エンヴィディア魔法学校の償罪。

楪葉夢芽

序章 『よりよき繁栄を』

 その日、人類は滅亡した。


 何の脈絡もなく、突拍子もなく、人類は根絶された。


 この地球に出現した滅亡者はそのまま、地上に満ちた人類が生存していた証、歴史を跡形もなく、完膚かんぷなきまでに破壊し尽くした。


 何の感慨も、情動もない。あらかじめ設定プログラムされた流れ作業を実行していたに過ぎないであろう、滅亡者は『人類最後の砦』にすら侵攻した。そこでささやかな抵抗をしていた数少ない人類を掃討した。


 そのとき、自らの目的が達成されてしまった滅亡者は休止状態スリープモードに入り、『人類最後の砦』を完全に破壊することができなかった。


 やがて、滅亡者は眠った。自らの欠損を見つけることもできずに、その孤独も寂しさも知り得ぬままに。


 それから、滅亡者は滅びることのない己が滅びる、その日を待ち続けている。



 誰もが知っている御伽噺おとぎばなし。しかし、この物語の通りに前人類が滅亡したことは紛れもない事実だ。


 これを流布した者の意図はわからない。単に前人類が存在していたこと、彼らの過ちと、同じてつを踏まないようにとの警告を伝えるためか。はたまた、滅亡者の存在と────その感傷を忘れないためか。


 そして、前人類の滅亡から永遠にも近しい時間が流れ、地球は人類が存在していたことを忘れた。


 その後、再び人類が誕生した。再誕した人類はこれまでとは全く異なる進化、発展を遂げた。


 それは、魔法を会得したことによって拓かれた道だった。


 そこでは己が罪と向き合い、償う、正しい世界が創られようとしていた。


 だが、再誕より六千年の月日が経ったいま、災禍は襲い来る。人類へ無意味を思い知らせるべく。


 ────そんな我々は何処から来て、何処へ行くのだろうか。



 * * * * *



 微かな鳥たちの歌声。


 うっすらと射し込む春陽しゅんよう


 目覚ましが鳴る間もなく、ルシル・アストベリーは目を開く。先んじてそれを制し、カーテンを開けた。


 窓の向こうの世界は桜やマグノリアで鮮やかに彩られ、暖かで穏やかな春の色をしていた。


 クローゼットに掛けられている皺ひとつない真新しい制服は、今日から通うエンヴィディア魔法学校のものだ。袖口の広い黒を基調とした制服に腕を通し、ホリゾンブルーの爽やかな色のリボンを結んだ。


 リボンが曲がっていないか、姿見の前に立って確認してみる。が、リボンよりも鏡に映った自分の顔が強張っていることに意識が割かれた。まだ入学式の時間からは余裕があるというのに、心中は緊張一色だった。


「おはよう、ルーシー。あら、その制服似合ってるじゃない! 名門校は制服から違うわねぇ」


 自室を出、階下のリビングダイニングに向かうと、そこには綺麗に丸められたオムライスを食卓に並べる母と、コーヒー片手……ではなく、牛乳片手に新聞を読んでいる父の姿があった。


「もー。お母さん、それ何度目?」


「えー、記念すべき十回目だな」


 学校のパンフレットに目を通してからというもの、母はずっとこの調子である。そんな母に出会ってから通算三十年あまりの時を寄り添っている父は、慣れきった様子で指折り数えて答える。


「私は勉強しに行くんだからね?」


「わかってるわよ~。はぁ、これから三年間ルーシーに会えないのね……」


「長期休暇には帰ってくるよ」


 そう、エンヴィディア魔法学校は全寮制だ。そのため、これから食べる朝食の味はしばらく食べられない。次にこの味を口にできるのは、一ヶ月ほどある夏休みだろう。冬休みは二週間、春と秋には一週間程度の休みがあるという。


「そういえば、レティちゃんは起こしてあげた?」


 ルシルがオムライスを平らげ、自家製の野菜ジュースをちびちびと飲んでいたところで、母が尋ねた。


 エンヴィディア魔法学校に進学するきっかけとなった、隣家かつ幼馴染のスカーレット・エヴァンズは朝にめっぽう弱い。


「今日、入学式だよ? さすがに起き……」


 と、言いかけて、ルシルは考えた。


 一昨日届いた教科書の束に、スカーレットは目を輝かせていた。ただでさえ、趣味で魔法の研究をし、そのレポートをまとめるような彼女のことだ。教科書の内容に目を通しているうちに、夜更かしをしていたとしても何らおかしくはない。


 入学式に遅れるという最悪の事態を想像したルシルは残りの野菜ジュースをあおり、のんびりとした食卓に切迫した声を投げかける。


「ちょっと早いけど、もう行くね!」


「気をつけて頑張ってきなさい!」


「何かあったら、いつでも帰ってくるんだぞー」


 荷物をまとめた旅行鞄を引きるようにして持ち、ルシルは十六年過ごした家を出た。寂しさはある。けれども、それ以上にスカーレットと二人三脚で生活することが楽しみだった。


 磨き上げられたローファーに反射する陽光の眩しさに少しだけ目を細めて、すぐ隣の玄関扉をノックした。


 その音が家内に響いたかと思いきや、一定のスピードで機械的に開かれた戸を見た瞬間、ルシルは慣れ親しんだ嫌な予感を覚えていた。しかし、それを毎度のことながら忘却してしまう所為で、今回も対応が間に合わないのであった。


「う、わー!」


 自分でも情けない大声と臀部に伝わる若干の衝撃。両腕にかかる重みと、もこもことした綿のように白く、撫で心地のいい毛並み。


「お、おはよう、レオ……」


「わふ!」


 愛嬌が溢れたその顔はどこか自慢げだった。跳びつかれた反動で地面に尻餅をついてしまったルシルに悪びれる様子は、悲しいことにない。


 スカーレットの祖母・コレットの使い魔であるレオは、使い魔としての能力を遺憾なく発揮して物質操作魔法で玄関扉を開き、見知った匂いのする来訪者に跳びつくのだ。尻餅をついたといっても、今のルシルにはレオのかけた浮遊魔法が作用しているため、痛みはない。けれども、その用意周到さがあるのなら、初めから跳びつかなくてもよかったのでは、と思わなくもない。


 レオが平均的な犬と同じサイズであれば、尻餅をつくまでには至らなかったかもしれない。だが、レオは犬よりもオオカミに近い大きな体躯をしており、さらに二足立ちをすれば、その体長はルシルを優に超えるほど。オオカミを通り越し、ライオンを意味する『レオ』が名づけられたというわけだ。


「あらら……レオ、おいで。ルーシーちゃんが困ってるでしょう」


 半ば恒例行事と化しているこの状況を、スカーレットの母親であるヴァイオレットは苦笑いを浮かべてレオを呼び戻した。


「おはよう、ルーシーちゃん」


「ヴァイオレットさん、おはようございます。あの……レティ、起きてますか……?」


 恐る恐る尋ねる。この時間に起きていないと、かなりまずかったからだ。


「安心して、起きてるから。おーい、レティ! ルーシーちゃん来てるよー」


 大声で家の奥に呼びかけると、「はいはい」と思いのほかしゃっきりとした返事が聞こえた。


「あぁ、おはよう、ルーシー。早かったね」


 ルシルと違い、少し緩めたネクタイをつけた制服のスカーレットが顔を出した。注視しなければ気づかない程度ではあるが、目の下にはうっすらと隈がある。ルシルの想像は現実のものだったようだ。


「そろそろ行かないと、入学式に間に合わないよ」


「とはいっても、迎えが来るのだから問題ないだろう? じゃ、行ってくるよ」


「行ってらっしゃい。ルーシーちゃんに迷惑かけちゃダメよ」


 スカーレットは振り返ることなく、「はいはい」と今度は辟易へきえきした様子で返した。きっと何度も注意されたのだろう。それにしてもスカーレットらしい、さっぱりとした別れだ。


「えっと、迎えはこれで呼べばいいんだよね?」


 そう言ってルシルが取り出したのは、エンヴィディア魔法学校に入学できる資格証が入った封筒に同封されていた一枚の銀貨だ。


「それを弾けば、迎えが来るようだけどね」


「どういう仕組みなんだろう……」


「何らかの魔法がかけられているのはわかるけど、どんな魔法なのかはわからないな……」


 スカーレットがまじまじと銀貨を観察している。が、ルシルの目にはただの銀貨にしか見えなかった。その表裏には波打つ紋様が刻まれている。


「じゃ、いくよ……」


 親指の爪に乗せ、銀貨を弾く。


 ────ごう、と弾いた銀貨が炎に変わり、大気を震わせる。


「おぉ……!?」


「わっ!?」


 感嘆と驚愕。


 それぞれが眼前で起きた現象に対して反応する。


「は~い。呼ばれて燃え盛る、アミィちゃんの登場で~す」


 ショート丈のパーカー、フレアスカートというあでやかな姿で現れた少女は高い位置で結んだポニーテールを揺らし、小爆発とともに決めポーズ。


「…………」


「…………」


「……あれ? おーい?」


 視覚に、聴覚に、爆発的な情報が流れ、渋滞を起こした果てにルシルたちはフリーズしていた。

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