22話

 舞台裏ってのは忙しないったらありゃしない。色とりどりのクラスTシャツを着た放送委員がトランシーバー片手に走り回っている。鉄パイプで構成された特設ステージのすぐ横、仮設テントの待機場所で私は瀟洒にその時を……なんてできずにめちゃくちゃパニクってた。

 

「優花落ち着いて! へーきへーき! 死ぬわけじゃないんだから」

 

「そそっうですよね! まだあわてるようなあわあわあわわわ」

 

「なっにひとつ落ち着けてないじゃん! ガタガタ震えてるし!」

 

 ついにやってきた公演当日。付け焼の稽古と小物が数点。過剰な装飾はナシ。あえて受け手の感性に委ねてしまう。借りてきた車椅子と、消え物の色付き水。万病に効くポーションという設定。食紅でコバルトの青っぽくした水道水を二百二十円のコルク瓶に詰めただけ。葵ちゃんの青。この物語で最重要のキーアイテムであり、私が演じるシーンを最高難度に跳ね上げた元凶でもある。見栄え重視でデカめなものをセレクトしてしまったおかげで、久しく出くわしていない銭湯の牛乳瓶二本分ぐらいの容量を胃の腑に投入した直後に渡辺さんとミュージカルダンスをデュエットせねばならないのだ。誰だこんな欠陥脚本を寄越した作家は。脚本を通した監督も一緒にツラを見せていただきたい。

 

「すすスマホどこだっけ」

 

「今握りしめているものは?」

 

「あっ!」

 

「大丈夫かな…………」

 

 携帯のインカメラで自分の顔面を念入りに確認する。私にしては珍しい眼鏡を取っ払った姿。この度コンタクトレンズデビューを果たし、今朝方は緊張で眠れなかったから暗いうちに仕込んでおこうと意気込み片目を整圧するのに四十分は優に超過した。ワンデイはいざ尋常にと眼球に近づけると裏返るのは仕様なのか嫌がらせなのか。結果的に寝れなくて良かった。熟睡してたらボヤけた視界のまま強行突破する羽目になっていた。ドイツ南部の民族衣装ライクなコスチューム。肘の辺りが突っ張って違和感が凄い。福本さん曰く突貫工事かつ経費ゼロだから耐久性能なんてあってないようなもの。ソワレ一つ乗り越えられるかどうか。そのレベルで脆いらしい。

 

 私はてっきり、今日までのどこかで有志で出し物をする生徒全体のリハーサルがあってそこで本番と同じ条件で練習できると思ってたけど、現実はそんなに甘くなかった。前日に土砂降りの雷雨で中止となり、ぶっつけ本番で今に至っているのだ。

 

「ヒェ」

 

 クラスのグループラインに信じられない投稿がされていた。一瞬目を疑ったが、矯正視力の私が見間違えたはずもなく。ライバルながら素晴らしい動員数に惚れ惚れする。

 

「あっあの、17Rのクラスラインで、八十人収容したってあの教室に」

 

「よそはよそ。うちはうち。あたしたちの方に集中」

 

 パイプチェアの背に両手を置き跨って対面している渡辺さんに視点を移す。ディアンドル風味の衣装に身を包んだ彼女は、さながら御伽話に出てくる町娘のよう。超特急で用意されたはずなのに、ボディスに刺繍がこれでもかと仕込まれている。主役は赤、ヒロインは青。前時代的な配色だけれども、わかりやすさは何よりも優先されて然るべき。お揃いのエプロンで姉妹であることをさりげなくアピールしている。

 

「気にしないの。優花バチクソかわいいし」

 

「そ、そうですかね。ぇへへ」

 

「座ってちょっぴり喋って退場、ラストに水分補給したら終わったようなもんだから。練習あんだけしたんだし、フォローはバッチリ入れるから」

 

 渡辺さんが頼もしすぎる。歴戦の猛者感がハンパない。

 

「焦ったってもう遅い。俎上の魚。二人で無双してきて」

 

 福本さんが一昔前のラノベみたいなこと言ってて新鮮だ。彼女なりの激励。人前に出る勇気を分け与えてくれる。円陣を組んでサイキングアップを図るなどはしないのが私たちらしい。

 

 司会の挨拶がスピーカー越しに響く。火蓋は切って落とされた。

 

「すいませーん。五分前なんでスタンバイ、お願いしまーす」

 

「はい!」

 

 渡辺さんとハモった。語頭に「あっ」ってつかなかった。

 

 自分で車椅子を押してバックヤードへ。木の板一枚で作られたハリボテだけれど、課せられた役割はしっかりと果たしていた。裏で気合いを入れていた男子コンビが先陣を切って場を温める。

 

 ええいままよ。なるようになるしかない。深呼吸。私はリズで、病弱薄幸の妹…………やっぱ無理だ。役に憑依する型の演技はできそうにない。私らしく、精一杯をぶつけよう。

 ふと思い返せば、原稿用紙を購入してからは怒涛の日々だった。人混みを避け、喧騒を避け。消極的な生き方ばかりしてきた私にとって、これほどまでに濃密なこれまでは初めての連続で。上手くいかないことの方が多かった。それでも渡辺さん、葵ちゃんは最後まで私と共に戦ってくれた。

 

 これから始まる物語は『ブルークレール』。フランス語で青を意味する。

 

 ハッピーエンド。できるだけ優しい伝え方にしてみたつもりだ。前方で見物している彼らにだって楽しめるようにデザインしたけども、この中で誰よりも楽しんでほしい人が、一人。

 

 漫才が終わる。司会の説明が入る。何度も何度も耳にしたケルティック・ミュージック。主人公が飛び出した。

 

 一気に場の空気を飲み込んだ。私を見てって、彼女は笑っていた。なんて幸せそうにに踊るんだろう。

 

 葵ちゃん、あなたに一番伝えたい!

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