第4話 王国の洗礼
フェルの背に乗って進むこと数日。
私たちはとうとう森を抜けて、人間たちの住む街へとやってきた。
城壁に囲まれた町は里とは比べ物にならないほど大きく、木と漆喰で出来た家々が隙間なく連なっている。
そして、通りを歩く人、人、人。
大通りの端には露店が並び、商人たちが威勢よく呼び込みの声を上げていた。
流石に日本とは比べるべくもないが、エルフの里よりは圧倒的に活気のある風景だ。
「……すごいですね」
「イルーシャは人間の国へ来るのは初めてだっけ?」
「はい! というか、ララート様は来たことあるんですか?」
「前に一回だけ」
……本当は、転生してから一回もない。
基本的にエルフは産まれてから死ぬまで森で過ごすからね。
実は、エルフが里を出て旅することを制限する掟はないのだけれど……。
排他的なところのある種族だし、何よりみんな里が大好きだからね。
里を出て外に旅立ったエルフは、私たちを除いてここ数百年で一人か二人だろう。
とはいえ、人間の国へ来たことが一回もないというといろいろ齟齬が生じそうなので敢えて一回はあるということにした。
日本も人間の国なんだから、まあ間違いじゃない。
「うわー、見てこれ! 美味しそう!」
「なっ! それ、お肉じゃないですか!」
炭火で焼かれていた何とも旨そうな串焼き。
私がそれを指差すと、イルーシャはたちまち目を丸くした。
彼女はたちまち、ぶんぶんと首を横に振る。
「いけませんよ! 森で肉食は禁止です!」
「ここ、森じゃないじゃん」
「そうですけど……あっ!」
止めようとするイルーシャをよそに、私はさっそく串焼きを頬張った。
ああ、美味しい! 生きてるって実感する!
こうして私が幸せをかみしめていると、露店のおっちゃんが言う。
「お嬢ちゃん、いい喰いっぷりだねえ!」
「うん! おじさん、エールちょうだい!」
「んん? その年で飲むのかい?」
見た目が小さいからか、怪訝な顔をするおじさん。
すかさず、私は長い耳をピンっと指ではじいて言う。
「エルフだからね! ちょうだい!」
「そうかい、んじゃ遠慮なく」
トクトクと木のジョッキにエールを注ぐおじさん。そりゃ、ここでお酒があったら飲まないわけないでしょ!
さっそく彼おっちゃんからジョッキを受け取ると、琥珀色の液体をグイッと決める。
「うは、冷えてる!」
驚いたことに、エールはとてもよく冷えていた。
キンキンに冷えたエールの苦みが、心地よく脂を洗い流していく。
のど越しもさっぱりとしていて、切れのある辛口といった感じだ。
まさか、異世界でこんないいお酒が飲めるとは!
これは里を追放されて、むしろ良かったかもしれない。
「優勝、優勝だよぉ……!」
「おぉ、そんなに旨かったかい?」
「うん、おかわり!」
「ダメです!」
すかさず二杯目を注文しようとした私を、イルーシャが素早く制止した。
彼女は私の手からジョッキを取り上げると、おっちゃんに返してしまう。
「お酒は一杯までにしてください」
「いいじゃん、ちょっとぐらい」
「イルーシャ様の健康のためです! 飲み過ぎは身体に悪いんですから!」
むむ、ここにきてまさかの一般論……!
てっきり、里の禁忌がどうとか言われると思っていただけに面食らってしまった。
けど、そう言われるとなかなか強くは出られないな……。
ながーいエルフ生において、健康はとても重要である。
もしも痛風とかなったらヤバイ、しんじゃう。
「仕方ない、今日のところは我慢しておこう」
「今日のところはじゃなくて、毎日です!」
「はいはーい。あ、お金出して」
「もう……」
イルーシャは不満を漏らしつつも、懐から財布を取り出そうとした。
しかし、すぐに彼女は困った顔をし始める。
「どうしたの?」
「それが、お財布が見つからないんです。ちゃんと持ってたはずなのに」
「スリにでもあったんじゃないか? この辺りは手癖の悪いやつも多いからな」
「スリ?」
「すれ違いざまに、財布とかを盗んじゃう人のことだよ」
「そんなのがいるんですか!?」
しっかりしていても、こういうところは平和なエルフの里の出身らしい。
イルーシャはとても驚きつつも、それらしいことがなかったかを振り返る。
そうしていると……。
「あ、そう言えばさっきぶつかってきた人がいました!」
「きっとそいつだ! フェル、イルーシャの匂いを追って!」
「わん!」
すぐさまフェルに頼んで、イルーシャの匂いを追いかけてもらう。
フェルの嗅覚は警察犬にだって負けないからね。
すると驚いたことに――。
「わんわん!」
「あっ!! あの人です!」
あろうことか、犯人は私たちのすぐそばにいた。
私たちが串焼きを食べていたお店から何軒か離れた露店で、呑気に果物を買ってかじっていたのだ。
財布を取られたことに、こちらがすぐに気づくとは思っていなかったのだろう。
エルフが世間知らずだと思って、完全に油断していたらしい。
全く舐めたマネをしてくれるなぁ!
慌てて走り出した男の後を追いかけ、私も全速力で走り出す。
「結構速いな!」
その逃げ足で、これまでも被害者の追跡を振り切ったのだろうか。
犯人の男は右へ左へ、さながら人混みの中をすいすいと泳ぐかのよう。
ええい、こうなったら……。
「身体強化!」
全身に魔力を行き渡らせ、身体能力を跳ね上げる。
簡単な魔力操作だが、効果は絶大だ。
ぐぐんっと加速した私は、みるみるうちに男との距離を詰めていく。
そしてさらに――。
「雷よ、走れ!」
指先から放った小さな雷。
それが男の背中に当たると、たちまち糸が切れたように動きが止まった。
どうやら、魔法に対する訓練は全くしていないらしい。
一発で全身がマヒしてしまったらしい男を見て、私はほっと胸をなでおろす。
「いっちょ上がりっと」
こうして男の手を掴んで拘束すると、すぐにイルーシャとフェルが駆け寄ってきた。
彼女は確保された男の姿を見て、すぐに顔をほころばせる。
「流石です、ララート様!」
「当然! さ、お財布返して」
「は、はい……」
もはや観念したのだろう、男は抵抗することなく財布を差し出してきた。
やれやれ、これで一件落着。
さっそく串焼き屋さんのところへ戻って、お金を払わないとね。
しかしこの犯人、どうしようかなぁ?
日本なら警察に引き渡すところだけど、この世界だと誰に預ければいいんだろう?
私が少し困っていると、やがて人混みを割って鎧を着た人物が出てきた。
「動くな! その場で大人しくするんだ」
「ああ、衛兵さん! この人、スリですよ! さっき連れの財布を盗んだので、取り押さえたんです」
「それについては既に聞いている。その男はこちらで預かろう」
「良かった、よろしくお願いします」
こうして犯人を衛兵さんに預けると、私とイルーシャはそのまま歩き去ろうとした。
だがここで、私の手がガシッと掴まれてしまう。
「待て、動くなって言っただろう!」
「え、動くなって私に対してだったんですか!?」
「そうだ。詰所まで同行しろ」
……あ、あれ? なんで私が同行を求められてるんだ?
おかしいな、特に何も悪いことはしてないはずなんだけど。
とっさに嫌そうな顔をして抵抗すると、衛兵さんの手に力がこもった。
あ、これ断れないやつじゃないか。
「……イルーシャ、とりあえずさっきのお店でお金払っといて。で、それが済んだら詰所まで迎えに来て」
「は、はい! すぐに!」
こうして私は、理由は分からないが詰所へと連行されていくのだった。
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