閑話 長老の思惑

「さて、どうしたものかの」


 時は遡り、ララートが禁を犯した日の夜のこと。

 大樹の根元にある長老の家に、里の有力者たちが顔を揃えていた。

 彼らの話題はもちろん、ララートの処分についてである。


「長老様は追放とおっしゃられたが、私は反対さねえ。ララートがいないと里の戦力はがた落ちだよ」


 最初に意見を述べたのは、長老の隣に座る老婆であった。

 薬の調合を生業とする彼女は、長老に次いで里で二番目に長生きしている。

 エルフ社会では年長者が重んじられるため、実質的に里のナンバーツーであると言えた。


「私も、ララートの追放には反対です」


 続いて、部屋の端にいた青年が声を上げた。

 この場に集った有力者たちの中では、最も年若い人物である。

 里の戦士長である彼は、ララートの里への貢献をもっともよく知る人物のひとりであった。


「ララートはここ数百年の間、守り人として里の脅威を退けてきました。特に今回襲撃してきたドラゴンは、彼女の活躍が無ければ倒すことなどできなかったでしょう。里の防衛に支障が出るかもしれません」

「戦士長がそうおっしゃられるのならば、やはり追放は適切ではないのでは?」

「だが、あれほど強力なドラゴンなどそう現れるものでもあるまい。それまでにララートの代わりを育て上げればよかろう」

「いやいや、そうは言いますがあれほどの魔法の使い手は……」


 戦士長の発言を皮切りに、激しい議論が始まった。

 エルフたちはああでもないこうでもないと、意見をぶつけ合う。


「……そもそも、肉を食べてはならぬという掟はどこから来たのでしょうか?」


 ここで、一人のエルフがそう言った。

根本的に議論をひっくり返すようなその発言を、すぐさま他のエルフが声を荒げて否定する。


「何を馬鹿なことを! 肉を食してならぬというのは、大樹様の教えではないか!」

「ではなぜ、大樹様は肉を食してはならぬと我らに教えを示されたのでしょう?」

「それはもちろん、殺生を避けるためだろう」

「ならば、ララートは咎められる必要はないのでは。彼女があのドラゴンを倒したのは、あくまで里を守るため。それで倒したドラゴンの肉を食っても、新たに失われる命はないでしょう」


 鋭い指摘に、一同はたまらず顔をしかめた。

 するとここで、長老が大きくため息をついて言う。


「そのぐらいにしておけ。エルフの身で大樹様の意図を推し量るような真似をしてはならぬ」

「……若輩者が出過ぎた真似をいたしました」

「よいよい、若いうちはいろいろと思考を走らせるものじゃ」


 そう言って場を制すると、長老は大きく咳払いをした。

 ――長い沈黙。

 こうして皆で集まって議論をしているが、実のところ、エルフ社会において長老の意見は絶対である。

 ゆえにこの最高権力者が何を発言するのか、皆は固唾をのんで見守るしかなかった。


「皆の意見を一通り聞かせてもらった。やはり、ララートの追放には反対のものも多くいるようじゃな」

「数百年に渡って、この里を守ってきた守り人ですから」

「うむ。わしもララートが英雄であることは否定せん。長らく生きてきたが、あれほど優れた魔法の使い手は他に見たことがない」

「ではなぜ、追放を?」

「そうじゃな……」


 長い髭をさすりながら、再び間を置く長老。

 いやがうえにも緊張が高まり、集まったエルフたちの額に汗がにじむ。

 そして――。


「ノリじゃ。いや、だっていきなりドラゴンにかぶりつく奴が追ったら追放って言いたくなるじゃろ?」

「ふざけるんじゃないよ、この耄碌ジジイ!」

「あたっ!」


 隣に座っていた老婆が、耐え兼ねて長老の頭をひっぱたいた。

 エルフ社会において、長老の意見は基本的に絶対である。

 しかしながら……ボケてしまった場合は、その限りではない。


「ババアなにをする!?」

「だまらっしゃい! ノリって何だよ、ノリって!」

「ちょっとふざけただけじゃろ! ジジイの可愛い冗談じゃないか!」

「ジジイが可愛い子ぶるな!」


 再びパシーンッと響く快音。

 スナップの効いた一撃はかなりの威力があったのだろう。

 長老の頬が真っ赤に染まった。

 彼はたまらず頬を手でさすりながらも、気を取り直して言う。


「……こほん。まず今回の追放についてまず勘違いしないでほしいのじゃが、これは必ずしも重すぎる罰ではないということじゃ」

「どういうことさね?」

「永久追放ではないということじゃ」

「なるほど。期間限定というわけかい」


 長老の言葉を聞いて、素直に感心するエルフたち。

 気を良くした長老はさらに続けて語る。


「加えて、ララートはいずれ魔法を学ぶためにいずれは外へ出るつもりじゃったと聞いておる。それを考えれば、里を出る時期が早まっただけとも言えるじゃろう」

「そういうお考えでしたか。ですが、追放が解かれるまでの間、ララートは無事でいられるでしょうか?」

「というと?」

「外の世界は恐ろしい人間どもの世界。我らエルフにはあまりにも過酷なのでは……」


 他のエルフたちも、この意見に同調するように頷いた。

 長きに渡って森に引きこもってきた彼らにとって、森の外はもはや未知の世界。

 加えて、野蛮な人間たちが各地に国を建てて幅を利かせているという。

 その中で、果たしてエルフが無事に生きて行けるのか。

 彼らにとっては、はなはだ疑問であった。

 すると長老は、呆れたように笑う。


「何を言うかと思えば。あれほどの魔法の使い手が、外で通用せぬわけあるまい」

「そうなのですか?」

「うむ。ララートの師であるこのわしが言うのだ、間違いない。むしろ、そうであるからこそ外に出した」


 ここで長老の表情が急に険しいものとなった。

 それを見たエルフたちもまた、姿勢を正して長老の話に聞き入る。


「わしはな、外の世界で重大な何かが起きておるように思えてならぬのじゃ」

「何か根拠はあるのかい?」

「例のあのドラゴン、異常な強さだったとは思わないか?」

「ドラゴンは強いものでしょう」

「それにしてもじゃよ。並のドラゴンならば、ララートは自爆などせずとも軽くあしらえたじゃろう」

「……何が言いたいんだい?」


 老婆が距離を詰めて、長老に迫る。

 その眼差しは鋭く、刃物のように長老を刺した。

 しかし長老はそれに怯むことなく言う。


「魔瘴に冒されていた可能性がある」


 魔瘴というのは、大地から吹き出す穢れに満ちた瘴気のことである。

 モンスターはこの中から生まれるとされているが、神聖な存在であるドラゴンがこれに冒されているのは非常に珍しい。


「何だって? ということは、まさか……」

「あれが復活するかもしれん。ララートを外に出すのは、今この世界に何が起きているのか確かめさせるためでもあるのじゃ」

「そういうことかい」

「言うておくが、くれぐれもこのことは本人には内密にするのじゃ。あの者の今の性格からして、これを知れば不用意に近づいてしまう可能性がある」


 長老の言葉に深く頷くエルフたち。

 こうしてその日の会合はお開きとなり、ララートの追放は正式に決定されたのだった。

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