2025/5/7 0:48 聖バシル大学附属病院・待合室

 二時間近い解剖かいぼうが終わった。

「お疲れ、メガネくん。先帰ってるねー」

臨床検査技師りんしょうけんさぎし狩野かのが、使い捨てのガウンを放り出して手術室を出る。

亨子きょうこさん」

蒼は呆然ぼうぜんとした表情で、目の前に横たわる焼死体に向き合っていた。


 直接の死因は全身に広がったⅢ度熱傷。両手が欠落しているが、断面から推察して死後崩れ落ちたものと考えられる。表皮が炭化しているが、実弟・火村ほむらまもると実子・安倍あべたけるとのDNA型照合により遺体は安倍亨子本人であると断定。


 どれだけ思い入れのある人物でも、カルテにしてしまえば症例の一つ。全く現実感が湧かないが、確かに彼女は死んだのだ。

 ドアをノックし、玄武洞が入ってきた。

「……邪魔したか」

「いえ」

玄武洞の手には遺体の検分書けんぶんしょが握られている。

「仕事早いですね、狩野さん」

「ああ……」

蒼に玄武洞が一枚の写真を差し出す。

「ホトケさんの両手、現場に落ちてたぜ」

「現場に?」

「ああ。……あの人の『守護刀まもりがたな』と一緒にな」

「それは、どういう……?」

「最期まで戦ったんだよ、あの人は」

玄武洞が天を仰ぐ。

「レンタカーをいたのは『モノノケ』だ。車外に投げ出された旦那は跡形もなく喰い殺された。息子を守るため、あの人は命がけで戦って……『モノノケ』と、相討ちになった」

彼の頬に雫の筋が伸びる。

「俺が……俺が、助けに行っていれば……」

「……タラレバはやめましょう、玄武洞さん」

蒼の視界がにじむ。レンズを拭おうと蒼は眼鏡を外した。

「死ぬんだな、あんなに強かった人が……」

遺体には薄く赤い炎が残っていたが、やがてそれも消えた。眼鏡をかけ直しても、眼前に映る光景は変わらなかった。


 仕事を終えた蒼が運転する車は夜の道路を走っていく。

あおい さん からの 着信です]

蒼はカーナビを操作して電話に出る。

「もしもし」

[あなた、今どこにいるの?]

「今緊急の解剖が終わったところ。すぐ帰るよ」

[そう。……電話、遠くないかしら?]

「カーナビに繋いでるからじゃないかな。何か買って帰ろうか?」

返事は通話終了音だった。

 ハンドルを握る手に街灯の光が落ちる。左手の薬指がキラリと光った。

【好きんなっちゃったんだ。『アナタと一緒にいられない人生なら意味なんて無い』って】【同じ場所、同じ夢、同じ未来を並んで見る。……君にもいつか、そんな人が現れるはずだよ】

幸せそうに笑う二人を思い出して、蒼は少し泣いた。

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如何にして彼はメガネくんとなるに至ったか 鴻 黑挐(おおとり くろな) @O-torikurona

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