第20話 美味、温泉卵!
「お、着きましたね」
あれこれ話しているうちに、とうとう私たちは通路の終わりへと到着した。
巨大な縦穴の底は鉱石採掘の基地となっているようで、そこかしこに鉱石が山と積まれていた。
そして採掘した鉱石をその場で選別、加工しているらしく立派な工房らしき建物がいくつもある。
さらに、選別の過程で水を使っているのだろう。
壁面から引き込まれた水が、一部で滝のように流れ落ちていた。
松明の明かりに照らし出されたそれらは、何とも幻想的で迫力がある。
「へえ、こりゃまた凄いね。ここで採掘から加工までやってるんだ」
「ええ。上へ鉱石を移動させるのは大変ですからね」
「あそこの大きな煙突がある建物は何ですか?」
イルーシャがひときわ大きな建物を指差していった。
レンガ造りの重々しい建築で、壁際には長方形をした炉のようなものが据え付けられている。
その炉からは壁に向かって長い長い煙突が伸びていた。
「金属を溶かす工場ですよ。あそこでまとめてやってるんです」
「へえ、でもこんな地底でそんなことしたら空気がなくなっちゃうんじゃない?」
「それは心配いりません。あの煙突でしっかりと吸気と排気ができる構造になってるんですよ」
なるほど、流石はファンタジー世界。
日本人の感覚では危なっかしく見えるが、安全は確保されているらしい。
ドワーフたちも伊達に数百年もここで暮らしていないというわけだ。
「なら、あの川はどうなってるの?」
「この先に地底湖がありましてね。そこへすべて流しています」
「地底湖が溢れちゃうことは?」
「どこかへ抜けているようで、それはありませんね」
ふむふむ、ならとりあえず持続可能な状態ではあるのか。
「足湯はこちらです。坑道の少し奥にあります」
こうしてモードンさんに続いて、鉱山の中へと入っていく。
ドワーフサイズなだけあって少し天井が低いが、坑道の構造はかなりしっかりとしていた。
要所要所に支え木があり、壁も滑らかに掘り抜かれている。
ドワーフらしい丁寧な仕事ぶりが伺えた。
「鉱山って言うとちょっと不潔なイメージがあったんですけど、けっこう綺麗ですね」
「うん、掃除もしっかり行き届いてる」
「我が国の親方衆はしっかりしてますから。ここ百年、事故などとも無縁ですよ」
「へえ、そりゃすごいね」
昔の鉱山なんて、落盤事故と隣り合わせの命がけの現場のはずなのに。
ドワーフの技術は全く大したものである。
この分だと、無茶な開発をしてアースドラゴンを目覚めさせたって人間の言い分はなさそうだな。
ドワーフは鉱山開発のプロ中のプロ、そんな間違いは犯さないに違いない。
「さあつきましたよ、ここが足湯です」
「おぉ!!」
狭かった坑道が一気に広がり、縁を大きな岩で囲んだ湯舟が目に飛び込んできた。
へえ、これが足湯かぁ!
一気に十人ぐらいは入れそうな広さだ。
というか、足湯というよりも露天風呂か何かに近い作りだな。
ほのかに硫黄の香りが漂ってきて、ここにいるだけで癒されそうだ。
近づいてみると、お湯は白く濁っていて手を入れると少しピリッとした感じがする。
「あー、なんか草津とかそっち系かな」
「クサツ?」
「ああ、別に何でもないよ。それより早く入ろ」
私は履き物を脱ぐと、すぐさまお湯に足を入れた。
あっつ!
あー、でもこの熱さが気持ちいいんだよね……!
お湯に浸かった足先から、疲れがすーっと抜けていくようだ。
やがて全身の血行が良くなって、少し火照った感じがしてくる。
「いい湯だなぁ……。ほら、イルーシャも」
「は、はい」
少し戸惑いながらも、イルーシャも履き物を脱いで裾をまくった。
そう言えば、イルーシャはこれが温泉初体験なのか。
森には温泉なんてなかったし、今まで訪れた町にもなかったからね。
「あちゅっ!」
お湯に足を入れた瞬間、可愛らしく悲鳴を上げたイルーシャ。
あー、けっこう温度は高めだしそうなっちゃったか。
足がピンっと伸ばされ、水がバシャッと跳ねる。
「大丈夫だよ、すぐに慣れて気持ち良くなるから。ゆっくり入れて」
「……んん!」
再び、ゆっくりと足先からお湯に入れていくイルーシャ。
先ほどよりもゆっくり、そして慎重に。
すると次第にその表情がほぐれて、何とも気持ちよさそうなものとなっていく。
「凄い気持ちいです、ララート様……」
「でしょ? これが温泉の良さなんだよ」
「この温泉は我が国の自慢の一つですからね。そうだ、せっかくですしこれも食べて行ってください」
そう言うと、モードンさんは近くにある井戸のような形をした源泉へと向かった。
そしてそこから、網に入った白い何かを引き上げる。
おお、あれは……温泉卵だ!
「これに軽く塩をかけて食べるとおいしいんですよ」
小さな器を取り出すと、モードンさんは卵を割って入れた。
そしてそれを、モードンさんは飲み物のようにつるんっと口に入れた。
「うわ、いいね! ちょうだい!」
「ええ!? ララート様、あれを食べるんですか!?」
「いやだって、美味しそうじゃん」
「ダメですよ、生の卵なんて食べたらお腹壊しちゃいますって!」
ああー、そうか。
日本と違ってエルフの里じゃ生の卵なんて食べないもんね。
「大丈夫だよ。ちゃんと火が入ってるから」
「本当ですか……? うーん……」
懸念が拭いきれないのか、イルーシャは渋い顔をしていた。
そんな彼女をよそに、私はモードンさんから受け取った卵を割る。
「うーん、ちょうどいいゆで具合!」
器の上で踊る温泉卵は、何ともいいゆで具合であった。
白身の奥に隠された黄身は赤みが強く、さながら宝石のよう。
それに渡された塩をひとつまみ掛けると、そのままつるんといただきます!
「んん~~! とろっとして濃厚! この岩塩もすっごいいい感じ!」
口いっぱいに広がった濃厚な黄身の旨味。
少し強めの塩味でまとめられたそれは、食べてしまうのが惜しくなるほど。
このままずっと口に入れていたいという感覚にさせてくれる。
それでいて、白身のつるっとした食感が喉に心地よい。
「そんなにおいしいんですか……?」
「食べる?」
「…………食べます」
「はい、どうぞ」
私は卵を割って器に入れると、すぐイルーシャに手渡した。
イルーシャはおっかなびっくりと言った様子ながらも、塩をかけてゆっくりと温泉卵を食べる。
「んっ、これは……! 卵ってこんなにおいしかったんですか……!」
見知った食材の見知らぬ味に、イルーシャは大いに驚いたようであった。
彼女は大きく目を見開くと、残っていた温泉卵を一気に呑み込んでしまう。
「この塩味の利いた濃厚な黄身は、最高ですね……!」
「そこまで喜んでいただけると、こちらも嬉しいですよ」
こうして温泉卵を食べた私は、足を湯船に入れたまま上半身を倒してゴロンと横になった。
火照った身体に冷たい地面が触れて、すっごく気持ちがいい。
するとここで、何故か私たちから距離を取っているフェルの姿が目に飛び込んでくる。
「あれ、フェルどうしたの?」
「わううぅ……」
「もしかして、熱いお湯が嫌?」
私がそう言うと、フェルはうんうんと頷いた。
あー、そう言えばフェルはすごい暑がりだったっけ。
身体を洗う時も、だいぶぬるいお湯を使ってたはずだ。
「ちょっと待ってて」
私は土魔法を使うと、周囲の岩壁を少し拝借して大きな桶のようなものを作った。
そしてそれにお湯を入れると、風魔法で適温になるまで冷ます。
「ほら、これで入れるでしょ?」
「わん!」
桶の中にザブンッと飛び込むフェル。
たちまち、その顔が気持ちよさそうに緩んだ。
脱力しきったその表情は、何故だかちょっとおじさんっぽい。
リラックスした人や動物は、おじさんに行きついてしまうのか……?
そんなしょうもない考えが脳裏をよぎってしまうほど、フェルはおじさんしていた。
「しかし、こんないい場所が貸し切りなんてついてるねえ」
「無理もありませんよ。上層で崩落が起きて、今はそっちの復旧に人が割かれていますから」
「ひょっとして、アースドラゴンのせいですか?」
イルーシャがそう尋ねると、モードンさんの表情が曇った。
どうやら、結構大きな被害が出たようだ。
「ええ、上層の三分の一ほどがやられてしまいましたよ。もっとも、上層は住民が少ないので人的被害の方は大したことなかったんですがね」
「三分の一って相当だね。上層って確か、お城のある場所でしょ? そこは大丈夫だったの?」
「城は特別頑丈に作られていますから、平気でしたよ」
「不幸中の幸いってやつだね」
まあ、城に被害があったら今頃はもっと国が混乱しているだろう。
とはいえ、貴族階級の集まっている上層の三分の一に被害があったとはなかなかだ。
「ララート様、現場を調査した方が良いのでは? アースドラゴンの手掛かりがあるかもしれませんよ」
「そだねえ。だいぶゆっくりしたし、ちょっとは仕事しますか」
わざわざ土産物も持たせてもらったし、流石に観光だけして帰るのはまずいだろう。
アースドラゴンの手掛かりを探って、さっさと討伐しちゃいますか。
お楽しみのアースドラゴンステーキもあることだしね!
「モードンさん、私たちをその現場に連れてってよ。調査したいから」
「わかりました」
「あ、ついでにお城見学したいんだけどダメ?」
「申し訳ありません、それはちょっと……」
「ララート様!」
マジな顔をして怒るイルーシャ。
いやいや、ちょっと言ってみただけだって!
ちゃんと仕事はするから!
結局それからしばらくの間、私はイルーシャのじと目に耐えて歩くはめになったのだった。
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