第29話 地下牢にて

「うわー、凄い湿気……」


 ドワーフたちが築き上げた巨大な地下城塞。

 その下方には天然の洞窟をそのまま活用したらしい大きな地下牢があった。

 壁は鍾乳洞そのままで、落ちくぼんだ所に鉄格子が埋め込まれているようである。

 どこかから地下水が染み出しているのだろう。

 そこら中に苔が生えていて、黴のような匂いが充満している。


 うへえ、こんなところに居たら肺がやられちゃいそうだな。

 鼻のいいフェルに至っては、さっきからすごい嫌そうな顔をしている。

 ったく、これじゃ健康に悪いよ!

 思わず文句の一つでも言ってやりたいところだが、あいにく今の私たちは囚人。

 有無を言わさず、一番奥の牢屋の中へと突っ込まれる。


「大人しくしているんだな」

「へいへい」


 私が抵抗する素振りを見せないことに安心したのだろう。

 私たちをここまで連れてきたドワーフの戦士は、すぐに来た道を引き返していった。

 やがてその背中が見えなくなると、すぐにイルーシャがぷくーっと頬を膨らませる。


「……もう、ぜんぶララート様のせいですよ!」

「わんわん、わん!」

「いやー。まさか、王さまが真実を認めないなんて」

「彼らからすればそう簡単に受け入れられませんよ。自分たちを長年支えてきた黄金石がエルフによって作られたなんて」

「そんなに嫌なものかなぁ……。私はむしろ素敵だと思うけど」

「……素敵ですか?」


 イルーシャはきょとんとした顔で私の方を見た。

 私は黄金石がある方向を見上げると、遥か遠い昔に思いを馳せる。


「エルフとドワーフの戦争はお互いに多くの血を流す凄惨なものだったって伝えられてる。そんな戦争の直後に、敵対していたドワーフのために魔道具を作ったエルフがいたんだよ? しかも、長い年月を超えた先に両者が和解することを期待した仕組みまで用意してさ。それってすごいロマンチックだと思わない?」

「言われてみれば……そうかもしれないですね」

「でしょ? それをあの王さまときたら、台無しにするようなことを……」


 文句を言いながら、私は地下牢の床に腰を下ろした。

 いや、床というよりも地面と言った方が適切だろうか。

 お尻を推そう冷たさに、気分がますます盛り下がる。


「これからどうなるんでしょうね?」

「わうぅ……」

「王さまの言っていた通り、領主さまの迎えが来れば引き渡されるはずだよ。むしろ、問題はその後だろうね」

「ドワーフの国でやらかした私たちを、領主さまがどう扱うかですか」

「依頼未達成で冒険者ギルドから除名……ぐらいならいいほうだろうね、たぶん」

「まずいじゃないですか! 冒険者の身分を失ったら、魔法が使えなくなっちゃいますよ!」

「そだねえ。いっそ、三人でアウトローとして生きていく?」


 私とイルーシャ、そしてフェルの実力は恐らく世界でもずば抜けている。

 その気になれば、裏社会でも余裕で生きていけるはずだ。

 異世界アウトロー生活なんて言うのも、案外悪くないかもしれない。

 ……まあ、私はともかく生真面目なイルーシャがそんな生活になじめるわけないか。

 アウトローといった途端に、こちらを見る目が冷え切っている。


「冗談だって。そんなマジな顔しないでよ」

「いまのララート様ならやりかねないと思いましたので」


 流石は長年付き合ってきた愛弟子、私のことを実によくわかっていらっしゃる。

 まるで熟年夫婦のような阿吽の呼吸だ。


「……まあ、きっと大丈夫だよ。何とかなるって」

「もう、呑気なんですから」

「騒いでもお腹が減るだけだよ」


 そう言うと、私は壁に思いっきりもたれかかった。

 こういう時こそ落ち着いてどっしり構えることが肝要なのである。

 そうしていればきっと道が……。


「お、さっそく誰か来るみたいだよ」


 私の考えの正しさを示すかのように、ギイイッと重々しい音が聞こえてきた。

 牢獄と上階を隔てる扉が開いた合図である。

 やがて小さなランタンを手に現れたのは、何とも弱り切った様子のモードンさんであった。


「……モードンさん」

「まったく、あなた方には困りましたよ。王城に侵入した挙句、あのようなことを言うなんて」

「そう言って、本当は私に真相を突き止めて欲しかったんじゃないの?」


 昨日の夜、私はモードンさんに手出しをされないようにフェルに見張りを頼んだうえで眠りについた。

 しかし、彼が本気を出せばいくらでも私を止める方法はあったはずだ。

 それこそ戦士団にでも通報して、家を取り囲んでもらえば良かったのだ。

 今朝だって、何だかんだ私たちを本気で止めようとはしてない感じだったし。

 イルーシャの二日酔いだって、かなり胡散臭かっただろうしね。


「ええ、私としてもあの古文書には少し違和感がありまして……」

「魔法の専門家の私に見て欲しいって思った。だから、止めなかったってわけだ」

「そんなところです」


 そう言うと、モードンさんは懐から小さな包みを取り出した。

 やがてその中から、美味しそうな串焼きが出てくる。

 焦げたキノコと油の香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。


「キノコとトカゲ肉の串焼きです。美味しいですよ」

「おお! こりゃいいね!」


 お腹が空いてきたところに、何ともナイスな差し入れである。

 私はすぐに六本あった串焼きを受け取ると、すぐさま二本ずつ分けることにする。


「はい、イルーシャの分」

「私はあまりお腹が……」


 そう言って断ろうとするイルーシャだが、ここで彼女のお腹が大きく鳴った。

 ゴロゴロとしたその音は、さながら巨獣が唸ったかのよう。

 イルーシャの華奢な体格にはおよそ似つかわしくない音だった。

 ……そう言えば、酒に酔ったせいで昨日の晩ご飯はほとんど食べてなかったっけ。


「…………ください」

「素直でよろしい。フェルもほら、食べな」

「わん!」


 私達が食べるよりも先に、フェルが勢いよく串焼きにかぶりついた。

 精霊獣といえども、獣の姿をしているだけあって本能には忠実なのだろうか。

 前足を使って器用に串焼きを食べるその姿は、何とも食欲をそそる。


「いっただきまーす!」

「いただきます」


 私とイルーシャはほぼ同時に串焼きにかぶりついた。

 おおおぉ……こりゃまたいいね!

 まず漂ってきたのは炭火独特の香ばしく豊かな風味。

 それにやや遅れて、キノコの香りが鼻を抜けた。

 もし私が一流のソムリエならば、大地の恵みを感じさせる芳醇な香りとでもいうのだろうか?

 前世の私が一度だけ食べたことのあるトリュフ。

 あの匂いによく似ていた、それも比べ物にならないほどに濃厚だ。


「んん~~!! このお肉もいいね!」


 さらに秀逸だったのは、このトカゲ肉だ。

 濃密な旨味のある赤味の肉で、牛タンのようなサクサクとした独特の食感だ。

 とろけるような和牛も素晴らしいが、赤味のお肉もいいんだよねえ。

 この歳になると脂の重さもちょっと感じるし……。

 いやまあ、ララートちゃんは肉体的にはお子様なんだけど。本当に永遠の十七歳なんだけど 。


「おいしいです。この間のお肉とはだいぶ違いますね」


 頬っぺたを抑えながら、静かな口調で告げるイルーシャ。

 目を細めてゆっくりゆっくりと食材をかみしめるその表情は、まさに幸せそのもの。

 先ほどまでの憂鬱な顔が嘘のようだ。

 やっぱり、腹が減っては戦はできぬって言うのは心理だね。


「あれだけお肉が嫌いだったイルーシャが、もうすっかり虜だねえ」

「もともと、お肉が嫌いだったわけではありませんよ。掟があるから控えていただけです!」

「実は食わず嫌いだっただけじゃ?」

「違います!」


 私がからかうと、イルーシャはムキになって怒った。

 相変わらず、分かりやすい性格をしている。

 ま、それがイルーシャのいいところでもあるんだけどね。


「食後はこれを。黒茸茶です」

「また魔石の粉が入っていたりしない?」

「もうそんなことはしませんよ」


 差し出された飲み物を口に入れると、何だかウーロン茶みたいな味だった。

 独特の苦みがあって、ちょっと薬膳っぽい。


「ん、おいしい」

「気に入ってもらえたようで」

「悪いね、飲み物まで差し入れして貰って。むしろ、よく持ってこれたね」


 一見して洞窟のようだが、ここは城の下にある牢屋である。

 当然ながらここへ来るまでに衛兵たちによる持ち物検査があることだろう。

 こんな贅沢な差し入れ、よく持ってこれたものだ。

 私が少し感心していると、モードンさんがそれは違うとばかりに首を振る。


「いえ、持ち込むのは簡単でした。どうやら、王はあなた方のことを――」


 モードンさんが何事か伝えようとした瞬間であった。

 急に大きな地鳴りのような音がして、地面が揺れた。

 ――ドスン、ドスン!

 その後も周期的に音が聞こえてきて、そのたびに洞窟全体が微かに揺れる。

 これは……いったい……!

 嫌な予感がしつつも、何が起こったのかわからない私たちはすぐさま顔を見合わせた。

 するとここで、モードンさんがつぶやく。


「アースドラゴンだ……! あの怪物が、また国を襲いに来た……!」


 眼を見開き、絶望に顔を染めるモードンさん。

 乾いた声が、揺れる洞窟に良く響いたのだった――。

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