9話
ガラガラキイキイと金切り声を鳴らす。割れたタイル張り。挨拶は渡辺さんにお任せしてしまったが、さすがは完璧超人。難なくこなしてくれた。クーラーの効いた部屋に侵入する。何かの政治的な暴徒集団に対抗する意図でもあるような鉄扉の先、普段立ち入ることを禁じられている大人しかいない部屋で長谷川先生の検閲を受けていた。
「うん…………うん。とても上手くできてます。斉藤さんは国語得意ですもんね」
「あっいえそれほどでも」
自身の創作物を他人に公開するのはかなり恥ずかしい。読書感想文などタスクとして与えられた作文は出さないと評定がもらえない上みんな出すものなので羞恥心が刺激されることはほとんどないけど、今先生が注視しているそれは私が好き勝手に書き散らしたもの。創作という行為は自分の内側にあるドロドロとした、コールタールのような何かをひけらかすものだと捉えている。その粘液は一度身にまとっている甲冑なり衣類なりを全部脱ぎ捨てて素っ裸になる必要がある。大抵の場合は源氏名としてペンネームを盾に活動しているが、稀に本名でストリップショーに出演する猛者もいる。おそらくは鍛え抜かれた美しい文体と計算ずくの卓越した筆力に並々ならぬ確信と矜持があるので実名でも作品を公表することにためらいがないんじゃないかな。それか精神的な露出狂なのか。私に当然そんな勇気はない。
まだ物書き初心者の頃、使わない方眼ノートに自分で産み落とした物語の体裁を保っていない何かを目にして戦慄した覚えがある。作業中はある種の興奮状態に陥るのでその瞬間は芥川賞だろうがピューリッツァー賞だろうが余裕で制覇できそうな感じがするけど、翌日に冷静な頭で見返そうとすれば耳たぶまで真っ赤にして呻きながら点検作業を行なっていた。本来であればもう少し凝った、型を破ったお話を組み立てたいけど。ここでは我慢。なんせ実名が出るのだ。叩かれた時のダメージがもろに跳ね返ってくる。公共の場で作家性を発揮することは自爆テロに近い。であるから国が税金まで投入して美術館などの施設に隔離するのだけれど。なるだけ当たり障りのないものを提供して凌ぎたい。なのでこの反応でやっと背負い込んだ業を一つ降ろせたような感じがした。それにお世辞だとしても、人から褒められるのは嬉しいこと。ニヤけてしまいそうなのを必死に堪える。この反応なら初期案のまま認められたってことで良いのかな。
「ただ、その。タイトルは考え直した方が良いんじゃないかしら」
「え」
「あたしもそう思います。要素詰め込みすぎですよね。題名百文字超えとか、聞いたことないです」
想定していなかった指摘に身がたじろぐ。なんかまずいことしたっけな。
「内容自体は素晴らしいから、渡辺さんやクラスの友達と話し合うなどして、おいおい決めてください。ゆっくりで良いですからね」
「はっ、はぃ……」
そんな。バチバチにイカしてる題目だと思ってたのに。一気にメンがヘラってきた。私は、というよりも創作初心者は自身が関わった作品に自我も封入するので作品に批判的な意見をぶつけられると自分の人格が否定されたような錯覚に陥る。自己と成果物の切り離しがまだ上手にできない故の弊害。理性でどれだけ理解しようとしてもバカだから感情的になってしまう。私はその気にさえなれば永久に一人反省会を開催するのだ。可及的速やかにこの性格を矯正したい。
「────ですから、この予算は大切に使ってください」
「ふぇ?」
ですから? 一体何の話だろう。不意に茶封筒を渡された。中を開けて確認してやれば、そこには恐ろしい額の銀行券が収められていた。
「ににに、二万!? えぇ!?」
封筒の口から諭吉さんがこんにちわしているのを傍目に思考を加速させる。私が気を散らしてる間に何が起こった? …………お小遣い換算で一年と八ヶ月分だと!? 嘘だと言って、あり得ない! おかしい。絶対におかしい。こういうのには裏があるって、私動画の広告で見たことある。法外な金銭の受け渡しってことは、イリーガルなお仕事の前金だったり? わ、私にできるかな。失敗したら。もう二度とお天道様の元を歩けなくなっちゃう………………!
「ぇ、えと、誰を殺めてくれば…………」
「はい?」
渡辺さんが笑いを堪えてる。我慢ならなかったそうで腹を抱えていた。
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