2.まずい確信
バイトの休憩時間が始まるのを、ボクはスタートの合図を待つ陸上選手のようにずっと待っていた。
とはいえ、早く休みたいからじゃない。
芦田先輩と話したかったからだ。
ボクは休憩室に入るや否や、先輩に切り出した。
「あの、芦田先輩」
「なに」
「この間の話、続きを聞いてもイイですか」
「いや、なんの話。いやお前あれか、サキと一緒に丸一日買い物行った話、そんなにうらやましかった?」
「あーいやカノジョさんの話も今度聞けたらって思うんですけど」
「なんだよ」
『カノジョさんの話じゃない』と分かると、先輩は明らかにトーンダウンした。もう、ボクの存在なんて忘れてどこかに行きそうだ。ボクは慌てて言った。
「あの、この前言ってたじゃないですか。今コンビニ建とうとしてる工事現場で、女の声がするって話」
「んぁ? あー、あれな。何、肝試し?」
「行かないですよぅ」
ボクはぶんぶんと首を振った。
「行かないけど、なんかボクの友達にそういう怪談とかめちゃくちゃ好きな奴がいて」
ま、これは真っ赤なウソ。
「ちょっとこの事話したら、もっと聞きたいってねだられちゃって」
「おいおいお前、ウソつくなよな」
「え」
まずいか。そう思ったボクの肩甲骨のあたりを、芦田先輩はバァンと強めに叩いた。
「友達とか言って、カノジョなんだろお前も」
「えぇ?」
「分かるぞぉ。なんかオンナってそういう怪談バナシ好きなんだよな。めっちゃ食いつくんだよな」
「あー、えぇーうーんまぁえっと……」
ボクはもじもじと頷くことにした。
「はい、まあ実は」
「あー仕方ねぇよなぁカノジョじゃホント仕方ねぇよなぁ」
「そっスねぇ」
「お前のカノジョ、年下だっけ」
「あ、そッスね、学年1個下です」
「前写真見せてもらったボブの子?」
「そッス」
「バーガー屋で働いてるんだっけか」
一回しか話してないのにめちゃくちゃ覚えてんなコイツ。ボクは照れながら手をもじもじさせるフリをした。
「そうです、ハイ」
「あの子もそういう怪談とか好きなのかーまあじゃあ仕方ねぇなー」
芦田先輩はソーダを飲むと、足を組み替えた。
「って言っても、あれ以上話すことないけどなー女の泣き声した、ってだけだし」
「やっぱり夜ですか」
「お前そりゃ夜だよ。昼にはそんな現象起きないだろ」
いや、それは分かんないでしょうよ。
「いやーそうですよね。怖いこと起きるなら普通夜ですよね」
「おう」
「で、あのー……なんかこう、言葉とか聞こえないんですか」
「言葉ァ?」
「えーっと。うらめしやーとか」
「お前古すぎんだろっ」
なんかツボだったらしい。ぎゃはは、と笑う先輩。肩を萎ませるボク。先輩は腹を揺すってある程度笑ってから、言った。
「言葉なぁ、泣き声だったからなぁ、ずっと。あーでも、そういえばちょっと見に行ったんだよな、中を」
「え、工事現場の中ですか?」
「そんなガッツリ入っちゃいないけどさ。外から覗けるとこまで。でも、ホント中に誰かいるとかはなくってなー」
「そう、ですか」
「おう。なんかポツーンと木しか無かったよ」
ぞわり、と。ボクの全身の神経が、冷たい手で撫でられたような悪寒にざわめく。
「木、ですか」
ボクはできるだけ平静を装いながら、頷いた。
「おーそうだよ。なんか多分あそこが家の庭だったんだろうなーって感じ。敷地のギリギリだけど、なんか木だけは残ってンだよな。なんでアレ伐採しないんだろーな。コンビニ新しくしてもあの木だけは残すンかな」
「どう、なんでしょうね」
そこから先のボクは、芦田先輩の話なんて全部聞こえていなかった。なんか適当にハイとかそっすねとか、そんな言葉を適当に繰り返すだけだった。
頭の中にある言葉は一つだけ。
「まずいな、これはまずい。どうしよう」
「どうしたんだよ木之本チャン。顔色悪いぞ」
と言われ、ボクは「あの、ちょっとお腹が」とか情けなく答えた。それに対して芦田先輩が「おいおい大丈夫か」と言いながら財布から取り出したのは、ちょっといつのものか分からないパッケージの胃腸薬だった。
「飲んどけ飲んどけ。大体のハライタはそれで効くんだからよ」
「あ、ありがとうございます」
差し出された胃腸薬を受け取りながら、でもボクには、先輩の善意に対応する罪悪感が染み入る余地も無かった。
だって、だって、どう考えても状況がまずいんだから。
とにかく、なんとかしなきゃ。
早くバイトを上がりたい。そんな思いでボクは休憩室を出た。
「あんた大丈夫ゥ? 顔色真っ青よぅ」
ベテランパートの九十九さんがそう言っているのが、他人の事のように聞こえていた。
<続>
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