5-3

 ◇



 菖の住む高級マンションの二十階に到着すると、私服姿の陽葵が出迎えてくれた。

「おかえりなさい」

「陽葵くん!」

「菖に連絡をもらって、用意してたんです。手伝いますね」

 そう言うと四葉が支えていたのと反対の肩を陽葵が支え、菖の部屋へ運ぶ。

 ひとまず自宅まで着くと、陽葵は廊下の壁に手をつきながらなら、一人で歩けるようではあった。

「先、浴びるわ」

「はい、着替え出しておきます」

 菖は足を引きずりながら、廊下を曲がってバスルームのほうへ向かう。

 それを見送ると、陽葵がどうぞ、四葉をリビングの方へ案内した。

「大変でしたね、お疲れ様です」

「は、はい」

 広いリビングの中央で、自分と菖の通学鞄を持ったまま、四葉はおろおろと立ち尽くす。

 すぐ菖の着替えをバスルームに置きにいき、戻ってきた陽葵が、おや、と気付いて声を掛けた。

「座ってていいですよ?」

「え、あ、はい……」

 リビングの、相変わらず高級なソファの端に腰を下ろしたが、四葉はやはり落ち着かない。

 陽葵は菖の木刀を片付けたり、出てきてから治療ができるよう救急箱を用意するなどテキパキと動き回っていた。

 ソファからは、リビングの奥にあるトレーニングマシンや、練習用の木刀を立てるカゴも見える。どれもしっかり使い込まれているようで、トレーニングマシンの一つは、手で掴む場所の塗装が剥がれていた。

 菖はここでいつも、強い敵と戦えるように鍛えているのだろう。

 ──僕、何も出来なかったな。

 逃げ回って、転んで、菖に助けてもらっただけだ。

 護符が剥がれたのもあり、悪霊たちの気を引けたけれど、囮というには心許ない。

 今日のことを振り返り、しゅんとしていると、陽葵がグラスに麦茶を注いで持ってくる。

「こちらどうぞ」

「あ、ありがとう」

 麦茶を受け取り、口をつける。冷たい液体が喉を通っていく感触に、なんだか少しだけ心が落ち着いたような気がする。

「今日のお仕事で、何かありましたか?」

「う、うん。その……」

 陽葵が隣座ってくれたので、四葉は今日の『現場』で起きた出来事を素直に話した。

 出てきた母親の霊がとても強かったこと、子どもの霊も出てきて、護符を破られたこと、結局自分は何も出来ず、菖がケガをしてしまったことなど、とつとつと話す。

「僕、本当に何も出来なくて……」

「気にしちゃダメですよ」

 そう言うと、陽葵がそっと優しく四葉の頭を撫でた。

「四葉くんはすごく頑張ってると思いますよ」

「そうかなぁ……」

「なんせ、あのワガママ王子の菖に、ちゃんとついていってるんですから」

 陽葵から出た予想外の単語に、四葉は思わず吹き出す。

「それに、たらればを言ってたらキリがありません。無事だったんですから、よしとしましょう。ね?」

「……はい」

 じんわり目の端に涙が浮かんだのを、優しく笑う陽葵が指で拭いてくれる。

「……陽葵くんも、菖くんのことワガママ王子って思ってたんだね」

「そりゃそうですよ。学校ではまだマシですけど、食べ物とか普段使うものとか、結構こだわりも多いんですよ、あの人」

「そうなんだ」

 二人でクスクス笑いながら話していると、リビングと廊下の間にある中扉がガチャリと開いた。

 そちらを見ると、紺色のパジャマに、白いバスタオルで濡れた頭を拭きながらこちらにやってくる菖の姿。

「あぁ、早かったですね」

「ん……」

 短く答えた菖は、頭を拭きながらどこか不機嫌そうな顔をして、片足を引き摺りながらソファまでくると、四葉と陽葵が座っている間に、まるで割り込むようにして座った。

 驚いて身体を少し横にずらすと、頭にタオルを掛けたままの菖がジロリと四葉を見る。

「……お前も入ってこい。汗かいたろ」

「いや、でも、着替えとか、ないし……」

 なにせこのお泊まりも、『現場』で突然言われたことなので、当たり前だが用意が何もない。後でコンビニでも行って、買ってこようかと思っていたくらいだ。

 すると菖の向こうから陽葵がひょっこり顔を出して言う。

「遠慮せずに入ってきてください。着替えも買い置きがありますので。菖のだから、サイズが少し大きいかもしれませんが」

 そういうと、陽葵がいつ用意していたのか、パジャマと下着、そしてバスタオルのセットを一式、どこからともなく取り出して四葉に渡した。

「は、はい……」

 さすがにここまで用意されてしまうと、断るわけにもいかない。

「お風呂はリビングを出て右にいく廊下の、左手にある最初の扉です。あ、脱いだ服はそのまま置いておいてください。あとでお洗濯しておきますので」

「わ、わかった。ありがとう」

 何から何まで至れり尽くせりな陽葵の言動にくらくらしながら、四葉は言われるままバスルームへと向かった。



 四葉は脱衣所で服を脱ぐと、恐る恐るお風呂場へ繋がるドアを開ける。

 するとそこは、ピカピカに磨かれたグレーで統一された室内に、奥には真っ白で大きな浴槽がどんと置かれており、お湯の張られた湯船はジェットバスになっているのか、シュワシュワと泡が絶え間なく吹き出していた。

 壁面の棚にならぶシャンプーやボディソープも、スーパーではみたことのないメーカーで、明らかに高級品だとわかる。

 ひとまずシャワーを出してみると、自宅マンションのシャワーとは違う、キメの細かい柔らかい水流で、なんかテレビで見たやつかもしれない、と四葉は思った。

 ──世界が違いすぎるよ……!

 緊張しつつ、備え付けのシャンプーやボディソープを心の中で謝りながら使い、頭や身体を丁寧に洗う。柔らかくて気持ちのいいシャワーで洗い流すと、大きな湯船にそっと浸かった。

 ──すごい、足が伸ばせる。

 もしかしなくても、大人二人で並んで入れるようなサイズである。こんなに大きな湯船は初めてだ。

 湯船の側面からシュワシュワと出てくる泡を眺めながら、四葉は再び今日の『現場』のことを考えていた。

 陽葵は気にしなくていいと言うが、どうしたって気にしてしまう。

 あの親子の霊は、護符が剥がれた途端に自分の方を見た。自分から溢れる霊力はやはり、菖だけでなく悪霊たちにとってもカッコウの餌なのだろう。今回は想定外に気を引けてしまったし、危なくはあったけれど、ちゃんと逃げられる算段があれば、囮くらいにはなれるかもしれない。

 ああやって『現場』にいると、命懸けで戦っている菖の助けになる何かが自分にも欲しいと思う。

 ──『非常食』以外に何かできたらなぁ。

 一生懸命考えてみたが、平凡な自分があまりに無力なだけだと痛感するばかりで、四葉ははぁ、と深いため息をついた。

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