2018/5/26 15:11 マスタードーナツ

 玄武洞の車に乗せられ、蒼は警察署を出た。

「どこに行くんですか?」

「外だ」

「いや、それはわかりますけど……」

車はどんどん市街地へと出ていく。

「……アンタに会いたがってるヤツがいる」

「その人が指定した場所に向かっているんですか?」

玄武洞が喉奥で小さく笑う。

「ククッ、話が早くて助かるぜ」

車が停車する。

「降りな」

車が停まったのは、大手ドーナツチェーンの前だった。


 店内に入ると、レジの前でショートヘアの女性が待ち構えていた。

「よっ、少年。無事で何より」

コンビニバイトの彼女――すなわち蒼の命の恩人だ。

「……冤罪えんざい吹っかけられて半日拘束こうそくされるのを『無事』と表現していいのかどうかは疑問ですけどね」

「五体満足で生きてるじゃないか。無事もおお無事、丸儲まるもうけだよ」

蒼が放った渾身こんしんの嫌味は軽くスルーされた。

「よお、火村ほむら亨子きょうこ……」

「今は結婚して安倍あべだよ、玄武洞旺志おうしさん」

軽くあいさつを交わし、亨子はレジの店員に声をかける。

「じゃ、食べ放題お願いします!」

満面の笑みでそうのたまう亨子を見て、玄武洞と蒼は顔を見合わせた。


 奇妙な光景だった。学生、その対岸にスーツ姿の男とTシャツにジーンズ姿の女。三人が同じテーブルに付いてドーナツを食っている。

「さて。洗いざらい吐いてもらおうか、亜川おしかわ蒼さんよぉ……(我々はあの夜あなたが見たモノを信じます。どうか信用して話してください)」

玄武洞がココアをすすりながら蒼に語りかける。口調と表情こそ威圧的いあつてきだが、どうやら悪い人ではなさそうだ。

「はい。あの夜……」

蒼が初音の最期について語る。時折亨子がドーナツを片手に補足しつつ、蒼はあの夜の事について証言した。

「なるほどなぁ……」

玄武洞は手帳にメモをとりながら、蒼の言葉に耳を傾ける。

「……逆に聞きますけど」

証言を終えた蒼が、対岸の二人に問いかける。

「なんなんですか、あの……バケモノは」

蒼の声は震えていた。


 蒼は孤独だった。物心ついた時から、蒼には異形の怪異と人の内心が視えていた。

『おかあさん。あっちになんかいるよ』

『あらー、アオくん怖い怖いなの?』

五歳の時、蒼は意を決して母に打ち明けた。幼い彼の精一杯だった。

『(何かいるって……どういう事?まさか障害でも持ってるの?やめてよね、ただでさえじょうのクラブの送迎だってあるのに……。これ以上余計な手間を増やさないでよ……)』

母の笑顔に付けられた字幕は、蒼の心を閉ざすには十分すぎる一撃だった。

(僕が見てる世界は、みんなとは違うんだ。お父さんにも、お母さんにも、お兄ちゃんにも、先生にも、僕の見ているモノは見えてないんだ……)

それ以来、蒼は自分に視えているモノについて他言たごんする事はなかった。

 テストで満点を取っても、部活で賞を取っても、友達と遊びに行っても、名門大学に現役合格しても、いつも心の奥底に「自分は異常者だ」という呪いがあった。視界の端でうごめく怪異から目を逸らし、人の内心を視ても触れない程度に立ち回り。蒼はずっと『普通の子』のフリをして生きていた。

 拒絶きょぜつされたくなかった。見放されたくなかった。だから、誰にも言わなかった。


 そして今、蒼は心の奥底に閉まっていた孤独を二人の前に曝け出した。

 「うーん、なんなんだろうね」

亨子はポンデリングを頬張りながら首をひねる。

「あれは『モノノケ』。簡単に言えば……異世界に発生するバグだね。ちょい貸して」

亨子が玄武洞からペンを奪い取り、紙ナプキンに二本の線を引く。

「上の線が現実の世界、下の線が『モノノケ』のいる……まあ、いわば『霊』とか『精神』の世界だ」

「こんなに近くにいるんですか?」

「いるけど見えない。普通の人にはこの『霊』のレイヤーを見たり編集したりする権限がないからね」

亨子が下の線から上の線に向かって線を引く。

「ところがあっちからは編集し放題だ。大部分の『モノノケ』は慎ましく引きこもってるけど……。中には欲をかいて人間を襲うヤツもいる」

ペン先が蒼を指差す。

「君が会ったヤツみたいなのが」

「……詳しいんですね」

「うん。先祖代々の『霊者れいじゃ』だからね。アタシも旺志さんも」

「れ……?」

耳慣れない単語に蒼は首を傾げる。

「デバッガーだぁ……」

「うん。『モノノケ』をバグだとするなら、アタシらはそのバグを取り除くデバッガーだね」

「システムを動かす以上、バグが無くなる事はないだろぉ……」

「はるか昔からモノノケは湧いてるし、きっとこれからも滅びる事はない。だから、アタシらみたいにデバッグを生業とする一族が必要なのさ。ま、ヤツらも平安時代とかに比べりゃだいぶおとなしくなってるっぽいけど」

「ド派手だろう、コイツの得物は」

「ああ、『初茜』ね。いっつもあのバカ長い日本刀持ってるわけじゃないんだ。『守護刀まもりがたな』っていう特殊な短刀に『霊力れいりょく』……『霊』のレイヤーを構成している物質を纏わせた付け焼き刃でね。あ、触ってみる?『守護刀まもりがたな』」

蒼は呆然と二人の説明を聞いている。話が壮大すぎて理解が追いつかない。


 電話が鳴った。

「もしもし……」

電話を取ったのは玄武洞だ。

「帰る(緊急の呼び出しがかかったので、私はこのへんでおいとまさせていただきますね)」

玄武洞が入り口のドアに手をかけ、ふと蒼の方へと振り返る。

「……辛い事、思い出させたな。悪かった」

それだけ言い残して、玄武洞は去っていった。

 アイスコーヒーの氷がカランと音を立てる。蒼の手元にあるコーヒーはほとんど減っていなかった。

「ただいまー」

追加のドリンクとドーナツを携えて、亨子が席に戻ってくる。

「あ、そうだ。思い出した」

亨子が足元に置いたトートバッグから何かを取り出す。

「これ、君にあげるよ」

「これは……?」

ケースを開けると、そこにはスクエアレンズのメガネが収まっていた。シルバーの細いフレームが控えめにレンズを支えている。

「ふふふ。これはメガネというんだよ、少年」

「それぐらい知っていますけど……。伊達眼鏡をつける趣味は無いですよ、僕」

「まあまあ、かけてみな」

そう言って亨子は眼鏡を展開し、蒼に掛けさせた。

「ああ……」

蒼はため息を漏らした。


 レンズ越しに見える世界には、怪異も煩わしい字幕もなかった。……つまり、我々一般人の視界と同じそれが広がっていたのだ。

「このメガネはね、君に視えているモノを隠してくれるステキなメガネだよ。『霊力』をさえぎる特別な水晶を混ぜ込んだレンズなんだってさ」

「亨子さんは、どうしてこれを僕に……?」

「知り合いにこういう道具の職人がいてね。ソイツに作って……」

「そうじゃなくて」

蒼が亨子をまっすぐ見つめる。

Howどのようにじゃなくて、Whyなぜです」

「なぜ、かぁ……」

亨子が外を見つめる。

「なんか、似てるなーって思ってさ」

「似ている?」

「うん。少年と、昔のアタシ」

全面ガラス張りの窓には、うっすらと彼女の顔が写っている。

「見限ってたんだ、世界を。命がけの戦い、生まれた時から決まってる婚約者、バケモノのいる生活……」

「嫌じゃないですか?そんな生活」

「ううん、嫌いじゃなかった。戦いも、婚約者も。『そういうもんだよね』で納得してたし……。友達はできなかったけど、一緒に戦ってくれる仲間がいたからそれで十分だった。でも……」

亨子が微笑ほほえんだ。

「好きんなっちゃったんだ。『アナタと一緒にいられない人生なら意味なんて無い』って、そう思った」

「え……?」

 蒼が赤面したまさにその瞬間、店に男が入ってきた。

「亨子さん」

おとなしそうな顔の男性だ。

「あ、わたるくん!」

亨子が花が咲いたような笑顔で恒に手を振る。

(そういえば『結婚してる』って言ってたな……)

蒼は吹き出した汗をハンカチで拭う。

「この子は?」

バイト先ウチに良く来る子。医大生なんだとさ」

「そうなんだ」

恒が蒼に深々と一礼する。

「すみませんね、うちの亨子がご迷惑おかけして……」

「いや、そんな事は……。この人は僕の命の恩人ですから」

蒼の言葉を聞いた恒が亨子の顔を見る。

「また戦ってたのか……」

「しょーがないじゃん。ほっとけないでしょ」

「相変わらずだね」

亨子と恒が笑い合う。

「……嫌じゃないんですか?家族が死ぬかもしれないのに」

「うーん、少し嫌だけど……。でも、亨子さんはそういう人だからなぁ」

恒が蒼に向かってはにかむ。

「それに、俺と彼女は同じ場所を見ているから。……君にもいつか、そんな人が現れるはずだよ」

「同じ、場所……?」

「同じ場所、同じ夢、同じ未来を並んで見る。ねっ、亨子さん」

「うん!」

手を取り合う二人の左手薬指には、キラキラと輝く揃いの指輪が収まっていた。

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