第3話
「最後の戦い……だと?」
勇者が半ば怒りにも似た表情をして、だが声の大きさを控えながら言った。そして、ベビーベッドに向かって「完全防御呪文」を唱えた。
光の球体がベビーベッドを包み込む。
「おい、何を勝手に……」
魔王がベビーベッドに手を伸ばそうとすると、光の壁に弾かれてしまった。バチッと電気が走ったような感覚を覚え、魔王は素早く手を引っ込めた。結構な音と衝撃だったが、赤ん坊はすやすやと寝息をたてたままだった。
「心配するな、何も危害を加えてはいない。大きな声を出しても、どんなに激しい攻撃が当たっても、びくともしない魔法の障壁で包んだだけだ」
「……なるほど、我々の戦いがそこまで激しくなると予想し――」
「っていうかさ!」
戦闘態勢に入ろうかという魔王に対し、突然勇者が口調を変えて、再び頭を下げた。
「まずはごめん! 寝かしつけしてるって知らなくて、大声で『魔王よ! 出てこい!』とか言っちゃって!」
「お……おお」
思わず魔王も戦いの構えを解き、「いいから、顔を上げてくれよ」と声をかけた。
「でさ、いろいろ聞きたいことがあるんだけど、なんで赤ん坊を最終決戦の場に連れてきてんの? 最後の戦いだよ?」
「え、いや……ウチのカミさんが『今日はどうしても外せない用事があるから、オーマくんのこと見ててね』って言われたものだから……」
「オーマくん? この子オーマくんって言うの? いい名前じゃん!」
「あ、いや……えへへ」
魔王が恥ずかしそうに頭をかく。どことなく、名前を褒められて嬉しそうだった。
「でもさすがに魔王の間に置いておくのはどうかと思うぞ! どっか預ける場所とかなかったのかよ? 魔界には託児所とか保育園とかないの?」
勇者が矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「まだ生まれてまもない赤ん坊だぞ? 託児所? 保育園? あることはあるが怖くて預けられないだろ!」
「じゃあ、側近に抱っこしててもらうとかさぁ」
「……それも考えたさ! でも声をかけようと思ったら、側近たちは全て倒されてたんだよ!」
「誰だよ、そんなひどいことするの……って俺じゃねぇか!」
勇者はノリツッコミをかまし、床を蹴る。「フハハハハ」と魔王が笑う。
「今日は……帰ることにするよ」
勇者は声低くつぶやいた。
「えっ、どうして……?」と魔王が尋ねる。
「お互い戦えば無事では済まないことは分かっている。この部屋だって、今でこそ綺麗な部屋だが……おそらく瓦礫の山と化すだろう」
「……」魔王もうなずく。勇者の意見に同感だった。
勇者から感じられる聖なる気、腰に下げている聖剣の輝き、放たれるオーラ。自分の全ての魔力を使い果たしてやっと勝てるかどうか、といったところだろうと自身で分析していた。
「たとえそうなったとしても、完全防御呪文でオーマくんは無傷だ。それは保証する……が、途中で目を覚ますかもしれないし、泣くかもしれない。おむつの交換もだし、ミルクもあげないといけないじゃないか。そうなると、戦いどころじゃなくなるはずだ。それに、俺もオーマくんの様子が気になって戦えない」
魔王はふと、空を見上げて想像した。
――勇者も魔王も傷つき、身体中傷だらけで血まみれ。鬼の形相をして相手に向き合い、剣を、魔法を振るう。そんな中、光の球体の中で泣きながら父を呼ぶオーマ君の姿――
「……確かに戦っている場合じゃないな……ぐずっ」
思わず魔王の目から涙がこぼれた。
どうしたことかと自分の感情を疑った。これまでは敵を倒し、建物を破壊することに生きがいを感じていたはずだった。しかし、子供が生まれてからは、心の中に何か別の感情が生まれてきていることに気づいたのだ。
「次は奥さんが家にいて、オーマ君を見てくれているときに戦いにくるよ。赤ん坊は最終決戦の場に相応しくない」
「ああ、その通りだ。今回は大変申し訳ないことをした。日を改めて、戦いに来てくれ」
勇者と魔王はお互い手を出して、硬い握手を交わした。
「フギッ!」
その足元で、赤ん坊が背中をモゾモゾとし始めた。二人とも、その可愛らしい仕草に、目を細める。
「どうした? オーマ君」
勇者が赤ん坊の様子を観察する。どうやら、背中の収まりが悪いらしい。何度も背中を動かしながら、いい位置を探しているように見えた。
「あー、最近多いんだよ」
「この動き?」
「そう。やっぱりシーツの下が骸骨でできてるから、なんかゴツゴツしているんだろうな。何か下に敷いた方がいいのかな?」
「……そういうことなら俺にまかせろ。うちにいいのがあるから、今度持ってくる。では……またね、オーマくん! いでっ!」
勇者は、赤ん坊を見ながら笑顔を見せて、赤ん坊の頭を撫でようとした。すると自分の唱えた完全防御呪文に手を弾かれて、苦笑いを浮かべた。
「ああ、呪文は3ターンで切れるから!」
そう言って、最後は瞬間移動呪文を唱え帰っていった。
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