6-2

 ◇



 浦部陽葵の朝は、隣の部屋に住む菖を起こしにいくことから始まる。

 起きていなければ奥の自室まで行って起こし、起きて朝のトレーニングをしていれば、シャワーに行くよう勧め、簡単な朝食を用意して自分も朝食を食べに自宅に戻るのが平日の朝パターン。

 休日なので、今日は少し遅めに菖の部屋へ向かった。

 また今回はイレギュラーなことに、菖の部屋には昨日から四葉が泊まっている。

 ──他人を泊めるなんて、珍しいこともあるものですね。

 菖とは兄弟のように育ったこともあり、小さい時は一緒の布団で仲良く眠ることもあった。しかし、ここに越してきてからは、陽葵ですら泊まったことはない。

 菖は稀有な力の使い手のため、修行と称して小さいうちから親元を離されている。小学生くらいまでは、都内のもう少し奥まった、自然豊かな土地で、陽葵の家族と一緒に暮らしていた。

 陽葵の父が剣術や体術を教える道場をやっていたので、その関係もある。

 けれど、小学校低学年の時に他家に誘拐され、二人とも殺されそうになる事件が起きた。その際、二人を救出しようとした陽葵の父が亡くなり、その後は鳴崎家の庇護の下、菖を狙う者たちから逃げるように、いろんな街を転々としている。

 その後、菖の『霊力欠乏症』が発覚して、この街には中学一年の春に移ってきた。

 そんな経験もあったせいか、菖は人一倍、他人を警戒する。

 だから菖が誰かを家に招き入れ、寝室まで共にしてもよいと思うようになったのは、なかなかの事件だ。

 ──それだけ、大切に思っているんでしょうね。

 陽葵は昨日のことを思い出して笑う。

 四葉と自分が話している間に、菖は無理やり割って入ってきた。彼が自分と話しているのが面白くないとでも言いたげな顔で。

 黛 四葉は、よい存在になるかもしれない。

 陽葵が菖の家にいつものように入り、廊下を進んでいると、中扉のすりガラス越し見える、リビングの明かりがついているのに気付いた。もう二人は起きているらしい。

「おはようございます」

 そう言いながら中扉を開けると、四葉と菖がキッチンカウンターを挟んで向かい合っているのが目に入った。

「あ、おはよー陽葵くん」

「おー」

「朝から何してるんですか?」

 そう言いながらカウンターの方へ行くと、そこにはおにぎりに卵焼き、肉じゃがや色鮮やかな炒め物など、色んな家庭料理がずらりと並べられている。

 そしてカウンターの外側にいる菖はそれを行儀悪く手で摘んで食べており、四葉はカウンターの内側でおにぎりを握っていた。

「……これ、もしかして四葉くんが作ったんですか?」

「うん、菖くんがお腹空いたっていうから、冷蔵庫にあるもので作ったんだけど、ダメだったかな?」

「いえ、問題はないですが……」

 四葉については、高校一年の頃から監視対象として身辺調査はしてある。数年前に母親を亡くしており、父子家庭ということもあって家事を積極的にやっている、という調査報告はあがっていたが、それにしても、だ。

 一般的な男子高校生がささっと作るレパートリーとは思えないものばかり並んでいる。

「すごいですねぇ」

「うちお母さんがいないから、交代で料理とかの家事もしてて」

「そういえば、そうでしたね」

「陽葵くんも食べる? 食べるならもっとおにぎり作るけど」

 カウンターの向こうで、ブカブカのパジャマを腕まくりし、キッチンに置いておいたエプロンをつけた四葉が笑って言った。

「せっかくだし、頂きます」

「おう、陽葵も食え。美味いぞ」

「菖はお行儀が悪いですよ」

 カウンターの近くで立ったまま、箸も使わずに並んだ料理に手をつける菖を、陽葵が眉を下げてたしなめる。

 相変わらず自宅では、菖はまるで子どものような振る舞いをするので頭が痛い。

「菖くんに運んでってお願いしたんだけど、そのまま食べ始めちゃって……」

「そんなことだろうと思いました」

「だって足いてーし」

「じゃあ私が運ぶんで、菖は座っててくださいっ」

 陽葵はそう言うと、菖をダイニングテーブルへ追いやり、カウンターの料理を運んでいった。

 文句を言っていた菖の前には、ひとまず肉じゃがを置いてやると、大人しくなったので、だいぶ気に入っているらしい。その隙に他の料理も運び、ようやく三人でダイニングテーブルについた。

 陽葵は菖がやたら気に入っている肉じゃがを、まずは口にする。

「……ん! 美味しいですねぇ」

 朝から作ったらしいが、ジャガイモはほっくりしていて、中まで味が染みており、お肉とのバランスもよい。卵焼きも綺麗な焼き目で、甘めの味付けがしつこすぎ無くて美味しかった。

 他の料理もシンプルなおにぎりと合わせると、いくらでも食べられそうなものばかり。

「本当? よかった」

「朝からこんなに作るなんて、大変でしたね」

「冷蔵庫にあるもので、と思ったんだけど、思ったより色々あったから、つい」

 四葉が照れたように頭を掻く。普段から料理をしていないとこんなに短時間で数品も作るのは難しい。しかも、調理をしながらキッチンの流しや生ごみ周りも手際良く片付けていたので、やり慣れているのがよく分かる。

「最近の菖は外食が多かったので、休日は私の母に何か作り置きをしておいてもらおうかと思って、買っておいたんです」

「えっそうなの? 使っちゃって大丈夫だった?」

「問題ありませんよ。菖の胃袋に入ればいいので」

「そ、そっか、よかったぁ」

 照れたかと思えば、驚いてソワソワしたり、ホッとして笑ったり、四葉の表情は分かりやすくて、くるくる変わるので面白い。

 そんな四葉を、いつもより機嫌の良さそうな顔でその隣に座る菖が見ていて、どうして彼を泊めたのか、陽葵は納得した。

「あぁそうだ菖、足の具合はどうですか?」

「んー? まぁ、土日寝てりゃ大丈夫かなって感じ」

 菖が答えながら味噌汁をすする。和食は積極的に食べないタイプだったのに、四葉の料理はよほど口に合うらしい。陽葵は思わず笑ってしまう。

「……なんだよ」

「いえ、それならよかったです。この土日は仕事の依頼はないので、ゆっくり休んでください」

「んー」

「四葉くんも、今日はゆっくりしてくださいね」

「はいっ」

 このまま二人が、ゆっくりと距離を縮めてもらえたら、契約が終わってもこんなふうに過ごせる関係になってくれたら、これ以上に幸いなことはない。

 ほんのり白くて出汁の効いた味噌汁に口をつけながら、陽葵はそんなことを考えた。

「そういえば前、家族に幽霊が視える人がいないかって聞かれた話なんだけどさ」

 四葉がふと思い出したように口を開く。

「ああ、以前お聞きしましたね」

「一応それとなーく家族にも聞いてみたんだけど、やっぱり特に、そういう人がいるわけじゃないみたいで……」

 菖の『仕事』のことを正確に話さないよう言ってあるので、四葉は霊感のあるなしについてで家族の話題にしたらしい。しかしやはり、家族の誰も視えたことはないそうだ。

「でも、曽祖母ひいおばあちゃんに当たる人が、『安曇神社』っていう神社と親戚なんだよって、お父さんが言ってて……」

 突然飛び出した『安曇』と言う名前に、陽葵も菖もさっと顔つきを変える。

「『安曇神社』だと!?」

「その曽祖母ひいおばあ様の苗字はわかりますか?」

 二人が食い気味に聞いてきたので、四葉はあたふたしながら答えた。

「え、えっと、たしか『鹿屋かのや』です」

「『鹿屋』……安曇の支流に『鹿屋』なんていたか?」

「いますよ。ただ、そこまで力の強い人間は輩出されていないので、あまり『護家』の仕事には関わってないはずです」

「あの、どういう……?」

 鳴崎のような『祓い屋』の仕事をしている家系である『護家』は、日本のあちこちに存在していて、家ごとにそれぞれ管理する地域が決まっている。

 特に七ヶ瀬しちがせ安曇あずみは『七大護家』と言われ、各地域を守護する『護家』の統括をしており、それぞれに属する『護家』は多かれ少なかれ血の繋がりのある分家だ。

 鳴崎が属する七ヶ瀬家は首都圏を、首都圏を除く関東甲信を安曇神社を運営する安曇家が管理しており、二家は隣接地域ということもあって、そこそこ友好的な関係だったはず。

「まぁでも、安曇の支流なら、協力関係を結んでるとこだし、使える力が増えたって双方が喜ぶだけ、だから大丈夫、か?」

「……そうですね」

『護家』は日々、この国に魑魅魍魎が蔓延らないよう活動しているものの、互いに敵視し友好的でない家もそれなりにある。そのため、『護家』と関わりのある家の人間を味方に引き込む場合、友好的な家でないと「持ち去られた」「勝手に使われた」などと、力の所有権についていさかいが起きやすいのだ。

 だからこそ、菖たちもずっと四葉との接触を控えてきたのだが、わずかばかりに見えた血筋が協力関係にある家なら、問題はないだろう。

「ただ、一応『上』には報告しておきましょう。後から言われると面倒ですし」

「んだな、頼むわ」

 菖と陽葵が少し脱力したように言うので、四葉はおろおろとそんな二人を見ていた。

「言っちゃまずかった、かな?」

「いえ、四葉くんの力の出所でどころが分かったので、むしろ良かったんですよ」

「そーそー、気にすんな」

 心配そうな顔の四葉の頭を菖が優しく撫でる。

「こういう力は遺伝するので、護家同士で結婚することが多いんです。ただ四葉くんのお家は護家との関わりも遠いようですし、もしかしたら四葉くんの力は隔世遺伝かもしれませんね」

「はー、なるほどなぁ」

 その凄さをまだきちんと実感出来ていない当の本人は、難しい顔で味噌汁をすするので、陽葵は少しだけ笑ってしまった。

 朝食を食べ終え、ダイニングテーブルや食器を片付けた後は、リビングのソファへ移動する。

 菖は食後からずっとソファでくつろいでいるのだが、その隣に座る四葉は朝から大量の調理をしたせいか、さすがに少し疲れているように見えた。

 陽葵は食後のコーヒーを淹れると、二人の元へ運ぶ。

「急な外泊になりましたが、ご家族のほうは大丈夫でしたか?」

「昨日、陽葵くんが帰った後に電話したら、変な事件に巻き込まれてるんじゃないか? 大丈夫なのか? ってすごい心配されました」

 コーヒーの入ったマグカップを受け取りながら、四葉が少し困ったように笑った。普通の家族らしい反応だと思う。

「そうですよねぇ。今度ご挨拶にでも行ったほうがいいですかね?」

「だ、大丈夫! 今日ちゃんと帰れば安心してくれるだろうし!」

「……そいつは、悪かったな」

 四葉の隣でコーヒーを啜っていた菖が、少しだけバツの悪そうな顔をした。今回は菖の独断での外泊なので、少しは反省しているらしい。

 それから菖は少しだけムッとした顔で、マグカップをテーブルにおくと、ソファにごろりと横になり、四葉の膝に頭を乗せた。

「少し寝る」

「えっ」

 驚く四葉をよそに、菖は本当に寝息を立て始める。

 帰る話をした途端にこれだ。

 ──『契約』内容の変更が、必要かもしれませんね。

 美味しいものをたくさん食べて、気を許せる人の側でこんなにリラックスしている菖は、初めて見た気がした。

「……時間が大丈夫でしたら、寝かせてあげてください。菖は寝た方が回復するので」

「まぁ、大丈夫なので、はい……」

「掛けるもの持ってきますね」

 リビングを出ようと中扉へ向かいながら振り返ると、四葉が満更でもない様子で菖の頭を撫でている。

 陽葵はそれを見てにっこり笑ってから、リビングを後にした。

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