20話

「終われぇ。頼むから終わってくれ」

 

 己を鼓舞しろ。自分を奮い立たせろ。二万文字の壁を越えられなければ単行本の依頼は一生待っても来ないぞ。媒体に関係なくネット小説は素人仕事の総本山。ブックマークでキープしておいた作品がある日を境に更新がピタリと止んだ時の絶望感。充電期間ならば半年正座していれば再開するだろうと楽観視する読者はまだにわかの域を脱していない。心待ちにしているそれは、エターナルに鋭意製作中の状態異常に陥ったと見て相違ない。

 

 私の座右の銘には他力本願ともう一つ、「未完の傑作は完結した佳作に劣る」がある。無論作者の健康状態の悪化など、やむを得ない事情でエタってしまうのはコントロールできないので言及しない。が、途中で棄権した際読者を悲しませることには変わらない。かく言う私も張本人なので説得力は皆無だけれども、自身の手で幕を下ろす責任は果たしたい。今回は完結させないと悲しむ人の発生が確定しているのだから尚更だ。福本さんに、渡辺さんに、それから私。

 

 目も頭も腰も痛い。魅せたいシーンに持っていくまでの特段興味のないシーンを書いている時がはちゃめちゃにメンタルへの負担がデカい。ぶっちゃけ発狂したい。なんなら今すぐ。大声で放送禁止用語でも叫びたい。

 

 好きなことにだって嫌いなことは含まれているもの。どの道好きなことだけでは生きていけないし、好きを貫くのは骨が折れる。

 

「すううぅーーー、はあああああぁぁぁぁ」

 

 ひとまず深呼吸。大気を吸い込んだ二倍の間隔で吐き出す。吐く息に集中。淀んだ泥沼から、沈んだ精神を釣り竿でグルグル巻き上げるイメージ。自分の機嫌は自分で取る。

 

 たった十五ヶ月前、ハイファンで連載していた。ごく短期間だけど。三年に進級したての時だった。生まれて初めて創り上げた、オリジナルのストーリー。一万文字にも満たないそれは、私に確かな自信と勇気をくれた。書き溜めはなし。行き当たりばっかりで、にも関わらず投稿ボタンをタップしてしまった。逸る気持ちが抑えられなかったのだ。

 

 初めて高評価をもらった時の感動、今でも忘れない。毎話わざわざコメントで感想を載せてくれる人──アカウントを確認したら私と同じルーキーだったので、フォローバック狙いだったのかもしれないが──、顔も声も知らないあの人にどれだけ感謝したことか。作者専用の管理画面で着々と伸びる数字。コンスタントに塾のトイレでコソコソと見ては心の支えにしていた。

 

 結論から述べれば、あの作品は失敗した。受験期と重複して執筆時間が確保できなくなったのだ。投稿するエピソードは二千字、千文字と次第に先細りになった。いつしか更新が八日途絶えた。書きたい書きたいと呟くものの、睡眠を削ってまでスマホに向き合うバイタルもなかった。荒らしの被害にも見舞われた。苛烈なコメントが目立つようになった。私のメンタルは限界だった。

 

「後これだけ。これだけ。これ書いたら寝よう」

 

 書きずらいのは成長の証。筋力トレーニングと同じで、今出せるありったけをぶつけない限り壁は乗り越えられない。この痛みは成長痛。傷つけば傷つくほど、私の文章力は超回復を経てより強靭に、より逞しくなれる。

 

「頑張れ、頑張れ! 売れなくても完成できたらみんな作家。私にだってできるはず!」

 

 私は創作活動のほとんどにおいて免許も歳も関係ないと思っている。けれども、文藝春秋を創刊したギャンブル狂いの菊池寛先生はかつて「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」と仰っていた。これには続きがあって、「もっとも、遊戯として、文芸に親しむ人や、或は又、趣味として、これを愛する人達は、よし十七八で小説を書こうが、二十歳で創作をしようが、それはその人の勝手である。」とも仰っている。闇雲に筆を動かしたって仕方がないし、二十五歳未満の人が綴った小説は無意味ですらある。そんなことをするよりもまずは自分自身の人生、平生の生活に対する観察眼とそれに付随する自身の哲学を十分に養うこと、読書量を増やすことが先であると。

 

 至極真っ当な意見だと思う。その通りだ。がむしゃらにペン先をチラシ裏に走らせている今この瞬間だってその事実をひしひしと痛感している。若いということはつまり、インプットとアウトプットの絶対数が少ないということ。たまに新聞やテレビなんかで取り上げられる高校生にして華々しくデビューするイレギュラーたちを除き、十六十七のガキが搭載しているエンジンは悉く馬力不足である。一種原付並みかそれ以下の排気量。車体だって貧弱だ。速度は出ないし長距離移動には苦痛が伴う。「本当に小説家になろうとする者は、須すべからく隠忍自重いんにんじちょうして、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たないという覚悟がなければならない。」

 

 菊池先生の言葉は重みが違う。小説家を志した方のほとんどは彼の発言に首肯することだろう。だからこそ、私は声を大にして意思表示せねばならない。

 

「こっちは! こっちは本気で遊んでんだよ!」

 

 純粋に楽しいから。動機なんて所詮そんなもんだ。今の所、ここまで一つの物事に執着できたことなんてなかった。本気になれたことなんてなかった。手放したくない。手放しちゃいけない。

 

「つまんないはずないから! 世界で一っ番面白い自信あるから!」

 

 だからこそ、この道でご飯を食べてみたい。至難の業であるということは重々承知している。教科書にも掲載されている文語的な語り口調が特徴の『舞姫』を発表した森鴎外先生。彼は軍医として勤務する傍らに小説を創っていた。いわゆる兼業作家だった。森鴎外先生レベルの美文であってもそうなのだ。専業で生計を立てられるのは一握りの天才にしか許されない。

 

 それがどうした。

 

「バカには、バカなりの考えがあって、プライドあって!」

 

 今の時代、自身の成果物を世に知らしめる方法は星の数ほどあるのだ。オールドメディアだけではない。目の前に転がってるもの全部使って、私の脳髄で繰り広げられるイメージを共有したい。いつの間にか忘却の彼方へ葬り去ってしまう前に。元来物書き荒ぶ輩に論理を求めてはならない。既存の出来合い品では我慢ならず、寝ても覚めても絵空事に取り憑かれてるエンタメジャンキーの成れの果てが我々なのだ!

 

「辛い。辛い辛いつらい! 苦しい!」

 

 クリエイターはいつだって孤独だ。ひとりぼっちだ。一次の畑だろうと二次の畑であろうとこの摂理には逆らえない。文机の前に座している間は一時的に社会性を失う。自分の殻に引き篭もるようになる。それに頂上の風景を拝みたければ自分の手足を駆使して進むしか術はない。赤の他人に代理を頼んでも仕方がないのだから。

 

「なんで、なんでよ………………」

 

 またしても涙腺が緩む。ポタポタ原稿用紙に滴り落ちる。乾ききっていないインクと衝突して文字が滲んだ。休みたい。計時機のことなどすっかり意識の外に追いやってしまった。一息つくことにする。壁掛けは丑三つ時を指していた。

 

 創作活動は一般社会の認識よりずっと酷薄な行為だ。どれだけの人間が夢破れ他界したことだろう。血肉を持たないファム・ファタールに誘き寄せられまんまと自滅した無智愚昧供の亡骸。なぜ私とその同類が屍で城閣を築き上げているのか。一因としてある種の不死性を獲得できることが挙げられるだろう。神々が決した予定調和かは知る由もないけれど、私たちが情報と呼んでいるものは叙情的になればなるほど後世まで生き残る確率が高まるのだ。部分的に抜け落ちたり、逆に加筆されたりすることも時にはあるだろう。でも私は信じている。朝から晩までウンウン唸るが一行も書けず枕を濡らしながら遺したそれらの大意は不変である、と。『平家物語』は言わずもがな、作者不詳の『竹取物語』でさえアニメーションとしてモダナイズされ焼き直される。時空を超えてもなお愛される。このような芸当が遺憾無く可能なのだ。小説ならば。

 

「ぜえぇぇッっっったいに前の私超える。超えてやる」

 

 休憩終了。何はともあれ今はやり遂げるしかない。


 あの日見た絶景、信じて進もうか。

 

 私を見ろ。真っ直ぐに。

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