19話
最も大きな敗因は現場の著しい士気の欠如と脚本家の技術不備による魅力訴求の失敗。前者に関してはクリア済みなので問題ない。では脚本をどのように調理するべきか。
自分を捻じ曲げて押し殺して、面白いとも思わないようなものを永遠と書き続けるだけじゃいけない。確実に魅力が低下する。生み出された作品を最初に鑑賞する読者一号は紛れもない作者その人。自分ですら楽しませられないくせに他人の感情を揺さぶれるわけがない。
私は私の土俵で勝負する。私が一番得意な小説の形で。
最初に行うべきは既存の設定の改変。大枠のストーリーには手を加えず、渡辺さんへの負担軽減かつ二人だけで舞台演劇が成立するようにリライトする。残すキャラはエイブルとベイカー。この兄弟を姉妹にしよう。女の子っぽい名前の方が雰囲気出るから、そうだな。お姉さんの方がベティーで、寝たきりの妹ちゃんはリズにしよう。ベティーは渡辺さん。それと寝たきり設定は廃止。場面転換はゼロにしないとステージの特性上舞台が成り立たない。私演じるリズには自力で袖まで移動してもらいたい。単純な表現しかできない己の未熟さに反吐が出るが、背に腹は代えられない。視覚的にわかりやすいアイテムを配置すれば説明も極限まで省ける。学校で借りられそうなものという制約もある。松葉杖か、車椅子────!
「いける。これなら、救える」
物語を作る時は、ある人に向けて手紙を書くようになさいといった教えを耳に挟んだことがある。物語とはあくまでも手段である。他者に伝えたいこと、分かち合いたいことを記号に転写してそれを拡散させたり、保存したりすることの技術体系の一端である、と。
物語を創造することが主目的になるべきではない。薄っぺらい、意味ありげで何の意味のない作品によく擬態した文字列になってしまうから。
渡辺さんは今でも苦しんでいる。足はとっくに治ってるのに、杖を手放せないでいる。過去の傷は、癒えないまま。
創作活動は救済。現し世で行き場のないルサンチマンを解消できる唯一のフィールド。
一点集中するべきは中国大陸から遠路遥々伝来してきた由緒正しきつよつよテンプレ、起承転結の結句に相当する場面。観客の感情が最も昂る瞬間をここに設置する。方針は決めた。ここまで来たらば、邁進するしかない。
取り掛かる前にゴールを確認しろ。規模感を正しく把握するんだ。タイムリミットは五日だけ。原本は束一つ使い切って二つめにに突入しかけだった。残機百九十ちょい。完成系に向けて何度も修正かけることを想定したらば不安が募る。
「足りんのかこれ」
突貫工事の制作は書くというよりも組み立てるに近い。閃いた順にやたらめったら書き散らすから、途中で文と文が繋げられなくなる。これがデジタルツールならコピペ連打で済むのだが、アナログ環境では勝手が違ってくる。例えば没にしたセクションを一旦に残しておき、新しいものに書き写したり没を元に改良したりする手間がかかる。潔く丸めて廃棄なんて暴挙は小心者の私には到底できない。ある分だけしか紙はないので小豆色の束が底をついたら一定の書式を保てなくなる。他にも通し番号をページ端に付与しないとバラした際の並び直しが大変なことになる。ミミズの這ったような字だと自分でも解読不能になれば用紙が破けたり汚れたりして元データが劣化しやすい。旧世代スタイルは信じられないほどに能率が悪い。ハッキリ言って不便なのだ。
「違う、こうじゃない……こんなんじゃない…………」
筆が異様に重い。普段の品質の三分の一も出せていない気がする。私がこの程度の実力で終わるわけがない。私はもっと気持ち悪いはず。私が見た景色はこんなもんじゃない。速筆の才能がこれほどまで妬ましいと感じたことはない。そもそも今回の執筆計画は土台無理がある。西尾維新先生は朝を四回捏造する生活スタイルで平常時二万を出力するらしいが、私は彼の二十パーセントに満たないポテンシャルしかないのだ。どうしても文章の濃度が薄くなってしまう。手が止まる。焦る。
「何してんだ優花。お前は一流のクリエイターだろ。止まるんじゃねえぞ。お前が始めた物語だろ…………!」
執筆作業は登山みたいなもので。二次創作の場合はある程度整備された山道に幾分かの同行者。最適化された道具だって用意されている。
対して一次創作は。未踏破の雪山に、カンテラの灯りだけを頼りにガイドなしで頂上に挑むよう。道のりを見誤れば簡単に遭難するし、迂闊な真似をすればクレパスから奈落の底へ。誰も救援などはしてくれない。吹雪いて一寸先は確認できないし、陽光も当たらないので今にも凍えそうだ。道具だってそれほど頼りにならない。たとえ登頂したって周りが必ず祝福してくれるとも限らない。
「あ」
また書き損じた。今日で六回目だ。消しゴムでかき消せなければ上から修正テープで隠せば良いだけ。それだけのことなのに、無性にイライラする。行き場のない衝動で机を殴る。皮と骨だけの腕から繰り出されるそれは跳ね返され、私だけが傷つく。
「ぃって! …………があくっそ仕事になんねえぇ!」
タイマーの鈴が鳴ったのでしばし休憩。自己啓発界隈界隈で擦り続けられたポモドーロテクニックを採用してみた。効果はいまひとつ。タイマーをセットしても、そのタイマーの存在ごと忘れてしまうので集中力が倍増するなんてことは起こらなかった。
ほつれと赤黒い体液跡が目立つラグマットに転がる。天井のクロスとクロスの狭間にツーッと通っている分割線が視野に移り込む。瞼を閉じて神経を休めたいけれど、眼底をジンジンと圧迫するような感覚が邪魔をする。嘆息を吐く。されども完結の兆しは訪れない。
小説を書く行為は抑うつの発症と密接に関係しているのではないか。これを長いこと続けていると次第に希死念慮に発展し、ひいては自死に繋がってしまうのではないか。著名な作家が服毒や入水などといった行動に走るのも一理頷ける。
自分はもしかして今、とてつもなく愚かなことをしでかしているのでは?
同年代の子はアルバイトに精を出したりグラウンドで汗を流しているのに、私ときたら努力らしい努力もせずに涼しい部屋でのうのうと寝転がって辛いだの苦しいだのほざいている。
「社不だ」
小説を正常な人間が綴るのは不可能だ。ありもしない架空の出来事に一喜一憂して何年も、何十年も歳月を費やすのであれば、その時間で資格取得のため勉学に励んだり親しい友人との談笑に回すだろう。正常ならば。
私にはできない。耐えられない。私は、いついかなる時も架空の世界をでっちあげオリキャラを錬成しては試練を思いつくだけぶつけて主人公たちがもがき絶望する様を観察しながら愉悦することにしか興味を示さなかった。悪魔に魂と視力を捧げ等価交換で己が切望した作品を得る。これが創作の本性だ。
物書きなんて目指さない方が良いに決まっている。手を動かさなければまず完結しない。書いたところで一向にできないのもまた然り。何かの間違いで床に臥してるだけで出来上がらないだろうか。切実に願ってる。それか三島由紀夫先生のような語彙は要らぬので無尽蔵のスタミナと疲れ知らずの眼球を所望したい。
書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いてもかいてもかいてもかいてもかいてもかいてもッツ! 一ッ向に! 完成しない! 焦燥。ペンローズの階段を永遠に徘徊してる気分だ。特に執筆活動はラストまで書き切ってから経験値が一括で振り込まれるシステムを採用している。なので投資した時間を回収するために躍起になる。というか長編小説も後半になってくるとサンクコスト効果で後に引けなくなる。作家に課せられた呪縛みたいなものだ。
スマホが小刻みに振動する。私の意に反して時の流れは待ってくれない。体重で座高がリフトダウンする椅子に自分を縛り付ける。万年筆が見当たらない。さっきの癇癪で落としたのか。足元を隈なく捜索すること暫し。壁掛けの秒針が鳴る。頭蓋で反響しているのではないか。やけにうるさい。
あった。配線と埃が絡んだ、奥まった場所に転がっていた。ペン先から流血していた。急いでちり紙を当てがい洋墨を拭う。懸命に止血措置を取っているはずなのにインクは溢れる。サッサと横方向に吸わせるイメージで拭き取り、ようやっと金属の表面にFと笑顔が可視できるまでに寛解した。休んでる暇はないぞ。筆を構え、とにかく書き進めるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます