6)夢間のキスと暖かい朝食
6-1 *
目覚めた時、すぐ隣に人がいるのは随分と久しぶりだった。
カーテンの隙間から入る光で、室内はほんのりと薄明るい。
ベッドの上、その傍らでは四葉が、なんとも言えず幸せそうで、マヌケな顔をこちらに向けて寝ている。
──……ヨダレ垂らしてやんの。
そっと頬をつまんでみたが、まったく起きる気配はない。
何でもないことでも大仰に笑い、怒り、悲しんで、くるくる忙しなく変わる表情は、見ていて飽きない。だから手元に置いて、ずっと見ていたくなる。
本当は、泊まり込んでまで『補給』をしてもらう必要なんてなかった。
確かに連日『仕事』続きで、霊力は完全に回復はしていなかったし、あの場での『補給』で少し足りなかったのは事実。
本来なら、昨日のうちに一度帰らせて、翌日ここにきて貰えば済む話だった。家を知っているのだから、そういうことも出来たのに。
でも、しなかった。したくなかった。
なんとなく、離れがたくて。
昨日、悪霊に襲われかけた四葉を見た時から、手元から離すのがなんだか怖くて仕方ない。
この感情は、昨日だけじゃない。たぶん、その前から。
病院でなかなか目覚めなかったのを見た時から。
夕焼け空の下で、向こうからキスをされた時から。
出会った時と違う感情で、四葉を見ている自分がいる。
──『好きになるな』なんて言ったのは、こっちなのに。
未だに寝息を立てたまま目覚めない四葉を、菖はそっと引き寄せ、ぎゅうっと抱き締めた。
四葉の髪からは普段と違う、自分の使っているシャンプーと同じ香りがして、着ているものもサイズの合わない、自分の買い置きのパジャマ。
それを思うと、自分の内壁の、ドス黒い何かを擽られた気持ちになる。
自分の顔を四葉の首筋の、後ろのほうへとすり寄せた。
本人は腕力がないのだと気にしていたが、首周りも女性よりはあるけれど、だいぶ細いほうだと思う。
その、細い首の付け根、背中の近くに唇で触れて、じぅっと肌を強く吸い上げた。
「……んぅ」
眠ったままの四葉が、腕の中で小さく身じろぐ。
身体を少し離して顔を覗いた。まだ寝惚けているのか、目が半分しか開いていない。
「……起きたか?」
「あれぇ、菖くんだぁ……」
「あれぇ、じゃねぇよ」
やはりまだ寝惚けている。自分がどこにいるのかよく分かっていないようだ。
ならば、好都合。
「……ほら、口開けろ」
「くちぃ?」
四葉が言われるままに、小さく口を開ける。
──本当、危なっかしい。
小さくぽかんと開いた口に、菖は大きな唇で噛みついた。
舌先を中に捩じ込んで、驚いて動けない小さな舌に絡みついて捕まえる。
「んん、ん……」
ジュクジュクと唾液の音が大きくなるにつれて、自分の胸元にしがみついていた手に力が入っているようだった。
はぁ、と息を吐くように離れる。つ、と唾液が小さく糸を引いた。
四葉の顔はまだ夢現つという感じでぼんやりしていたけれど、目は熱っぽく潤んで、顔も真っ赤になっている。
「なんでぇ?」
「お前は『補給』しに来たんだろうが」
「あぁ、そっかぁ」
「……そ、これは『補給』だよ」
そう答えて、今度は唇を四葉の耳元へ寄せると、舌先で耳の縁をなぞりながら、赤くなっているそこをそのまま噛んだ。
「……っあ」
四葉が短く叫ぶ。寝起きはいつもこんな感じなんだろうか。
調子に乗って、舌先を耳腔に差し入れる。
「んぁっ……待って、菖く……」
ほんのりと色づいた声に、心臓の奥がゾクリと騒いだ。
──もっと聞きたい。
自覚したせいだろうか。悪い欲が内側から湧き立つのを感じた。
「『補給』だって言ってんじゃん」
囁いて、もう少し、と今度は首筋に舌を這わす。
夢だと思っているうちに、もっと触れていたい、溢れる声が聞きたいと思ってしまった。
けれど、そのうち四葉の声がはっきりとしてきて。
「……ん、ちがう、これ『補給』じゃないぃ」
寝惚けてふにゃふにゃしていた声ではなく、いつもの四葉の声がそう言った。
身体を離して顔を見ると、耳元を押さえながら真っ赤な顔の四葉がしっかり目を開けている。
「……やっと起きたか、おはよ」
「お、おはよう、ございます?」
何が起きていたのか全く分からない、という顔をしていて、四葉は恐る恐る訊いてきた。
「な、なに、を、して……?」
「ヨダレ垂らして、つねっても起きねーから、どんくらいで起きるもんかなーと思って」
半分だけ嘘をついた。
きっと、本当のことを言ったら困らせるから。
「だいぶ気持ちよさそうな顔してたな?」
「なっ……!」
わざとらしく言うと、赤かった顔をさらに真っ赤にして、痛くもない拳で胸元を叩かれた。
「菖くんのばかっ! へんたい!」
「んだよ、お前は『補給』のために泊まりに来たんだろうが」
「そ、そうだけどぉ!」
四葉は言われてようやく叩くのをやめる。
深いキスも身体を触れ合うことも『補給』方法の一つだということを、ちゃんと思い出したらしい。
「……『補給』はもう、足りたの?」
「そーだな、おかげさまで」
「ならよかったデス!」
そういうと、四葉が怒ったようにこちらに背を向ける。
パジャマがブカブカなせいか、首周りが大きく開いていて、こっそりつけた痕がちらりと見えた。
それだけで、妙な満足感があるのは何故だろう。
菖は手を伸ばすと、四葉の首周りにかかる襟足を指先に絡めながら言った。
「んでさ、腹減ったんだけど」
「へ?」
「なんか作ってくんない、朝飯」
すると四葉が肩越しにこちらを、困ったような顔で見る。
「僕なんかの腕じゃ、お口には合わないかと……」
「そうか? お前の弁当のおかず、結構うまいけど」
「お弁当はお父さんが作ってるし……」
四葉がもごもごと口籠ってしまった。たぶん、食にうるさいと思われているのだろう。
確かに普段から外食やデリバリーばかりだが、食事は食べられればいいと思っているほうだ。でも、四葉のお弁当のような、家庭的な食べ物はやっぱり食べたいと思ってしまう。
「たまに入ってる煮物とか、あと肉じゃがも? あれ結構好きなんだけど」
「それは、だいたい、僕が前日に作ったやつの、残り……」
ちらりとこちらを見ていた四葉が、少し照れたような、嬉しそうな顔をした。
お弁当を父親が作っていたのは予想外だったが、やはり四葉は美味しいものが作れるらしい。
──四葉の作ったものが食べたい。
「じゃあ作って」
「ええー! ……ざ、材料とかは?」
四葉が観念したように身体をこちらに向けて聞いてきた。
「冷蔵庫にあるもの使っていいから、それで作ってよ」
「……わかった」
困ってはいるものの、少し嬉しそうにも見える。
そんな四葉の頭を菖は優しく撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます