入れたとき、前方から緩くウェーブのかかった明るい茶髪の女性に声をかけられた。白衣を着た姿から察するに養護教諭だろうか。


 目の前には一年次の証であるホリゾンブルーのネクタイやリボンを結んだ生徒が数人並んでいた。


「そういえば、入学式の前に寮分けをするって予定表に書いてあったね」


「さてはて、どの寮になることやら」


 互いに同じ寮がいいと思っているだろうが、口には出さない。幼い時分からの仲ともなると、ある程度のことは何となく理解できるようになった。


 順番が進み、ルシルたちが先頭になる。テーブルの上に置かれていたのは不透明の白石だった。


「それでは、こちらに魔力を込めてくださいね~」


 どうやらこれは『試金石』と呼ばれる魔石の一種のようだった。あらかじめ分類魔法をかけた魔石に対象の魔力を込めると、対象が自動的にり分けられるという代物だ。


 試金石を掌に乗せ、そこから魔力を伝えていく。じわじわ、と試金石が微かに熱を持っていく感覚があった。


 隣のスカーレットは既に魔力が浸透したらしく、段々とその魔石は花が咲くようにように染まっていった。


梔子クチナシ色ですね~。あなたはアヴェリード寮になります」


 そんな声が右から左に流れていった。今のルシルの脳内を占めるのはスカーレットの掌に乗った色だけだ。連想されるのはマリーゴールド、オレンジ、そして────生まれて初めて見た、ルシルにとっての原初の魔法。





 齢五つか六つのルシルとスカーレットは森で遊ぶのが好きだった。


「れ、レティ、もう結界こえちゃったんじゃない……?」


「そうかも……。だ、大丈夫だよ! おばあちゃんからこーげきまほうおしえてもらってるから、ね?」


 魔獣の侵入を防ぐ結界の範囲外に出た森で迷ってしまった私たちは徐々に日が暮れ、視界が悪くなっていくことに焦りを感じ始めていた。


 いつ、どこから魔獣が襲いかかってくるともしれないのだ。いよいよルシルが泣き出しかけていたそのとき。


 一寸先すら不確かな暗闇のなか、スカーレットは弱々しいながらも辺りを照らす柔らかな光を灯した。


 その光に導かれるようにルシルたちは歩き出し、今まで迷っていたとは思えないほど簡単に村へ戻った。両親にはこっぴどく叱られたものの、魔法への関心が高まったのはきっとこの出来事があったからだ。





 あの日の灯火を想起したルシルの掌には、梔子色に輝く魔石があった。


「二人ともアヴェリード寮ね。はい、これが寮章。紛失したら寮に入れなくなるから、注意してね~」


 そう言って手渡された金のピンバッジには博士帽を被った狐が意匠デザインされていた。


 寮章を胸元につけたスカーレットが「当然の結果だね」と胸を張って言った。誇らしげであり、嬉しげであった。


「うん、良かった!」


 煩雑はんざつとした列の中に混ざり、しばらくすると照明がステージ上に絞られた。それを合図に、皆が静まり返った。


「これより、第二六四七回入学式を開会する。一同、礼!」


 威厳ある声が響き渡り、体育館中に緊張感が走った。壇上に立つのは強面の男性教諭。オールバックにした髪型はワックスで固定されているようで、少しのズレも許さないと言わんばかりだ。


「では、校長よりご挨拶を……校長? アモル校長?」


 教師陣が一列に並んだその中に校長の姿がないらしく、教師たちは動揺する者、呆れた表情で頭を押さえる者とに分かれた。


「校長先生、遅刻かな……」


「…………いや。多分そろそろ現れるよ」


 何か、ルシルにはわからない根拠があるのだろう。スカーレットはそう予言した。


「私はここさ、グリュック」


 スカーレットの予言通り、校長先生は眩い緑光とともに壇上に姿を見せるのだった。


「校長! 遅刻かと思いましたよ……!」


「あぁ、それはすまなかったね。けど、普通に登壇しても芸がないだろう?」


「そういうことでは……コホン。それでは、アモル校長。お願いします」


 彼は咳払いを挟んで今のやりとりをなかったことにし、校長へとバトンを渡して降壇していった。


「改めまして、私がエンヴィディア魔法学校長のアモルだ。君たちが入学してくれて嬉しく思っているよ。世界中から集結した、やがて偉大なる魔法使いになる君たちは、全人類の希望だ」


 校長先生は壇上から体育館に集った生徒全体を見渡した。ルシルは改めて背筋を伸ばし、話に聞き入る。


「ご存知の通り、いま現在我々は空の彼方より侵略を受けている」


 歓迎の声はすぐに謹厳なものに変わり、校長先生は緩やかに人差し指を天に向け、続ける。


「未知の生命体〈宇宙からのコエ〉────約二千年前の第二次降臨以降は姿を現していないが、いつ再降臨するかわからないのが現状だ。第一次降臨ではひとつの大陸を木端微塵こっぱみじんに、第二次降臨ではひとつの島とその近辺が危険海域と見做みなされ、『禁忌』指定により近づくことすら禁じられた。今もその『禁忌』指定は解かれていない」


 人類の脅威、その一角である〈宇宙からのコエ〉については魔法の専門学校でなくとも、エレメンタリースクールの頃から教えられることだ。校長先生が語ったのは第一次降臨時に消えたオース大陸と、第二次降臨時のレッドバルト島のことだろう。


「……ただひとつ、わかったことはあれらを退しりぞける有効打は魔法しかない、ということだ。その証拠に、大結界は〈宇宙からのコエ〉の攻撃を防いでいる。そのため、今日まであらゆる魔法学校が開校され、日々〈宇宙からのコエ〉への対抗策を練っている……という、頭の堅い話を念頭に入れつつ、私はこの学校生活を楽しく過ごしてもらいたいと思う!」


 と、これまでの真剣な空気を取っ払い、陽射しのような声音で校長は続けた。


「君たちが息を詰まらせて学ぶより、伸び伸びと魔法を使ってほしい。ここはそのための学び舎で、君たちは庇護されるべき年齢なのだから」


 そうして、校長は指を鳴らした。それを合図に、体育館の上空から色とりどりの花びらが舞う。


「この三年が、何千年経っても忘れられないほどの思い出になることを心から願っているよ」


 それを締めくくりの言葉として、校長はうやうやしく礼をした。


 すると、どこからともなく拍手が送られ、それらが喝采になっていく。


「さて、それでは恒例の入学レクリエーションの説明もしてしまおうか」


 そんな校長の発言を聞いた、先ほどの強面の教師はぎょっとした。それは予定とは違うことだったのだろう。手元のファイルと校長を何度か往復してそのうち仕方ないと納得したのか、静かに目を伏せた。


 そんな教師の反応とは裏腹に、生徒たちは入学レクリエーションに対して期待に目を輝かせていた。


「入学レクリエーションとは先ほど決定した寮の部屋決めだ。北側にある森に私が寮室の鍵を隠してきた。見つけた鍵と対応する部屋が、君たちが三年間過ごすことになる寮室だ。鍵には魔力を込めてあるから、それを目印にして探してみるといい。寮室には一人部屋から四人部屋まである。友人らと同室になりたければ、同じ部屋番号の鍵を入手する必要があるけれど……みんなで探せるんだ、トレードで入手するのがおすすめだよ」


 新入生たちはそのレクリエーションの内容に、皆一様に驚愕の表情を浮かべている。しかしそれ以外のニ、三年生たちは慣れているのか動じていなかった。


「なお、新入生と編入生以外の生徒が探すのは滅多に出回らない定期考査の過去問だ。ただし、難易度は高めにしたよ。ぜひ、健闘してほしい」


 その言葉を合図に寝ぼけまなこが開かれ、やる気を出した一部の先輩の様子を見る限り、本当に貴重な過去問であることは明らかだった。


「制限時間は時計台の二つの針が重なり、鐘の音が鳴り響くまで。それでは、よーい……スタート!」


 その瞬間、はじまりの鐘が雄大に背を押すように鳴った。

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