ベッドの上の異種間対談(3/5)
「まず大前提として、亜人は人間領に魔物を送り込んでいるわけじゃない」
「さっきも瘴気がどうと言っていたな。それについて詳しく教えてもらえるか?」
「……ゼノンは、本当に瘴気を知らないの?」
「いや、知らんな」
きっぱりと言い切ったゼノンに、クィーリアはじっとりとした視線を返す。
クィーリアにとっては常識だった瘴気を、ゼノンの中では未知のものとなっている。
先ほど彼が言った通り、お互いの認識に差があるせいで、今のままでは話が嚙み合わない。
「瘴気っていうのは亜人領の空気に含まれる気体、のようなものでね。これを体内に取り込み続けた生物を魔物に変質させる有害なものなの」
ちらと、クィーリアはゼノンの顔色を窺った。今までの彼の反応が演技でなければ、彼女の説明は人間にとっては突拍子もない話のはずだ。
自分が伝えようとしていることはちゃんと彼に伝わっているのだろうか。本当はもっと上手く説明できたのではないか。自分の中の当たり前を改めて説明する難しさを実感し、不安が頭をよぎる。
視線を送られたゼノンは、ほんの少しだけ首を縦に振った。そしてそれ以上反応を見せることはなく、ただ黙って話の続きを促している。
どうやら、一応彼女の話は伝わっているようだ。そんな彼の態度に内心ほっとしながら、クィーリアはもう一度口を開いた。
「そしてこの瘴気は、人間領の空気にはほとんど含まれていないの。だから亜人達は人間のことを、亜人領に瘴気を送り込み、魔物を発生させて自分達を苦しめる敵だと認識しているわ」
「自分達の領地に流れてこないよう対策を施しながら、悪意を持って亜人領に瘴気を流し込んでいる、とされているわけか」
「それだけじゃない。今から二十年前、亜人が人間の手によって殺害される事件も起きている。それが、亜人が人間を敵だとしている決め手になっているわ」
クィーリアは人間領に入る前に、過去二十年間行われてきた亜人の諜報活動の、報告書の内容をすべて頭に叩き込んできた。
その中に、人間と直接接触したという報告が一つだけあった。クィーリアが生まれるよりも前、発足したばかりの諜報機関に所属した、最初期の諜報員のものだ。
人間の少年と偶然出会ったとするその諜報員は、少年と何をして遊んだかの内容や感想を書き並べた報告書を数度亜人領に送り付けた後、ぱったりとその消息を絶った。
同期の諜報員の調べにより、亜人を敵とする人間によって殺害されたことが分かったのは、その諜報員が消息を絶ってからしばらくしてからのことだ。
そしてこの事件は、無用な争いを生み出さぬよう人間との接触を避ける、諜報活動の方針転換のきっかけであり、二十年間、人間と亜人が出くわすことのなかった理由となっている。
クィーリアの話を聞いて、ゼノンがと唸る。
「……亜人領で発生した瘴気から魔物が生み出され、それが人間領にも流れ込んできている。ということは、お互い勘違いで相手を敵とみなしていたということになるのか」
人間は状況証拠だけで亜人を敵とみなした。
亜人はそんな人間を避けるようになった。
お互い嘘を言っていないのであれば、人間にも、亜人にも、敵対する理由はない。
だが、だからといって、はいそうですかと解決するほど簡単な話ではない。
そうクィーリアが思っていた矢先、不意にゼノンが頭を下げた。
「……だが、亜人殺害は俺達の失態だな。すまなかった」
恐ろしいほどに真摯で、隙だらけな行動だった。もしもクィーリアの武器である鉈が手元にあり、彼の頭目掛けて振り下ろせば、昨晩の狼の魔物と同じ運命を辿らせることもできるだろう。
彼女の荷物はベッドから少し離れた壁際に置かれている。だからこうも無防備な姿を晒せるのかとも思ったが、そもそも武器の有無など関係ない。
いくらクィーリアが素手だとしても、怪我人だとしても、彼女には亜人が生まれついて持ち合わせている能力がある。
その全容をまだ見ていない現状、ゼノンは今、自分の身を危険に晒していることになる。そして、彼がそのことに気付いていないはずがない。
ならばどうして、それを承知で頭を下げることができたのか。
事件に負い目を感じているからか。それとも、これもまた彼の演技なのか。
「……亜人殺害については、私一人でどうこうなるような問題じゃない。許すとか許さないとか、そういう話もできない。だから、一旦それは保留にさせて」
例の事件は、もはや種族間の問題にまで発展してしまった。今更、個人間での話し合いで解決できるようなものではない。
その旨を伝えると、ゼノンはゆっくりと頭を上げる。
無表情を貫き通していた彼の顔が、ほんの少しだけ歪んで見えたような気がした。
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