5-4

 ◇



 お風呂から上がり、用意してもらったパジャマに着替えてリビングへ戻ると、陽葵が部屋を片付けているところだった。

「お風呂も着替えも、ありがとうございました」

「いえいえ、協力してもらってるんですから、これくらいなんでもないですよ」

 リビングを見回したが、自分と入れ替わりになった菖の姿が見当たらない。

「あれ、菖くんは?」

「疲れたから、もう寝るそうです」

「……そっか」

 あれだけたくさん動き回り、ケガもしたのだ。早々に休みたいのだろう。

「そうだ。菖、何も食べずに部屋に行っちゃったんですが、何か食べました?」

「あ、はい。僕のせいで『現場』に向かうの遅くなっちゃったから、行く前に一緒にファストフードで食べてて」

「そうだったんですね、じゃあ大丈夫かな」

 四葉の言葉に、陽葵がなるほど、と言う顔をした。

「もしお腹空いてたら、キッチンや冷蔵庫のものは好きに食べて大丈夫ですからね。この部屋も好きに使ってもらっていいので」

「は、はい」

 好きに使っていいと言われても、この広い部屋で何をどうしたらいいか迷ってしまいそうである。

「それから、菖の部屋は廊下の一番奥の、突き当たりの扉の部屋になります。寝る時はそちらに行っていただいて……」

「えっ」

 当たり前のように言われて四葉が驚くと、陽葵がきょとんとした顔をした。

「『補給』が足りないから、泊まることになったんですよね?」

「そ、そうだけど……」

「それなら出来ればベッドで一緒に寝て欲しいところですが、抵抗があるようでしたら同じ部屋にいるだけでも大丈夫なので。菖の部屋にはソファもありますし、そちらで寝ていただいければ」

 霊力の『補給』は、近くにいる、触れ合う、体液を摂取するの三つの方法がある。そうなると確かに、同じ部屋で過ごさないと、泊まった意味はない。

「わ、わかりました……」

「それじゃ、あとはよろしくお願いしますね」

 陽葵はそう言ってにっこり笑うと、真っ赤な顔で立ち尽くす四葉を残し、隣にあるという自宅の方へと帰ってしまった。



 メッセージアプリで泊まることになったと連絡だけしていた家族に心配をかけないよう、ささやかな嘘を織り交ぜつつ、泊まることになった説明の電話をした四葉は、明日はちゃんと帰ることを約束して電話を終えた。

 それから陽葵に教えてもらった通りにリビングの明かりを消し、廊下の突き当たりにある菖の部屋へと向かう。

「失礼しまーす」

 小さな声で言いながら、そっとドアを開けた。

 室内は、ヘタをすると四葉の家のリビングとダイニングを合わせたくらいの広さがあり、大きな本棚に、大きなL字の机、三人がけくらいソファが置かれている。室内にはまた別にドアが二つもあり、それらはトイレと収納スペースのようだった。

 菖はすでに眠っているらしく、明かりのついていない室内にそっと入る。本棚近くのソファの足元には、古そうな冊子が積み上がっており、普段はここで読書をしているようだ。

 奥に進むと、机の向こうには広い部屋を仕切るためなのか、カーテンが下がっている。ベッドはどうやらその向こうにあるらしい。

 どうなっているのか、そろそろとカーテンの向こうへ行ってみる。

 大きなベッドの真ん中で、菖がスースーと小さな寝息を立てていた。

 ベッドのサイズは、二人で寝ても問題のない広さに見えるので、ダブルかクィーンサイズだろうか。しかし、補給のためとはいえ、一緒のベッドに寝るのはどうなのだろう。

 ──菖くんは、いいのかな?

 自分はまだ、家族でくっついて寝たりした経験もあるのでいいのだが、こだわりが強いという彼は、人と一緒に寝るのに抵抗はないのだろうか。

 むむ、と考え込みながら、眠っているらしい菖の側まで近寄り、その顔をまじまじと覗き込む。

 長いまつ毛に、綺麗に通った鼻筋、整った形の薄い唇。冷静でカッコイイ『氷の王子様』の寝顔なんて、だいぶ貴重なものを見ている気がする。

 じぃっと見つめていると、瞼がふっと揺れて、菖がうっすらと目を開けた。

「……四葉?」

「あ、あの……」

 覗き込んでいたことを謝ろうとしたのだが、ベッドの中から伸びてきた手に、自分の腕をガシッと掴まれる。それから、菖は欠伸をしながら言った。

「……おそい」

「へ?」

 自分の腕を掴んだ手に、そのまま強く引っ張られ、反対の手が肩、腰と掴んで、抵抗するまもなく、あっという間に布団の中に引きずり込まれる。

 そしてそのまま、まるで抱き枕かのようにぎゅうっと抱きしめられた。そしてすぐに頭上から、スースーと寝息が聞こえ始める。

 ──これで寝るのー!?

 まさか、こんなに密着されるとは想定外だ。

 心臓がバクバクとうるさくて、顔も熱くて、眠れそうにない。ぴったりとくっついているせいか、菖の心臓の音も聴こえてしまう。

 なんとか心を沈めようとしていると、甘くてどこか爽やかな香りがふわりと鼻をくすぐった。

 ──あ、この匂い。

 母の好きだった金木犀の香りに似ているけど、少しだけ違う匂い。

 菖から時々感じていて、気になっていたこの香りは、普段使っているシャンプーの匂いだったのだと、今日お風呂を借りた時に気付いた。

 落ち着く香りを感じたせいか、急に瞼が重くなる。

 ──なんか、寝れそう。

 色々なことがありすぎて、まだ顔は熱いけれど。

 心音と優しい香りに包まれて、少しだけ幸せな気持ちで、四葉は眠りについた。

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