18話
「は」
衝撃だった。目の前で起きている事象が飲み込めなかった。理解できなかったし、したくもなかった。
苦労して描いた看板が白一色に塗りつぶされていた。段ボールで誂えた樹木や岩なんかの大道具が悉く破壊されて紐で縛られていた。
「ちょ、ちょっと! 何してんのよ! ねえ!」
「何って、文化祭の準備」
悪びれる様子もなく言い放つ。
「準備だったらもうほとんど終わってたのに! なんでやり直そうとしてんのよ!」
渡辺さんが声を荒げる。怒ってくれてるのかな。私のために。
「だってサイトーの、つまんねーじゃん」
え。
「なんか、書いてあることよくわかんねえし。出てくる──」
ここから先は記憶は虫喰いになっている。あまりのショックで気が動転していたのか、はたまたショート寸前まで回らない頭を動かして意識を保っていたからか。
「お前らもうなんもしなくていいから!」
「全部オレたちでなんとかするし」
「そんな、そんな言い方ないでしょうよ! ほら優花も、って! 優花どこ行くの!?」
後はよく覚えていない。教室を飛び出した初めは走って学校を離れたけど、ゼエゼエ息を上げてしまいヨタヨタフラフラしながら一心不乱に駅に向かった。表示も見ずにホームに停車した列車に乗り込んだ。自宅のすぐ横を通り過ぎたから、余計に見窄らしい気持ちになった。
帰路の途中、涙は一滴も流さなかった。自分の部屋に戻ってもそれは変わらない。何も感じなかったわけではないものの、率直な感想としては「呆れた」といったところか。それ以下でもそれ以上でもない。仕方のないことなのかな。そんな感じだ。不思議と自分ごととして捉えられないでいた。
非常に複雑な、筆舌に尽くし難いというのか。謎の虚無感と脱力感が全身に覆い被さっている。そう表現するしかなかった。
この不明瞭な感情の正体に見当がつくのに時間はさほどかからなかった。夕飯のカレーを平らげてからリビングの固いソファで暇を持て余していた時だ。大量の宿題も片付けてしまったし、文化祭は私に一切の関わりがないイベントと化してしまったのだ。はてどうしようかとボケていたら固定電話の着信音が聞こえてくる。お母さんは皿洗いで手が離せそうにもないので私が出ることにした。番号は学校からだった。何事かと冷や汗が背筋を伝う。しかし普段は滅多に起こらない異常事態であることは確かなのだ。コールが消えてしまわないうちに、意を決して受話器を掴んだ。
「────斉藤さん、本当に、貴方の台本を使わなくても構わないのね?」
構うも何も、当事者直々に戦力外通告を突きつけられたのだ。受け入れる他あるまい。
「……ええまあ。はい。劇が面白いものになれば、私はそれで」
どうでもよかった。文化祭は仮病を装って欠席しよう。私に居場所はなかったんだ元から。
「そうですか…………わかりました。斉藤さんの同意の下であれば心配ありませんね。夜分遅くにごめんなさいね」
「いえ」
程なくして通話は終了した。受話器を戻して張り詰めた呼気を排出した。
「なんだったのー?」
「あー、んと、その」
「早くしゃべって。こっちは忙しいんだから」
「……忘れ物、預かってるから休み明け取りにこいだって」
嘘をついた。私の嫌いな嘘だ。
部屋に閉じこもって寝具の上で体育座り。ライトはつけないで真っ暗闇。その昔、囚人だとか奴隷だとかの座り方とされていたらしい。両腕で対の脚をギュッとホールドして、額を膝小僧にピッタリとくっつける。いっとう惨めな心持ちになった。
もういっそのこと、筆を折ってしまおうか。
読み手から必要とされず、それでいてつまらない。あんなに長時間注ぎ込んだ結果がつまらないの、たった五文字であしらわれた。死んでしまいたい。死んでしまいたいけれど、実行する勇気もなければ元気もないので私はのうのうと呼吸しているし、心臓を躍動させている。私は何者にもなれない半端者だ。誰か殺してくれ。
作家を殺すにはピストルや刃物の類はいらない。「君の話は面白くないや」この一言で巷の中堅作家までなら簡単に自滅させられる。
これからは小説、いいやライトノベルから距離を置いて人生を歩んでいこう。書きも読みもしない。以前まで浪費していた時間を有効活用できる。我ながら最高のアイディアだ。何の役にも立たないファンタジーなんて見向きもせずに現実を直視しよう。数学を克服したり、対人スキルを改善したり。やるべきことはたくさんあったのに、なんで今まで意識の範疇にさえなかったのだろう。
「そうだよ……いっぱい勉強して、いい大学行っていい会社に入って。そうした方がいいじゃん。親も安心………………」
目頭が熱くなる。鼻腔がツンとする。なんで。ボロ、ボロと目から汗が。止まらない。鼻水も垂れてきた。ティッシュ箱を手繰り寄せてかんでみるものの、次から次へと製造されているようで処理が追いつかない。
放り投げた携帯のディスプレイがぼうと光った。また着信だ。今度は渡辺さんからだった。
「ねえ。さっき、先生から電話来なかった?」
「うん」
「……正直、優花はどう思う」
「別に何も」
「そんなわけないでしょ!」
間髪入れずに一喝された。なんで、なんでそんなに熱くなれるの。
「悔しくないの!? 今まであんな頑張ってきたのに、あんな言い分おかしいでしょ! それにアイツらネットで拾ったのまんまだし!」
「くやしぃ。くやしいよ私だって………………」
自分が恨めしい。情けない。他人の目に怯んで伝えるべきことも口に出せず終いにはどうでもいいと自分の方を言い包めて困難から逃げようとして。
「あたしは好きだよあの脚本! そりゃチャイコフスキーのと比べたらずっと素人臭いけどでも! ちゃんと楽しかった!」
そして何より、あの物語を待ち望んでいる人をまた見捨ててしまった。何度同じことを繰り返せば気が済むのだろうか。剰え自ら断筆しようと目論んでいたのだ。
やり直したい。できることなら。
「私だって、あの舞台の完成形、見だがった!」
色んな感情ををぐちゃぐちゃ綯い交ぜにして吐き出した。すると、渡辺さんがだったらと話し出した。
「それでさ、ちょっと考えがあるんんだけど」
続けられたのは、再トライの方法だった。観桜祭で企画を応募するのはクラスや部活動などの団体にのみに許された特権ではない。個人枠という選択肢がある。私の学校に通う生徒限定で解放されていて、主に友達とコントやコピーバンドをするために用意されている。個人枠には大きな特徴があって。まず募集期間が文化祭当日から起算して二日前までとかなりギリギリまで粘ってくれていること。そしてもう一つが…………。
「いやいやいやそれって、外でやるやつですよね!?」
「うん。ちょうど持ち時間も二十分弱だし。捉え方を変えればアイツらよりよっぽど出来のいい舞台にできる。完成形、見たかったんでしょ。見ようよ。一緒に」
そう。個人枠で与えられるスペースはグラウンドに設営される特設ステージの上で完結させる必要があるのだ。周辺にはガスなんかを扱う飲食系の出店が立ち並ぶはずだし、必然的にギャラリーの規模も膨らむことになる。
これまでだったら即刻拒否している案件だ。だけど今は違う。頼りにしてくれる人がいるんだ。私の作品を心待ちにしている人がいるんだ。一度きりのチャンス、手放すもんか。次は逃げない。次は負けない。
丸めたちり紙の残骸を片付ける。うるさいからと停止していたエアコンも再び回して快適な環境を整えた。極力普段通り、いつも通り。思考は冷徹に、闘志は滾らせて。とっくに闘いは始まっているから。
「……わかった。やろう。一緒に!」
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